皆さん、こんばんは。
「稼げる!プロコン育成塾」、事務局の三好康司です。
寒くなってきましたね。皆さん、風邪などひいておられないでしょうか。健康には注意しましょう。
私は、ご縁があり、現在墨田区の仕事をさせてもらっています。墨田区生まれの有名人と言えば、葛飾北斎、勝海舟、王貞治、大橋巨泉、いかりや長介などがいますが、今日は葛飾北斎(以下”北斎”)のお話を。私のスマホケースも 北斎の「凱風快晴(赤富士)」です。
北斎は、江戸時代後期の1760年に武蔵国(現:墨田区亀沢)で生まれ、1849年に89歳で亡くなりました。当時の平均年齢から考えると超長生きです。代表作は「富嶽三十六景」、「北斎漫画」等、生涯に3万点を超える作品を発表、版画だけでなく、肉筆浮世絵にも優れていました。この北斎、調べてみると、かなり個性的な方です。どう個性的かというと。
1)無頓着
画工料は、通常の倍貰っていたにも関わらず赤貧だったようです。貰っても、その包みを解かずそのまま放置、米屋などの請求がきたら、中身の金額を数えずそのまま包みごと投げて払っていたといいます。また、家の掃除にも無頓着。一緒に住んでいた娘に「昨日の晩まであった蜘蛛の巣はどこへいったかお前知らないか?」と尋ね、ずっと気に病んでいたとか。
2)引越好き
北斎は生涯で93回引越したそうです。一日に3回引越したこともあるようです。そのように引越を繰り返した理由は、絵を描くことに集中しすぎたため、部屋が荒れたり汚れたりするたびに引越したことが原因とか。
3)プライド
シーボルト事件で有名な医師、シーボルトから「日本人男女の一生を描いた絵、2巻を150金で描いてほしい」と言われた時のこと。 シーボルトは、絵の引き渡し時に値段を半値に値切ってきます。北斎は「初めから半値の75金と言われれば彩色を変えるなど描き方もあったものを」とシーボルトに言うと、シーボルトは「では1巻だけ75金で買う」との回答。北斎は憤慨し、2巻とも引き渡さず持ち帰ります。北斎の妻は「生活は貧しいし、その絵は他に売れるようなものでないのでお金に変えればよかったのに」と北斎に詰めよります。すると北斎は「外国人に、日本人は人を見て値段を変えると思われたくない」と毅然として妻に言ったそうです。その後通訳を通じこの話が伝わり、150金は無事支払われたとか。
皆さん、このような個性的な北斎が生まれたまち墨田区へ、また足を運んでみてくださいね!