2013年6月24日付の朝日新聞に記事が掲載されていた。
1979年に創刊された「広告批評」誌の編集長としての活躍は今も記憶に新しい。
天野祐吉さんと、文字通り広告批評の先頭を走った。
実は、「広告批評」という月刊誌ができる前に、企業向けに、広告をスライド化して販売するということをされていた。
そのスライド集に小冊子がついていたように思う。
「広告批評」が創刊され、そのスライド化は終わったのだが、出版物にすることで読者層も拡大していった。
やはり、二人の批評眼は大したもので、マスコミに取り上げられることも多かった。
当初は天野さんが編集長で、その後、島森さんが引き継いだのだが、なんら問題はなかった。
島森さんの記事で強く印象に残っているのは、パリのルイヴィトン社に取材した記事だった。
通り一遍の企業取材とは雲泥の差があった。
この記事を読んで、彼女の筆力に脱帽した。
2013年4月23日死去 66才
「臨終の際は、安らかな表情だったという。凛としたイメージを最後まで保ち、足早に去っていった。」
合掌
※彼女はこの写真が一番のお気に入りだったように思います。
1979年に創刊された「広告批評」誌の編集長としての活躍は今も記憶に新しい。
天野祐吉さんと、文字通り広告批評の先頭を走った。
実は、「広告批評」という月刊誌ができる前に、企業向けに、広告をスライド化して販売するということをされていた。
そのスライド集に小冊子がついていたように思う。
「広告批評」が創刊され、そのスライド化は終わったのだが、出版物にすることで読者層も拡大していった。
やはり、二人の批評眼は大したもので、マスコミに取り上げられることも多かった。
当初は天野さんが編集長で、その後、島森さんが引き継いだのだが、なんら問題はなかった。
島森さんの記事で強く印象に残っているのは、パリのルイヴィトン社に取材した記事だった。
通り一遍の企業取材とは雲泥の差があった。
この記事を読んで、彼女の筆力に脱帽した。
2013年4月23日死去 66才
「臨終の際は、安らかな表情だったという。凛としたイメージを最後まで保ち、足早に去っていった。」
合掌
※彼女はこの写真が一番のお気に入りだったように思います。