こんにちは。
19期生の廣瀬達也です。
参加している診断士の某研究会・定例会でジェンダー問題について考える機会がありました。
「考え方を変える必要がある」ということは理屈では分かります。ただ、50年以上も生きていると、自分の中に津々と蓄積されてきた自分にとっての常識があり、そしてその硬直化も進行しています。なのでなかなか「変える」が難しいことも少なくなりません。どう変わればよいのか。変えなくてもよいところもあるはずと思うけどどうなのよ…
など、思考が空転しながら気になる問題です。
その研究会で聞いたお話では「女らしい」という単語についても使用場面の考慮が必要そうでした。
となると、「女らしい」の対義語になりそうな「男らしい」という単語も気になるところです。
気にしているときに日経新聞の以下の記事に出会いました。「2022年8月2日」の記事なので時間軸的にはこちらの記事のほうが先に世に出ていたようです。
▼「中高年男性の孤立 注視を コミュニケーション不全の時代」
(有料会員の方しか全部は見れないと思います。スイマセン)
この類の中高年男性の危機的記事を最近よく見かける気がするのですが、それは私自身が中高年男性の一人だからかもしれません。
内容をざくっとまとめると「ポイント」として記載されている
〇日本の中高年男性の友人の少なさが突出
〇社会関係の乏しさは排外主義につながる
〇旧来の男性優位の価値観からの脱却が鍵
の中の「旧来の男性優位の価値観」に影響を与えているものとして「男らしさ」という規範がある。そして、
“「男らしさ」の規範を内面化して、仕事や収入で他者にまさることに高い価値を置き、ひとに弱音を吐かずにがんばる中高年男性は、自分をも他人をも追い込みがちである。”
としています。
この記事ではなぜ中高年男性が「男らしさ」に執着してしまう傾向があるのかは言及されていません。
なぜ中高年男性は男らしさに執着してしまう傾向があるのか?
この「なぜ」については、私の大好きなドラマ「最後から二番目の恋(第7話)」の、長倉和平(中井貴一)と吉野千明(小泉今日子)二人による飲み屋(サシ飲み)の会話がヒントになるのではないかと思います。
少し長くなりますが、背景と飲み屋シーンを紹介します。
(私の記憶に頼った範囲なので、その点ご配慮いただけるとありがたいです)
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【背景】
長倉和平(中井貴一。ドラマは50歳設定)
市役所の課長。小さいころに両親を亡くし、子供の頃から長男として親代わりに妹、弟、妹という3人の面倒をみてきた苦労人。苦労人ならではの周りを気遣う振る舞いが優柔不断と見られ、その優柔不断さを「男らしくない」と評されることが多い。
吉野千明(小泉今日子。ドラマは45歳設定)
テレビ局のプロデューサー。性格は明るく溌剌。姉御肌で毒舌家。時折ガラの悪い口調になることなどから、和平から「元ヤンキー」ではないかと疑われている。
【飲み屋シーン】
---和平が「男らしくない」と言われることについての愚痴を言い出す。
●和平:「男らしくない」と「女らしくない」この2つ言葉にはそもそも差があるんです。「女らしくない」については、それに対しての肯定的フォローの言葉ばがあります。「活発だ」とか「お転婆さんで」とか。そもそも、「女らしくなくたって」素敵な女性は沢山いるでしょう?
●千明:えぇ、まぁ。確かに…
●和平:でも「男らしくない」はそうではないんです。「男らしくない」にはフォローの言葉は一切ありません。全否定なんです!僕はそう言われているんですよ。「男らしくない」って!!
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つまり、
・「男らしくない」は中高年男性本人とって全否定の言葉と捉えられる傾向が高い。
↓
・中高年男性としてはなんとしても「男らしくない」を回避しなくてはいけない。
↓
・だから「男らしさ」に執着しなければけない。
そして、どんどん追い込まれる…。という悪循環なのではないか。
そんなことを考えました。
(このドラマは2012年放映です。原題は「男らしくない」について新しい解釈もあるかもしれません)
ジェンダー問題は大切な問題です。診断士にとっても、プレゼンしたり、執筆したりという発信する場面で特に考慮が求められることが増えてくると思います。ということで、私は先日の研究会で紹介されたコチラの本で勉強中です。
あぁ、また「最後から二番目の恋」が見たくなってきましたね…。こんなことを言うと「男らしくない」でしょうか?