毎晩、総合グランドに散歩に出かけています。
1時間近く車いすを押しています。
最近、父親は楽しくなったようです
あっちへ行こう、こっちへいこうとなかなか帰ろうとしません。
「はい喜んで!」とうろうろしています。
父親は、総合グランドを練兵場と呼びます。
練兵場だったのは、戦争中までの話です。
木々をみては、大きくなったな―といいます。
いつの時代と比較しているのでしょう。
その「練兵場」をうろうろしていると、水泳プールの前に新しい像ができていました。
まだ、像には布がかかっており、大きな水の玉に乗っています。
この玉は、この近くの山から採れる万成石でできていました。
碑もできていました。
そこには、「詠縁」と書かれていました。
そうか、木原美知子さんの像だ、すぐに分かりました。
今まで総合グランドには、人見絹枝さん、有森裕子さんと銅像が建っています。
次に建つとしたら、木原美知子さんしかいません。
木原さんはこの近くで生まれ育ち、大学に行くまでは岡山にとどまりました。
スポーツ選手がアイドルになったのはこの人が最初ではないでしょうか。
この近くのマンションに利用者さんを訪問した折に、
「木原美知子さんが通った小学校区ですね」と聞きますと、
「あの子が小学校に通う姿をよく見ました」と懐かしく話されました。
「大きな子どもだったけれど、足の悪い友達の面倒をみて一緒に通っていた。
優しい子だった」
こうして書いていても、胸に迫るものがあります。
僕たち少年の憧れの女性でした。
彼女はこの総合グランドのプールで練習を重ね、世界に飛び出しました。
彼女の顕彰碑がここに建つのがもっとも相応しいと思います。
今日、10月7日、除幕式があったことを知りました。
山陽新聞に動画が掲載されていました。
1時間近く車いすを押しています。
最近、父親は楽しくなったようです
あっちへ行こう、こっちへいこうとなかなか帰ろうとしません。
「はい喜んで!」とうろうろしています。
父親は、総合グランドを練兵場と呼びます。
練兵場だったのは、戦争中までの話です。
木々をみては、大きくなったな―といいます。
いつの時代と比較しているのでしょう。
その「練兵場」をうろうろしていると、水泳プールの前に新しい像ができていました。
まだ、像には布がかかっており、大きな水の玉に乗っています。
この玉は、この近くの山から採れる万成石でできていました。
碑もできていました。
そこには、「詠縁」と書かれていました。
そうか、木原美知子さんの像だ、すぐに分かりました。
今まで総合グランドには、人見絹枝さん、有森裕子さんと銅像が建っています。
次に建つとしたら、木原美知子さんしかいません。
木原さんはこの近くで生まれ育ち、大学に行くまでは岡山にとどまりました。
スポーツ選手がアイドルになったのはこの人が最初ではないでしょうか。
この近くのマンションに利用者さんを訪問した折に、
「木原美知子さんが通った小学校区ですね」と聞きますと、
「あの子が小学校に通う姿をよく見ました」と懐かしく話されました。
「大きな子どもだったけれど、足の悪い友達の面倒をみて一緒に通っていた。
優しい子だった」
こうして書いていても、胸に迫るものがあります。
僕たち少年の憧れの女性でした。
彼女はこの総合グランドのプールで練習を重ね、世界に飛び出しました。
彼女の顕彰碑がここに建つのがもっとも相応しいと思います。
今日、10月7日、除幕式があったことを知りました。
山陽新聞に動画が掲載されていました。
スポーツ選手がアイドルになるのはすごいと思います。そして人格も立派とは本当にすごいと思います。
顕彰碑などは本人のゆかりの地にあったほうがいいと思いました。
僕は鹿児島国際大学の1年で社会福祉概論を受講しているものです。
今回コメントするよう言われたので失礼します。
最初の方で気になったのですが、お父さんは何歳になられるのでしょうか?
戦時中の話はとても気になりました。
この記事にコメントを頂いたことが嬉しかったですね。
私がhi09さんの年頃には、顕彰の意味や、銅像を建てる意味がわかりませんでした。
少し不遜の学生だったわけです。
人々の努力や功績に対しての理解が浅かったのです。
しかし、経験を重ねてくると、歴史の積み重ねや先輩たちの思いを継承することの意味が少しわかった気がします。
hi09さんにも憧れの人がいますか。
学校の中にもいるかもしれませんね。
「練兵場」ですね。
自宅の近くには、戦争が終わるまで陸軍の連隊本部がありました。
今は岡山大学になっています。
そして、練兵場は広い運動場のようなもので兵隊が訓練をしていました。
父親は、少年時代にその練兵場を見て育っていたのです。
父親は大正11年生まれです。何歳でしょう。
ガンタさんの祖父さんの生まれは何年でしょうか。昭和10年ごろの生まれでしょうね。
将来、高齢者福祉を仕事にされることになれば
昭和の話もいっぱい聞くことができるようになると思います。
楽しみにしてください。