岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「港町 気仙沼」 東北の旅45  気仙沼市2

2013-06-05 06:10:33 | 東北 2013年4月
宿では夕食は準備できません。
夕食を食べるために町の中心に出かけました。
もちろん、復興商店街がお薦めとのことでした。

車で港まで行きました。









津波の爪痕が残っています。

夕やみ迫る気仙沼港は、港町の風情を感じさせとても魅力的でした。
一目見て大好きになりました。
復興商店街も港にありました。
これはとても珍しいことです。
他の多くの復興商店街は学校や公共施設の更地を利用していますが、
この商店街は港町の屋台村の感じがあって親しみやすくなっていました。









海鮮は美味しい。けど疲れたのかラーメンと餃子を食べたくなった。
これもうまかった。





気仙沼湾が港の奥まで入り込んでいる。
港の周りが高台になっている。
それが港町らしい情緒を醸し出している。
小さなシドニーのようだ。
こんな港が大好きだ。




NHK東日本大震災アーカイブスより

私は津波の浸水域の中を移動していた。
冒頭に写真は大島へ向かうフェリーです。
大島も多大な被害を受けました。
大島の言い伝えに、津波で島が3つに分かれるという話があるそうです。
島民の方もまさかと思われていたのですが、今回の大震災でほぼその状態になりました。
言い伝えは事実だったのです。

船から脱出し火の海から逃れた方の動画です。
NHK東日本大震災アーカイブスより



wikiより引用します。

当市域はかつて本吉郡に属していたが、北側に隣接する岩手県沿岸南部の気仙郡地域(大船渡市・陸前高田市ほか)とは古くから一つの地域圏を形成しており、江戸時代には同じ仙台藩に属していた背景から方言も近似する。現在でも県境を越えた交流が深く、当市は三陸海岸南部の商業拠点となっている。また、変化に富んだリアス式海岸の観光も発展している。

特定第三種漁港の気仙沼漁港を初めとした市内の各漁港は、三陸海岸での沿岸漁業・養殖漁業、世界三大漁場「三陸沖」での沖合漁業、さらに世界の海を対象にした遠洋漁業の基地として機能し、関連する造船から水産加工までの幅広い水産業が立地する。

このような背景から当市は、気仙沼都市圏の中心市としての買物客の集客や各地から訪れる観光客に加え、カツオを追って北上してくる千葉県・高知県・宮崎県などの漁船、サンマを追って南下してくる北海道などの漁船に乗った日本各地の漁民が行き交い、遠洋漁業の外国人乗組員や水産加工に従事する外国人研修者が働き、特産のフカヒレを買い求める中国人バイヤーなどが訪れる、常住人口に比して交流人口が多種多様な県内有数の交流拠点の1つである。名物の1つである「気仙沼ホルモン」は、このような人々の広域な交流と産業背景から生み出されたものとして知られる。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、地震そのものの被害に加え、津波・火災・地盤沈下によって大きな被害を受けた。


最新の画像もっと見る