facebookより転載させて頂いています。長文ですので、三回に分けて掲載します。
以下、全文(原文ママ)です。
9月12日鎌倉の行った講演内容
20140912講演資料 認知症の私が伝えたいこと
1 認知症と診断されるまでの経緯について教えてください
1999年ごろから課内会議に議事録が書けなくなり、精神科を受診異常なし。
パソコン、FAX,電話機、ワープロの発注データを入力していたが、型名、数量が
短期記憶できなく、仕事が能率的にできなく、仕事がたまり、ダウン、2000年4月より2年間休職、
仕事に復帰するが、事務職は無理だと言われ、配送がかりに復職、しばらく配送の仕事をしていたが。
マンションに商品を届けたとき、部屋を間違えずに、正しく届けたという確信がなくなりました。
ユーザー先に、台車をわすれるようになる。住所をたよりに配送先を探し、配送するが車にもどれなくなる。
都庁で配送後、出口を間違えて、車を30分探すようになる、次第に配送の仕事が困難なり、
再度99年とは別の病院の精神科を受診、CTを撮るよう言われて、脳が委縮していると言われ、
アルツマイマー病だといわれる。
2 認知症と診断された時の気持ちについて話していただけますか
若年性の認知症と診断されることは、まったく予想していなかったので、茫然自失
ショックで、医師に予後のことを何も質問できずかえる。
その後、しばらくして落ち着いてから、アルツハイマーの本を買い、認知症のことを勉強する。
多くの本には、何もわからなくなるとか、6年から10年で全介護になるとの記述に、さらに絶望して希望をうしなう。
医師には今後の予後は人によりことなるので、はっきりしたことは言えないが、何か問題が発生したら
一緒に考えていきましょうねと言ってほしかった。
いきなり認知症と言わずに、認知症の疑いがありあります。セカンドオピニオンを求めてもよいですよ。
と言ってまおらいたかった。人生を楽しみたったかったので、会社はすぐにやめた。
3 認知症と生きる中で知ったふたつの偏見とは?
「認知症への偏見をなくす」と言うのが私の希望です。認知症は軽度であれば、いろいろな能力がのこされています。
にもかかわらず「認知症と診断されればなにもできなくなる」という誤解や偏見をなくす。
社会にある認知症に対する偏った情報、誤った見方は、認知症と診断された人自信それを信じさせてしまいます。
こと偏見は、」認知症といきようとする力を奪い、認知症といきる希望を覆い隠してしまうのです。
自分の中の偏見
一つは私自身のなかにあります。私は、認知症になると、なにもできなくなる,意志も感情もなくなると
ある本に書いてあったので、それを信じ、「何もできなくなると思いこみ」私自身が一時何もできなくなりました。
しかしそれは、偏見で確かにかんじはかけなくなりました、タブレット端末もパソコンも使えるし,
自分の意志も他人に伝えることが出来ます。
社会の偏見
もうひとつは,社会にあります。私の経験をいくつか紹介します。
新しいことを覚えられない
認知症のことを知るために読んだ多くの本や講習会では共通して,
「認知症になるとすべての人が新しいことを覚えられない」ということが述べられていました。
本当にそうでしょうか?
後ほど,私自身の経験を紹介します。
分からないだろう
かかりつけの眼科を受診した時のこと。 その医師には,私が認知症と診断されたことを伝えてありました。
ある時,医師から頭部のMRIを撮るようにと指示されたのですが,脳外科に行く理由やMRIを撮る理由の説明はありませんでした。
説明しても,分からないだろう。説明しても,仕方ない。そういった医師の思いを感じました。
出来ないだろう
知人がボランティア先を紹介してくれました。先方からも依頼があったので,ボランティアを始めました。
しかし,休みの日の連絡が来ないなど「私のことをあてにしていない」といった対応がありました。
来ても来なくても構わない。私にはできないだろうと思われていたのでした。
そのボランティアは辞めましたが, 認知症の診断を受ける前から参加している別のボランティアは今でも続けています。
言葉を待たない
私の言葉を待たずに,周りの人が「こういうことですよね」と口を出すことがあります。
その人はよかれと思って代弁しているのかもしれませんが,認知症の人はうまく思いを言葉にできないという思い込み,
偏見ではないでしょうか。うまく言葉にできない人もいるかもしれませんが,人によって違うのです。
一人暮らしは無理です
ある時,日記を書いていたパソコンが故障し,直し方が分からなくなって, パニックを起こし,病院に駆け込みました。
その時,医師から「若い男性の一人暮らしでは訪問ヘルパーの利用はできない。グループホームに入居したらどうか」と言われました。
こう言われて,施設に入るか,一人暮らしを続けるか,私はずいぶん悩みました。
医師は無理だと言うけれど,私は一人暮らしを続けたかったのです。
実際に,今私は訪問ヘルパーを利用しながら,自宅マンションで暮らしています。
あの時の医師の言葉は,単なる決めつけだったのだと思います。
子ども扱い
デイサービスに見学に行ったときのこと。
職員さんが一生懸命にやっているのはよく分かりますが,いい大人に向かって風船バレーをさせるなんて子どもじゃあるまいし,
バカにしていると思いました。
デイサービスでは,ただひたすら時間をつぶすというような感じで,来ている人がどのように過ごしたいか,といった配慮はありませんでした。
4 精神的に辛い思い状況があったと思いますが、どのように立ち直られたのですか
実家に50日過ごしましたが、することもなく私は、クリスチャンですので、教会に通いたく埼玉にもどってきました。
その時、聖書の言葉、「神はたられない試練にはあわせない」との言葉にすくわれました。
それから教会の人が、聖歌隊にはいって、歌を歌わないかと言われたので、聖歌隊で歌を歌っているうちに、
神を賛美知ることが、自分の使命のように思われ、歌うことが生きがいになりました。
5 できないこと、どんなことで困るか、暮らしにくさについて教えてください
・食事の準備ができない。
・今日が何曜日かわからないので、お薬カレンダーみても薬を飲んだかどうかわからないので、
携帯電話で曜日をかくにんして、お薬カレンダーの今日の欄にお薬がまだ残っていれば飲む。
・文字を書き写すことができない。
・人の名前を覚える事に時間がかかる。
・なにをするにも大きな気力を要する。
・階段の上り,下りが厳しい。
・新しい場所に一人で行くことができない。
・時間感覚がない。
・同時に二つのことが出来ない。(テレビを見ながら、お風呂のお湯はりができない)
・記憶力の障害があり、電話で聞いたことをすぐわすれてします。(約束時間、場所をすぐに忘れてしまう。)
・整理整頓ができない。
・モノをよく失える。
・買い物、小銭で支払うのに時間がかり、ついお札で払い、小銭ばかりがたまる。
・何回か訪問した場所でも最寄駅を忘れてしまう。
・はじめての場所では、帰り道も案内されないと、戻れない。
・同じ店に何回行っても、商品の配列が覚えられない。
・駅のアナスンスをすぐに忘れてしますので、乗ってから正しい電車に乗り込んだか不安になる。
つづく
※写真は岡山市城下にて。手前から桃チャリ。タクシー。めぐりん(100円バス)、市電(岡電)です。
以下、全文(原文ママ)です。
9月12日鎌倉の行った講演内容
20140912講演資料 認知症の私が伝えたいこと
1 認知症と診断されるまでの経緯について教えてください
1999年ごろから課内会議に議事録が書けなくなり、精神科を受診異常なし。
パソコン、FAX,電話機、ワープロの発注データを入力していたが、型名、数量が
短期記憶できなく、仕事が能率的にできなく、仕事がたまり、ダウン、2000年4月より2年間休職、
仕事に復帰するが、事務職は無理だと言われ、配送がかりに復職、しばらく配送の仕事をしていたが。
マンションに商品を届けたとき、部屋を間違えずに、正しく届けたという確信がなくなりました。
ユーザー先に、台車をわすれるようになる。住所をたよりに配送先を探し、配送するが車にもどれなくなる。
都庁で配送後、出口を間違えて、車を30分探すようになる、次第に配送の仕事が困難なり、
再度99年とは別の病院の精神科を受診、CTを撮るよう言われて、脳が委縮していると言われ、
アルツマイマー病だといわれる。
2 認知症と診断された時の気持ちについて話していただけますか
若年性の認知症と診断されることは、まったく予想していなかったので、茫然自失
ショックで、医師に予後のことを何も質問できずかえる。
その後、しばらくして落ち着いてから、アルツハイマーの本を買い、認知症のことを勉強する。
多くの本には、何もわからなくなるとか、6年から10年で全介護になるとの記述に、さらに絶望して希望をうしなう。
医師には今後の予後は人によりことなるので、はっきりしたことは言えないが、何か問題が発生したら
一緒に考えていきましょうねと言ってほしかった。
いきなり認知症と言わずに、認知症の疑いがありあります。セカンドオピニオンを求めてもよいですよ。
と言ってまおらいたかった。人生を楽しみたったかったので、会社はすぐにやめた。
3 認知症と生きる中で知ったふたつの偏見とは?
「認知症への偏見をなくす」と言うのが私の希望です。認知症は軽度であれば、いろいろな能力がのこされています。
にもかかわらず「認知症と診断されればなにもできなくなる」という誤解や偏見をなくす。
社会にある認知症に対する偏った情報、誤った見方は、認知症と診断された人自信それを信じさせてしまいます。
こと偏見は、」認知症といきようとする力を奪い、認知症といきる希望を覆い隠してしまうのです。
自分の中の偏見
一つは私自身のなかにあります。私は、認知症になると、なにもできなくなる,意志も感情もなくなると
ある本に書いてあったので、それを信じ、「何もできなくなると思いこみ」私自身が一時何もできなくなりました。
しかしそれは、偏見で確かにかんじはかけなくなりました、タブレット端末もパソコンも使えるし,
自分の意志も他人に伝えることが出来ます。
社会の偏見
もうひとつは,社会にあります。私の経験をいくつか紹介します。
新しいことを覚えられない
認知症のことを知るために読んだ多くの本や講習会では共通して,
「認知症になるとすべての人が新しいことを覚えられない」ということが述べられていました。
本当にそうでしょうか?
後ほど,私自身の経験を紹介します。
分からないだろう
かかりつけの眼科を受診した時のこと。 その医師には,私が認知症と診断されたことを伝えてありました。
ある時,医師から頭部のMRIを撮るようにと指示されたのですが,脳外科に行く理由やMRIを撮る理由の説明はありませんでした。
説明しても,分からないだろう。説明しても,仕方ない。そういった医師の思いを感じました。
出来ないだろう
知人がボランティア先を紹介してくれました。先方からも依頼があったので,ボランティアを始めました。
しかし,休みの日の連絡が来ないなど「私のことをあてにしていない」といった対応がありました。
来ても来なくても構わない。私にはできないだろうと思われていたのでした。
そのボランティアは辞めましたが, 認知症の診断を受ける前から参加している別のボランティアは今でも続けています。
言葉を待たない
私の言葉を待たずに,周りの人が「こういうことですよね」と口を出すことがあります。
その人はよかれと思って代弁しているのかもしれませんが,認知症の人はうまく思いを言葉にできないという思い込み,
偏見ではないでしょうか。うまく言葉にできない人もいるかもしれませんが,人によって違うのです。
一人暮らしは無理です
ある時,日記を書いていたパソコンが故障し,直し方が分からなくなって, パニックを起こし,病院に駆け込みました。
その時,医師から「若い男性の一人暮らしでは訪問ヘルパーの利用はできない。グループホームに入居したらどうか」と言われました。
こう言われて,施設に入るか,一人暮らしを続けるか,私はずいぶん悩みました。
医師は無理だと言うけれど,私は一人暮らしを続けたかったのです。
実際に,今私は訪問ヘルパーを利用しながら,自宅マンションで暮らしています。
あの時の医師の言葉は,単なる決めつけだったのだと思います。
子ども扱い
デイサービスに見学に行ったときのこと。
職員さんが一生懸命にやっているのはよく分かりますが,いい大人に向かって風船バレーをさせるなんて子どもじゃあるまいし,
バカにしていると思いました。
デイサービスでは,ただひたすら時間をつぶすというような感じで,来ている人がどのように過ごしたいか,といった配慮はありませんでした。
4 精神的に辛い思い状況があったと思いますが、どのように立ち直られたのですか
実家に50日過ごしましたが、することもなく私は、クリスチャンですので、教会に通いたく埼玉にもどってきました。
その時、聖書の言葉、「神はたられない試練にはあわせない」との言葉にすくわれました。
それから教会の人が、聖歌隊にはいって、歌を歌わないかと言われたので、聖歌隊で歌を歌っているうちに、
神を賛美知ることが、自分の使命のように思われ、歌うことが生きがいになりました。
5 できないこと、どんなことで困るか、暮らしにくさについて教えてください
・食事の準備ができない。
・今日が何曜日かわからないので、お薬カレンダーみても薬を飲んだかどうかわからないので、
携帯電話で曜日をかくにんして、お薬カレンダーの今日の欄にお薬がまだ残っていれば飲む。
・文字を書き写すことができない。
・人の名前を覚える事に時間がかかる。
・なにをするにも大きな気力を要する。
・階段の上り,下りが厳しい。
・新しい場所に一人で行くことができない。
・時間感覚がない。
・同時に二つのことが出来ない。(テレビを見ながら、お風呂のお湯はりができない)
・記憶力の障害があり、電話で聞いたことをすぐわすれてします。(約束時間、場所をすぐに忘れてしまう。)
・整理整頓ができない。
・モノをよく失える。
・買い物、小銭で支払うのに時間がかり、ついお札で払い、小銭ばかりがたまる。
・何回か訪問した場所でも最寄駅を忘れてしまう。
・はじめての場所では、帰り道も案内されないと、戻れない。
・同じ店に何回行っても、商品の配列が覚えられない。
・駅のアナスンスをすぐに忘れてしますので、乗ってから正しい電車に乗り込んだか不安になる。
つづく
※写真は岡山市城下にて。手前から桃チャリ。タクシー。めぐりん(100円バス)、市電(岡電)です。