昨日で、3.11日~約1ヶ月と思った矢先… 昨日も今日も朝に昼に夕に…
と体感余震があります。
でも、ある面、慣れたもので(慣れたくないけれど…)このぐらいは大丈夫、とか、ちょっと警戒とか、
体で区別ができるようになりました。もちろん、地震酔いもしばらくは続きますが…
震源地の避難所の人に比べれば、どってことない!
なるべく、騒がずに落ち着いて、行動しようー、が身に付いてきました。
普通に暮らす、を心がけ、昨日もプールへ(叔母がディへ行っている間にいつもプールへ行っていましたが、
昨日は、叔母が「腰が痛くて行きたくない」と休みました。が、叔母が何かのたびに「ハァーハァー、うっ痛い、
どっこいしょ」ばかり言っているのを聞いていると、自分まで憂鬱になるので、昨日は、思い切って出掛けました。
今日は、川崎駅の銀行とデパートへ行きました(叔母は留守番です)
3.11の巨大地震の時、マンションに私だけ一人でいましたが、死ぬくらい恐いと思いましたのに、
(突然ブチッと停電しましたが、棚からも何一つ落ちずに)何事もなかったので、ある意味、家の中に寝ている
叔母は危なくない! とも思いました。だから、叔母に「地震が来たらテーブルに隠れて、必ず私は家に
戻るから」と言って出かけています。
出先の自家用車の中で、ラジオを聴いていると、ちょうど自衛官の話をしていました。
対談形式で、お名前は、わかりません。
『自衛隊がいて本当に良かった。と今回ばかりは思いました。ツイッターで赤ちゃんとお母さん
を助けた自衛隊員(30代)とてもいい顔してましたねー。普段、税金を使うだけの存在のような扱いですが、
皆さんにぜひ、自衛官達の姿を知ってもらいたい、と私は、今回の取材で思い、雑誌に掲載しました。
(
あっていないかもしれません。‘まなぶ'表紙が森高千里さんが敬礼している、と言ってました。』
「彼らは、毎日ただしたすら、訓練だけしています。若い隊員達は、変な話、(ご遺体)あの状況で
死体を見るのも初めてだろうし、過酷な現場で頑張っている。青森の駐屯地の隊員は、召集がすぐに
かかったので、家族と連絡も付かない中、不安の中、任務を遂行している。
昔、防衛大学一期生の卒業式に当時の吉田茂総理大臣が、こんなことを言ったそうです。
『君達が、目立つときは、日本が不幸な時です! ですから、目立つことはできません。
ただ、ひたすら、耐えて、日陰の身でいて下さい!』
そして、彼らは、ひたすら耐えて、今、有事の時と、日本のために、頑張ってくれています!!!
長年、私は、自衛隊廃止論の意見方でしたが、私も今は、自衛隊があって良かった! と思いました!