岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「5月の終りの乾いた午後」

2005-05-30 10:36:27 | 世界のなかま
窓の外に、竿にぶら下がった洗濯物があって、
その向こうに5月の桜の樹が見える。
2ヶ月間で、葉も色濃くなり力も増した。
窓から入る風もまだまだ心地よい。

日曜の午後の一刻、本を読みながらとめどもなく考えを
めぐらしている。
昨日は、遠くの図書館にいった。
その街の歴史を知るには図書館がいい。
郷土の本は、その街にいくのが一番だから。
もちろん、閲覧しかできない。時間が限られるから、
その地方の映像100年史などが面白い。

その中で必ずといってよいほど、「ほー」という写真がある。
写真として残るは、学校の記念写真、行事の写真、風水害が多い。
地元の偉人も登場する。
その土地に、鉄道がひかれ、どのような学校ができ、
産業が発達したか、写真が教えてくれる。
そして大きな戦争が幾度かあった。出征兵士の写真も多い。
でも彼らが帰ってきた時の写真はない。

図書館を出て山里を歩く。
村には墓地がある。
そこには写真集の載っていたかもしれない出征兵士の墓標が
数多くある。
将官などの墓標はほとんどいない。
軍曹や伍長どまりである。
遺族の方が、兵士となった家族の一員の戦地での歩みを辿り、
墓標に刻んでいる。
中国戦線から、最後に南の島に渡り、かの地で命を落とした人が
多い。
彼らは、靖国ではなくこの故郷の村に、愛する人々がいる村に
帰ってきたかったと思う。
村には確かに戦争があったのだ。
その墓標の数だけ悲劇はあったのだ。

当時、街中から農村に、志願兵募集に歩いた人々がいる。
その人々の話を聞いて愛国の思いにかられた10代の少年たちが
親の反対を振り切り入隊し、南の島へ渡って行った。
そして、山里には兵士の墓標が増えていった。
志願兵募集に歩いた人々の痛恨の思いも長く続いた。

戦後60年、今だ帰国できていない兵士がいる。
今も遺骨を持ちかえろうとしている人もいる。
区切りがつかないのが戦争なのだ。

日本には爽やかな5月がある。
望郷の思いを募らせる年老いた兵士に、このかけがえのない自然を
再び味わっていただきたい。



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