叔母が長かった入院 (5ヶ月)生活から戻り、我が家に
来てから、もうすぐ1ヶ月。
障害者手帳 (4級) を申請するために、写真を撮ったり
役所に車椅子で連れて行ったりと…
それ以外でも病院へ薬を貰いに、リハビリに、と
何かと… やっぱり 忙しい!
しかも、車椅子(軽量化されて8㎏というが、やっぱり腰に来た)
を車のトランクに入れる作業は、脚の悪い私には…
『だめだ~』
途端に中殿筋が痛い。そけい部が痛い。
短時間の股関節ケアでは、おっつかない!
叔母の車椅子を押していると、道路が雨を流すために
端を斜めにしているので、後ろから 前から車が来た時に、
車をよける為、端によると 車椅子が斜めになり、実に
よろよろとなってしまう・・lt;BR>
川崎の駅 周辺の車椅子対応の駐車場から、エレベーター
を使い、押しながら目的地まで行くのは、(当初 駅のロータリー
が、バリアフリーのことを考えていなかったため)
『見えているのに、遠回りで、大変ダー』
今日は、主人が 一緒行ってくれ、車椅子を押してくれたので
自分の身体には… 堪えなかった…
良かった…
役所の駐車場の入り口の扉が、自動扉になっていなかったり…
と まだまだ 不便が沢山!
もし、自分が 車椅子で 一人で、運転し 役所に来なければ
いけなかったら? と考えたら…
痛くても
『歩けることに、感謝!』 です。
さて、今日は とても懐かしい思いになった記事を
ご紹介します。
【蚊帳の恩恵】
田中 哲夫
幼い頃、雷はオヘソを狙うとお年寄りに脅された。
「でも雷は蚊帳には落ちないから、ゴロゴロ鳴ったら蚊帳に
逃げ込め」 とも。
たわいのない話だが当時は本気で蚊帳に飛び込んだものだ。
昭和2,30年代の夏は、まだ蚊帳を吊る家が多かったように
思う。そんな風習が消えていくのは横町からどぶ川が消え、
団地やマンションが増え始めた40年代からだろうか。
思えば団塊以前の世代は、蚊帳に包まれて育ってきた。
だから蚊帳には懐かしい思い出が一杯詰まっている。
蚊帳は四方にある吊り手を柱のフックに引っ掛け、うちわで
あおぎながら素早く入らなければならない。
もたつくと蚊が紛れ込み、しばしブーンという音を追って両手で
パチンと格闘することになる。
蚊帳は家族ふれ合いの場でもあった。
夏は戸を開け、風を通しながら寝たものだ。中に寝相の悪い
のが必ずいて、人の腹を枕にしたり、蹴っ飛ばしたり、朝に
なったら反対に寝ていたりした。
今の時代では考えられない雑魚寝。
つまり蚊帳は、単に蚊を防ぐだけでなく家族の絆を育て、
不思議な安らぎを感じさせる場所でもあったのだ。
その蚊帳が今、アフリカでマラリヤ防止に珍重されている
と聞いた。
日本の古い生活風習が異国で再び役に立つ。
素晴らしいことである。
☆私は団塊の世代ではありませんが、7,8歳くらいの記憶
でしょうか、父の会社の社宅が鉄筋コンクリートで、新築され
アパートに引越しし、夏に やっぱり 蚊帳を吊って、皆で
仲良く寝たのを覚えています。
あと、息子が小さい頃 まだ狭い部屋に、親子3人
川の字に寝て、起きたら 子どもが頭と足が 反対になっていて
大笑いをした 記憶があります。
昔の時代の『家族のふれ合い』
では、今の時代の 『ふれ合いは?!』
来てから、もうすぐ1ヶ月。
障害者手帳 (4級) を申請するために、写真を撮ったり
役所に車椅子で連れて行ったりと…
それ以外でも病院へ薬を貰いに、リハビリに、と
何かと… やっぱり 忙しい!
しかも、車椅子(軽量化されて8㎏というが、やっぱり腰に来た)
を車のトランクに入れる作業は、脚の悪い私には…
『だめだ~』
途端に中殿筋が痛い。そけい部が痛い。
短時間の股関節ケアでは、おっつかない!
叔母の車椅子を押していると、道路が雨を流すために
端を斜めにしているので、後ろから 前から車が来た時に、
車をよける為、端によると 車椅子が斜めになり、実に
よろよろとなってしまう・・lt;BR>
川崎の駅 周辺の車椅子対応の駐車場から、エレベーター
を使い、押しながら目的地まで行くのは、(当初 駅のロータリー
が、バリアフリーのことを考えていなかったため)
『見えているのに、遠回りで、大変ダー』
今日は、主人が 一緒行ってくれ、車椅子を押してくれたので
自分の身体には… 堪えなかった…
良かった…
役所の駐車場の入り口の扉が、自動扉になっていなかったり…
と まだまだ 不便が沢山!
もし、自分が 車椅子で 一人で、運転し 役所に来なければ
いけなかったら? と考えたら…
痛くても
『歩けることに、感謝!』 です。
さて、今日は とても懐かしい思いになった記事を
ご紹介します。
【蚊帳の恩恵】
田中 哲夫
幼い頃、雷はオヘソを狙うとお年寄りに脅された。
「でも雷は蚊帳には落ちないから、ゴロゴロ鳴ったら蚊帳に
逃げ込め」 とも。
たわいのない話だが当時は本気で蚊帳に飛び込んだものだ。
昭和2,30年代の夏は、まだ蚊帳を吊る家が多かったように
思う。そんな風習が消えていくのは横町からどぶ川が消え、
団地やマンションが増え始めた40年代からだろうか。
思えば団塊以前の世代は、蚊帳に包まれて育ってきた。
だから蚊帳には懐かしい思い出が一杯詰まっている。
蚊帳は四方にある吊り手を柱のフックに引っ掛け、うちわで
あおぎながら素早く入らなければならない。
もたつくと蚊が紛れ込み、しばしブーンという音を追って両手で
パチンと格闘することになる。
蚊帳は家族ふれ合いの場でもあった。
夏は戸を開け、風を通しながら寝たものだ。中に寝相の悪い
のが必ずいて、人の腹を枕にしたり、蹴っ飛ばしたり、朝に
なったら反対に寝ていたりした。
今の時代では考えられない雑魚寝。
つまり蚊帳は、単に蚊を防ぐだけでなく家族の絆を育て、
不思議な安らぎを感じさせる場所でもあったのだ。
その蚊帳が今、アフリカでマラリヤ防止に珍重されている
と聞いた。
日本の古い生活風習が異国で再び役に立つ。
素晴らしいことである。
☆私は団塊の世代ではありませんが、7,8歳くらいの記憶
でしょうか、父の会社の社宅が鉄筋コンクリートで、新築され
アパートに引越しし、夏に やっぱり 蚊帳を吊って、皆で
仲良く寝たのを覚えています。
あと、息子が小さい頃 まだ狭い部屋に、親子3人
川の字に寝て、起きたら 子どもが頭と足が 反対になっていて
大笑いをした 記憶があります。
昔の時代の『家族のふれ合い』
では、今の時代の 『ふれ合いは?!』