岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

FOUJITA (藤田)3

2006-06-05 22:37:40 | 日本の仲間
1913年。フランスに渡った藤田の前で第1次世界大戦が始まり、日本からの
仕送りも途絶え、赤貧洗うがごとしの生活を余儀なくされる。
そして5年後、ようやく藤田独自のスタイルが完成する。
これが「乳白色の裸婦」である。
実物をみると画集では表せない細かな線と色使いに驚く。
当時のフランス人の驚きがわかるようだ。

この油彩は水彩と見間違うほどに淡く感じるが、実際現物をみると思いの
ほか立体感がある。
以後、だんだんに現れてくる「肉感的」な表現が、すでにこの20年あたりに
登場している。
しかし、藤田はこの評判の「乳白色の裸婦」スタイルに磨きをかけながらも
制約を受けてしまう。1928年までの10年間は、彼の黄金時代であり、停滞の
時期であったといえるのではないだろうか。

作家自身が次の時代の時代を模索している時の「旅」は重要な位置を占める。
それはゲーテのイタリア旅行のように。
パリと南仏。ドイツとイタリア。中欧と地中海。
それは光線とその下の人々からの刺激だ。

かって、エーゲ海の船旅をした時、ギリシャは素晴らしい彫刻が生まれる
国だと直感した。
船から見るエーゲ海は、強い光線と紺碧の海と褐色の島影から構成されて
おり、この自然こそが、ギリシャ彫刻を生み出したのだと思ったものだ。
まさに自然が超立体なのだ。
平凡な旅人でもそのような思いを持つのだから、芸術家の感性に与える
刺激はすざましいものがあるに違いない。

藤田も1931年旅立つことになる。行く先は中南米である。
この色彩ゆたかな国々に旅だった彼に何が起こるのかは想像できるのでは
ないだろうか。
12年間にも渡った彼の「乳白色の裸婦」スタイルが大きく変わることになる。

日本帰国2年前のことである。

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