
裁判員制度が「模範的」スタートを切ったとの報道を見聞しています。
時間をかけた準備。
裁判所、検察、弁護士間の連携。
裁判員の選定。
どのように打ち合わせがなされたのか、ほとんど知らないのですが、
不透明な印象を持ちます。
最近の私自身のものの捉え方を少し引いて見てみると、「経過が見えにくい」ことが
ひっかかりに繋がっているようです。
「どうして、このようになったのか」がわかる。
これが納得の条件になるようです。
「経過の透明化」です。
日本の官僚制度には、顔がないと言われますが、今回の裁判員制度についても
顔があるという印象はありませんでした。
「裁判員制度の顔」をつくることができれば私にはわかりやすかった気がします。
サッカー協会のチェアマンのような対外的な説明者です。
その場合は、特定の「顔」になります。
「顔」が特定できれば理解がはやまります。
「顔」には責任がともないますから、官僚制度にはなじまないのでしょうが、
ここをクリアしなければ、官僚は信頼されないと思います。
官僚は、「名前なくして役職あり」ですが、このバランスを変えていくことでしょう。
特に司法は、まったく顔がありません。
今や、お上の考えだから聞くしかないとは国民は思わなくなっているのではないでしょうか。
さて、第1回裁判員裁判の感想ですが、
特徴としては、
1.「劇場」化したと言われています。
「小泉劇場」という先例がありますが、こちらは演劇関係者から、劇場はあんなものではないと厳しく批判されました。
ですから、「理解されやすい裁判」という程度でしょう。
今まではまったく不親切でした。
裁判を傍聴しようとしても、裁判所のどの場所で行われているかもよくわかりません。
裁判所は、開かれている感じはしませんでした。
もちろん、他の役所もそうです。
その点、法廷の中はわかりやすくなったのでしょう。
評価する点です。
2.量刑が重くなる。
求刑が16年で、判決が15年でした。
裁判員にとっては、量刑の相場というものは知識としてはないといっていいでしょう。
ある裁判員の方は量刑に関してはまったくわからないと言われていました。
その通りではないでしょうか。
そのような状況におかれると、求刑の16年というのが大きな基準になります。
判決の15年は、多くの裁判員が求刑通りでいいと判断したのではないでしょうか。
1年短くしたのは、求刑通りではまずいという考えが採用されたからでしょう。
この結果に検察は「ほぼ完璧」といい、被告弁護側は「対応を迫られている」と
発言しています。
今後の経緯を細かく見ていくことで必要です。
そして、修正することも視野にいれるべきです。
さて、裁判員制度は、一審のみです。
このことがきちんと広報されているとは思えません。
被告側は控訴を検討しています。
控訴審では裁判員はいませんが、今まで以上に一審の判決が重視されることは
間違いありません。
被告側にとって、ますます厳しい裁判になるでしょう、
このような裁判のかたちがよいのか、私にはまだ判断がつきません。
最後に、裁判員の方が
「思ったほど負担にならなかった」
「被告の生育歴を知ると、判決をすることが重かった」と
かなり差のある感想を見聞しました。
負担を軽くしたいのは心情ですが、判決は被告の人生を左右する重い決断です。
刑務所の1年は、塀の外の1年とは比較にならないほど過酷と聞きます。
今は安堵感があるでしょうが、やがて重い負担がかかってくるようにも感じます。
裁判員の「その後」も知る必要があると思います。
※岡山市内総合グランド。スポーツの塔。この池の下には弥生時代の遺跡がある。
時間をかけた準備。
裁判所、検察、弁護士間の連携。
裁判員の選定。
どのように打ち合わせがなされたのか、ほとんど知らないのですが、
不透明な印象を持ちます。
最近の私自身のものの捉え方を少し引いて見てみると、「経過が見えにくい」ことが
ひっかかりに繋がっているようです。
「どうして、このようになったのか」がわかる。
これが納得の条件になるようです。
「経過の透明化」です。
日本の官僚制度には、顔がないと言われますが、今回の裁判員制度についても
顔があるという印象はありませんでした。
「裁判員制度の顔」をつくることができれば私にはわかりやすかった気がします。
サッカー協会のチェアマンのような対外的な説明者です。
その場合は、特定の「顔」になります。
「顔」が特定できれば理解がはやまります。
「顔」には責任がともないますから、官僚制度にはなじまないのでしょうが、
ここをクリアしなければ、官僚は信頼されないと思います。
官僚は、「名前なくして役職あり」ですが、このバランスを変えていくことでしょう。
特に司法は、まったく顔がありません。
今や、お上の考えだから聞くしかないとは国民は思わなくなっているのではないでしょうか。
さて、第1回裁判員裁判の感想ですが、
特徴としては、
1.「劇場」化したと言われています。
「小泉劇場」という先例がありますが、こちらは演劇関係者から、劇場はあんなものではないと厳しく批判されました。
ですから、「理解されやすい裁判」という程度でしょう。
今まではまったく不親切でした。
裁判を傍聴しようとしても、裁判所のどの場所で行われているかもよくわかりません。
裁判所は、開かれている感じはしませんでした。
もちろん、他の役所もそうです。
その点、法廷の中はわかりやすくなったのでしょう。
評価する点です。
2.量刑が重くなる。
求刑が16年で、判決が15年でした。
裁判員にとっては、量刑の相場というものは知識としてはないといっていいでしょう。
ある裁判員の方は量刑に関してはまったくわからないと言われていました。
その通りではないでしょうか。
そのような状況におかれると、求刑の16年というのが大きな基準になります。
判決の15年は、多くの裁判員が求刑通りでいいと判断したのではないでしょうか。
1年短くしたのは、求刑通りではまずいという考えが採用されたからでしょう。
この結果に検察は「ほぼ完璧」といい、被告弁護側は「対応を迫られている」と
発言しています。
今後の経緯を細かく見ていくことで必要です。
そして、修正することも視野にいれるべきです。
さて、裁判員制度は、一審のみです。
このことがきちんと広報されているとは思えません。
被告側は控訴を検討しています。
控訴審では裁判員はいませんが、今まで以上に一審の判決が重視されることは
間違いありません。
被告側にとって、ますます厳しい裁判になるでしょう、
このような裁判のかたちがよいのか、私にはまだ判断がつきません。
最後に、裁判員の方が
「思ったほど負担にならなかった」
「被告の生育歴を知ると、判決をすることが重かった」と
かなり差のある感想を見聞しました。
負担を軽くしたいのは心情ですが、判決は被告の人生を左右する重い決断です。
刑務所の1年は、塀の外の1年とは比較にならないほど過酷と聞きます。
今は安堵感があるでしょうが、やがて重い負担がかかってくるようにも感じます。
裁判員の「その後」も知る必要があると思います。
※岡山市内総合グランド。スポーツの塔。この池の下には弥生時代の遺跡がある。