2011年の3月11日を思い出します。
岡山市の地域包括センターの業務で家庭訪問していました。
そのお宅のテレビに、東北地方の海岸(平野部でした)に次々と津波が押し寄せるシーンが写っていました。
大地震があったことも知りませんでしたので、唖然として画面を見入りました。
津波から逃げ惑う自動車を追いかけるように撮られた映像はヘリコプターからものでした。
午後3時台だったのでしょう。
事務所に帰ると、職員はなにも知らない様子でした。
そして、その夜は、東北から寄せられる断片的なニュースに震えながら時を過ごしました。
暗闇の中、気仙沼が燃えている映像が目に焼き付きました。
浜辺に多くの遺体が打ち上げられているとのラジオ報道には慄きました。
ラジオを夜中もつけたままの状態がつづきました。
そして、原発爆発です。
このニュースには絶望さえ感じました。
自然災害ではない、人が作り出した原発の事故です。
そしてその影響は半永久的です。
東北大震災は、今までの災害とはまったく次元の違う災害へと変わってしまいました。
3月中に仕事をやめて4月から私にできる範囲の東北支援をはじめました。
仕事を辞める理由は、親の介護でした。
それから8年が経過しました。
まだ行方不明の方の捜索が続いています。
岡山にも原発から避難した人々が大勢おられます。
困難はまだまだ続きます。
お読みいただきありがとうございました。