佐藤雅彦さんがfbで発表された記事を「佐藤雅彦さんと認知症のページ」に加えさせていただきました(岩清水)。
過去に国際会議で認知症への偏見に対する意見発表をしてきました
In 2005,when my doctor told me” You have Alzheimer-type dementia,” my mind went
blank, and I could not even think of any questions to ask.
Afterward, I read every book that I could find on “Alzheimer’s” wanting to learn more
about it. But the more I learned, the more devastated I became. Every book seemed
to be dedicated to detailing a roadmap to despair, and told me that if I had dementia,
“no longer to be able to think,” “no longer to be able to live a normal life” and in time,
“forget who I was “ and lose all will and emotion.”
Now I know that what was written in those books was not true. Human beings
cannot be defined by what they can or cannot do. Nothing can rob me of my sense of
self. How I live is something that I can decide, and put into action for myself.
Living with dementia , I came to know two stigmas. One was with in me. With the
stigma that I would “ no longer be able to do anything” over me. I found myself
paralysed by the fear that I would fail.," The other stigma came from society.
“No longer be able to think,” “no longer be able to understand,” not true
NOT TRUE
It is these two stigmas, the one that society marks you with, and one that is born within
you as a result, that can take any the strength you need to live with dementia,
and obscure any hope you might have of living with dementia.
訳
2005 年。「あなたはアルツハイマー型認知症です。」と医師から言われた時、
私は頭が真っ白になり、質問することすらできませんでした。
その後私は「アルツハイマー」に関する本を片っ端勉から勉強しました。
でも、知識が増えるごとに、私は打ちのめされていきました。
なぜなら、どの本にも絶望への道筋しか記されていなかったからです。
それは、認知症になると、「考えることができなくなる」「日常生活ができなくなる」
いずれ、「自分自身のことが分からなくなる」「意志も感情もなくなる」というものでした。
今、私は、それらの本に書かれていたことが真実でないことを知っています。
「できる、できない」だけで人間を語ることはできません。
自分が自分であることはなにによっても失われることは、ありません。
自分がどのように生きていくのかは、自分で決め、自分の生活は自分で作ることができます。
認知症と生きる私は、二つの偏見を知りました。
一つはに自分の中にありました。
私自身、何もできなくなってしまう」という偏見(先入観)にとらわれ、
「失敗ばかり、するのではないか」という、不安に、身動きが取れなくなりました。
もう一つは、社会にあります。認知症なると「考えることができなくなる」
否 「何もわからなくなる」
否 社会が持つ認知症への偏見(先入観)それによって生まれる自の中の偏見。
これらの2重の偏見は、認知症とともに生きようとする認知症当事者の力を奪い、
認知症当事者の生きる希望を覆い隠すものです。
※原文のままです。日本語のみ改行しました(岩清水)。
過去に国際会議で認知症への偏見に対する意見発表をしてきました
In 2005,when my doctor told me” You have Alzheimer-type dementia,” my mind went
blank, and I could not even think of any questions to ask.
Afterward, I read every book that I could find on “Alzheimer’s” wanting to learn more
about it. But the more I learned, the more devastated I became. Every book seemed
to be dedicated to detailing a roadmap to despair, and told me that if I had dementia,
“no longer to be able to think,” “no longer to be able to live a normal life” and in time,
“forget who I was “ and lose all will and emotion.”
Now I know that what was written in those books was not true. Human beings
cannot be defined by what they can or cannot do. Nothing can rob me of my sense of
self. How I live is something that I can decide, and put into action for myself.
Living with dementia , I came to know two stigmas. One was with in me. With the
stigma that I would “ no longer be able to do anything” over me. I found myself
paralysed by the fear that I would fail.," The other stigma came from society.
“No longer be able to think,” “no longer be able to understand,” not true
NOT TRUE
It is these two stigmas, the one that society marks you with, and one that is born within
you as a result, that can take any the strength you need to live with dementia,
and obscure any hope you might have of living with dementia.
訳
2005 年。「あなたはアルツハイマー型認知症です。」と医師から言われた時、
私は頭が真っ白になり、質問することすらできませんでした。
その後私は「アルツハイマー」に関する本を片っ端勉から勉強しました。
でも、知識が増えるごとに、私は打ちのめされていきました。
なぜなら、どの本にも絶望への道筋しか記されていなかったからです。
それは、認知症になると、「考えることができなくなる」「日常生活ができなくなる」
いずれ、「自分自身のことが分からなくなる」「意志も感情もなくなる」というものでした。
今、私は、それらの本に書かれていたことが真実でないことを知っています。
「できる、できない」だけで人間を語ることはできません。
自分が自分であることはなにによっても失われることは、ありません。
自分がどのように生きていくのかは、自分で決め、自分の生活は自分で作ることができます。
認知症と生きる私は、二つの偏見を知りました。
一つはに自分の中にありました。
私自身、何もできなくなってしまう」という偏見(先入観)にとらわれ、
「失敗ばかり、するのではないか」という、不安に、身動きが取れなくなりました。
もう一つは、社会にあります。認知症なると「考えることができなくなる」
否 「何もわからなくなる」
否 社会が持つ認知症への偏見(先入観)それによって生まれる自の中の偏見。
これらの2重の偏見は、認知症とともに生きようとする認知症当事者の力を奪い、
認知症当事者の生きる希望を覆い隠すものです。
※原文のままです。日本語のみ改行しました(岩清水)。