岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

第9章 歓待   『イデアと制度』 多賀茂著から

2008-10-24 22:41:00 | 
やはり、深く示唆に富む考察です。
結論的な個所を、抜き出して引用することは避けなければならないことは理解している
つもりですが、メモとして記すことを許していただきたい。
私は、「看護とは何か」について、歴史的考察を知りたかったのですが、この章で多くのことを
学ぶことができました。

看護の起源=第一の始まりは、初期キリスト教の婦人助祭による慈善活動であったという。
「ランプをかかげる人」といえば、訪問看護婦のことだった。
彼女らの活動は以下のようなものだった。

飢えている人に食べ物を与え
渇している人には水を与え
裸の人に衣服を与え
家なき人には住居を
病める人には看護を
死せる人には埋葬をしてあげなさい

訪問看護婦の活動は、今の看護の定義からは考えられない広さがあった。
このことが、看護の全体性といわれることであり、「現在の看護」に至る道筋は
「看護の疎外」の道のりであったという。
「看護の疎外」とは、本来、看護が担う立ち位置にいないことによる疎外のことである。
これは、医学と看護の棲み分けという歴史的経緯でもある。
また、医学が18世紀から19世紀にわたる科学の伸長の中で中心的役割を果たしていくにあたり、
看護の持つ宗教的要素を切り離していったという。
このことは、医療全体が、人間を包括的に見ることをしなくなった理由になるかもしれない。

病院は「病人を迎える所」というのが一般的定義ではないだろうか。
しかし、歴史的に遠望してみても、それは自明のことではない。

病院は「受け入れるところ」という意味があり、もっと深く考察すれば、
「迎えられるもの」と「迎えるもの」が同じ言葉であり、
「そこでは主体と客体の区別そのものを溶解させる必要がある。『病院は病人を客と
して迎える』というのでも『病院では病人が主人である』というのでもない。病院は
医師が医師でなくなり、看護師が看護師でなくなり、そして患者が患者でなくなる契機、
<ひと>が<ひと>と出会う契機を必ず通過しなければならないということなのである」。
非常に重要な指摘である。

この文章は、もちろん病院だけではなく、介護施設にも(歴史的には病院と介護施設は
同じものだった)当てはまる。
利用者を「お客様」として迎えるだけではなく、スタッフと利用者に「迎えるもの」と
「迎えられるもの」という区別がなくなる契機を必ず通過しなければならないということである。

もうひとつ。
「もし絶対的な歓待というものがあるとすれば、それは『私の中にいかにして他者の場があるか』
という問いそのものなのである」

この言葉は、人生訓として書き直すと、
「人は、自らの中に他者の場をつくるべし」となるのかもしれない。
その時、自他の区別は溶解してしまっているのだろう。

私が、著者の意を理解できているとは思えませんが。この点はご容赦ください。

写真は岡山大学医学部付属病院。屋上にへリポートがある。

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