この問いは、東浩紀さんがつぶやいたと、高橋源一郎さんが朝日新聞の『論壇時評』で書かれている。
記事では「戦後に似ているのか、戦中に似ているのか」という問いではあるが。
私は戦後の焼け跡を知らないのだが、廃墟に佇みながらもそこには青い空があったというイメージを持つ。
一方、戦争中なら、いつ終わるかしれない空襲下の風景が浮かぶ。
母親がよく話すが、
戦争が終わってなにが嬉しかったかといえば、
「今日から空襲がなくなった」ことだという。
いつ頭に爆弾や焼夷弾が落ちてくるかわからない。
すなわち、いつ死ぬかわからないという恐怖に曝されなくてもよくなることが
一番の喜びだったというのは至極もっともなことだ。
ところで、福島原発の核燃料溶融の進行が抑えきれるかどうかの瀬戸際で時間が経過しているのもに関わらず、
「なんとかなるのでは」というムードはないだろうか。
とても根拠があやしい雰囲気があると思う。
これは「皆で渡れば怖くない」と原発政策を推進してきたムードがいまも続いている証とも言える。
今も私たちは、いつ爆撃機が爆弾を頭の上に落とすかわからない戦時下にあるのだ。
まずは敗戦でもいい戦争を終わらせたいというなら、原発をヤメにする以外に方法はない。
原発がある限り、今度の戦争は終わらない。
戦後の青空を見たいなら、原発から手を引くしかないと思っている。