大阪短期滞在。大阪で洋食といえば必ず名前の挙がる有名店、難波の「自由軒」。創業は明治43年(1910)で、その独特な最初から混ぜてあるカレーが名物料理。およそ大阪の洋食を紹介してある本や記事で、その写真が載らないことは無い。過去に大阪で食べ歩いた時には、そのあまりの有名さや店頭の女将の姿看板を敬遠して入ったことが無かった。でもやはり1度は行ってみたいと、今回は満を持して店へ。店内は歴史ある食堂でよく採用されている壁の鏡で広く見せる工夫が。横長に並べたテーブル席に腰掛け「名物カレー」…と思ったが、ふと「ハイシライス」が食べたくなって注文した。壁の品書きには普通に「ハイシライス」、卓上のファイルの品書きには「名物ハイシライス」と書いてある。その時点で「名物カレー」と同じタイプだというのは分かった。周りは自分のような観光客はもちろんだが、ふらりと寄った地元の人らしき客もちゃんといる。
水と、銘の入った紙ナプキンが巻かれたスプーンが用意され、程なくして「ハイシライス」がこれまた銘の入った平皿に盛られて登場。思った通り最初からライスにハイシ(ハヤシ)ソースが混ぜてあり、グリーンピースが綺麗に配置され、真ん中には生卵が落としてある。早速スプーンを口に運ぶ。強い味ではないが濃いめに調理されたソースで、具材は牛肉と玉ねぎ。うん、旨い。途中で生卵を潰すが、こういう時のヌルンとした白身だけ口に入るのは食感的にも味的にもあまり好みではない。黄身とよく混ぜ、ハイシライスと絡めて美味しくいただいた。変な言い方だが、有名店とはいえちゃんと”食堂”だった。次に機会があったら「アスパラ」と「コーンポタージュ」を前菜にして、「ミニ名物カレー」とセットになった「ビフカツ」か「サーロインステーキ」にしてみよう。(勘定は¥750)
大阪府大阪市中央区難波3-1-34
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「名物カレー」は卵を落とした日清『チキンラーメン』の カレー版なのか?
ハリーさんが食したのは”ハヤシライス版”??
同じ地区?心斎橋の洋食屋”明治軒”のオムライスを食べたことはありますが
”自由軒”メモメモ!・・・今度食べてみよう。
ここと同じ形態のカレーを横浜で食べたことがあるので調べたらやはりのれん分け同名店があるんですね。
店同士の確執があるとかで、まるで名古屋の「堀田・品川」と「新瑞橋・しな川」みたいだなと思いました。
>心斎橋の洋食屋”明治軒”
あー、いいですねー明治軒。行ってみたいなァ。今回も候補には挙がっていたのですが、
なにせ胃袋がひとつしか無く(笑)、加齢とともに連食もうまいこと組み合わせないと
困難になってきたので行けませんでした。
>今度食べてみよう
ぜひぜひ! 自分も敬遠していたのに、行ってみたらやっぱり良さが分かりました。
大阪は歴史ある洋食屋がたくさんあって羨ましいです。
>のれん分け同名店
横浜にあるとは知りませんでした!
自由軒を名乗る店は洋食店に限らず多いですよね。当時は”ハイカラ”の代名詞だったんでしょうね。
大阪市内には「せんば自由軒」もあり、そもそもの出自は同じで同様のカレーライスを出しているの
ですが、双方のHPを見る限りやはり確執があるようです。古い店の食べ歩きをしているとそういうのを
探りたくなるのが私の悪い癖でもあります。さすがに面と向かって訊く勇気はありませんが(笑)。
毎度のGoogleマップでちょっと当たったのですが、確かに同名店はあるものの… そこはノレン分けじゃない感じです。
お騒がせしました。
>「同じ物やん」
ちょっとそっちの店も気になりますねー。あのタイプのカレーってもっとありそうで
あまり見ないんですよね。やはり自由軒の専売特許なんでしょうか(登録はしていない
だろうけど)。
そういえば、南田神田さんに教えていただいた昨日のツイッターにも上がっていた浅井の
森醫院、先日行ってきました。すごいお屋敷ですねー。敷地内に入ってみたいなァ。
あそこってあの屋敷の中が現役の医院なんでしょうか? だとしたら、次に具合が悪く
なったら…、それとも仮病で受診してみるか(笑)。
貴重な情報をありがとうございます。
あれからググったら、大阪の別の自由軒の支店が横浜にあるんですね。入ったのはそこかもしれません。
浅井・森醫院。実営業してますよ。
一宮市の無料検診指定病院でもあるので、近々行く予定です。
塀の隙間から覗くと、そのまんま時代劇が撮影できる廃屋が残ってます。昭和の時代までは名古屋場所に来た力士が治療に通ってました。「万金膏」として力士に人気で、横の神社には力士会の石碑がありますね。
ついでに。
森醫院近くの「旭美屋」さんのオムライス。最近、形が変わって、昭和の定食屋の「卵の皮」スタイルからとろとろ卵かけスタイルになってしまったのが残念です。森醫院のついでに旭美屋のおばちゃんにワケを聞きに行くつもりです。調理が大将から息子さんに変わったのかなぁ…
>横の神社
そうそう、隣に寄ったら力士の石像があったのでびっくりしました。写真を撮りながら、何で東京の
力士会が?、と頭が?マークになったのですが、そういう経緯があったんですねー。面白いっ!
>とろとろ卵かけスタイル
うーん、いかんですねー(笑)。自分もあのスタイルのオムライスには”チンピクゼロ”なんです(←古い)。
なんて言いながら、少し高い店では薄焼きなんてあかんやろ、ライスと玉子の境が混然と…、と思ってしまう
身勝手な消費者…。世の若いもんは何でもああいうトロトロが好みなんでしょうか…(ロートルの戯言)。
(→…死語ばっかりやな)。
連投で大変恐縮なんですが、コトのついでにまとめ書きさせてくださいませ。図書館で史料をあたろうとはずっと思ってるんですが今は記憶だけですみません。
…実は森醫院の娘と同窓生でして…彼女が実家にいれば色々融通が利くんでしょうがヨソに出てしまいましいて残念
おおむかし、浅井・温故井池(現・浅井山公園)で傷ついた鶴を森さんが助けたら、鶴の恩返しで打ち身捻挫に効く膏薬の作り方を教えてくれた。森さんはそれを「浅井(あざい)万金膏」と名付けて家業にした(以前は浅井山公園に鶴の銅像がありました)
江戸時代から力士が治療に通ってきた
平成の時代まで、近所に膏薬工場があった
何代目かの森醫院の当主は力士をひいきにして、無料で治療した。
昭和の時代まで力士が森家の屋敷内に住み込みで治療に来ていた
70年代、CBCテレビ土曜日朝の板東英二の番組で板東さんが取材に来た
今でも名古屋場所の時は森醫院前に宿舎と土俵を作る部屋がある
・・・などなどけっこう一宮では「昭和生まれ」なら知ってる話です。史料で裏付けたいところなんですが、ともかく建物はすごいですね。
本当にながながとすみませんでした
>森醫院
いやぁ、凄い名家なんですね森家は! 温故井池もそもそも森家が下賜されたもの
だったようですし。鶴の伝説から藩主から江戸相撲の力士からと、まるで歴史絵巻。
面白いなァ。
南田神田さんの無料検診の際には、ぜひこそっと敷地内の写真を…(笑)。