ハリーの「聴いて食べて呑んで」

日々増殖を続ける音源や、訪問した店、訪れた近代建築などの備忘録

河文 @名古屋市中区・丸の内

2021年10月13日 | 名古屋(中区 老舗)

清須越しで名古屋に移り住んだ河内屋文左衛門が棒振りの魚屋として創業し、400年もの歴史を持つ名古屋を代表する料亭「河文」。以前に茶房を利用したことがあるが、料亭は通常1人では利用出来ないし、他の客の手前、建物の中を巡ることは出来ないものなのだが、以前に上飯田の「志ら玉」や、白壁の「か茂免」を訪れた時と同様に、若女将による建物や料理の案内が含まれた食事の企画があったので参加してみた。

まずは参加者を引き連れての館内の案内。若女将が河文の歴史や建物、季節に合わせてあちらこちらに配置してある物の意味やらを快活な口ぶりで裏話を交えながら楽しく説明してくれる。この一帯は空襲で焼けてしまったので、建物は戦後すぐのもの(最近大規模な改修が行われたとのこと)。主屋の部分は昭和25年、篠田進、川口喜代枝による数寄屋建築。よくもそんな時期にこれだけ贅を尽くした建材が集められたものだ。水を張った中庭と「水鏡の間」は昭和46年、谷口吉郎設計によるもの。最近ではG20(金融世界経済に関する首脳会合)の外相主催夕食会の際に利用されたのだとか。周りには高いビルもあるので警備などは1年がかりで準備が進められたそう。そんな裏話なども興味深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋を移して食事会。掛軸(←約600本あるそうだ)と部屋の意匠を説明してもらい、コロナ禍とあって1人1テーブルで同じ方向を向いて学校の教室のように着席した。食事の前にアレルギーや苦手な食材が無いか訊かれたのだが、こちら河文では事前申告ではなく客が揃ってから本人に訊き、不都合のある食材があった場合にはその場でその人の分だけ料理を変えるというのだから凄い(当人の正しい申告を確認するためだそう)。現在こちらには20人の板前が居てその半分は女性なのだとか。しかも最近になって女性を採用したのではなく昔からの気風なのだそうだ。

時節柄、酒類は提供出来ないということで自家製ジンジャーエールで我慢したが、菊の花びらが浮かんだ菊酒、先付(前菜)、八寸、椀物(煮物)、向付(刺身)と料理が進んでいく。こちらで使用している器は、戦前のものは空襲で全て消失してしまったため、後から揃えられたものだそう。訪れたのは不老長寿を願う”重陽(ちょうよう)の節句”の時期(※訪問9月)だったので、どの皿にも不老長寿を願う菊の花(もって菊)があしらわれていて、茄子など秋の食材を食べるのが習わしだという。最後には鰹のづけや香の物でごはん、止め椀(味噌汁)をいただき、鱧団子のうどん、そして最後に水菓子(葡萄寄せ)をいただいて、了。

料亭では本来食事の内容説明は無いものだが、ここでは若女将がそれぞれの料理にはどういう意味が込められているか、どういう食材を使っているかなど丁寧に教えてくれ、同時にマナー講座をしてくれた。食事の最中にも、日本文化のこと、茶道の流派のことなど、色々な話を興味深く教えてくれる。若いが大したものだ。特に茶道や尺八など現在日本で関与人口が激減している伝統文化を、大陸の某大国が始祖である自分たちの国に取り戻そうとしていて、人材や銘品を含む様々なものが急激に某国に流出している話には身をつまされた。

最後に菓子と抹茶をいただき(→そもそも懐石料理とはこの御茶をいただくための前奏なのだ)、散会。現在は創業一族ではなく他の資本が入っている「河文」だが、守っていこうとしているものは変わらず継承されているようだ。次はどなたかに接待で呼んでいただいて…。(勘定は¥11,000程)

以前の茶房の記事はこちら

 

 

 

  

河文

愛知県名古屋市中区丸の内2-12-19

 

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