岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「大林宗嗣の研究」を聴く

2008-02-10 23:31:20 | 社会福祉士
今日は京都市内に出かけた。
関西社会事業史研究会に出席した。
昨日の雪の天気とは打って変わり、太陽が雲から顔を出したりした。
鴨川の道を歩いていくと、京都北山の山々が白く見えた。
カメラで2枚写す。

大林宗嗣については、日本初のセツルメント研究者として表面的な
ことしか知らなかったが、同志社大学大学院の梅木真寿郎先生の
研究成果をお聞きして明治期~昭和前期を生きた一人の先駆者の生涯を
垣間見た。

大林宗嗣の生涯は59年と短いが、1884年に熊本に生を受け、
故郷の美衣教会講習所で受洗し、鎮西学院、青山学院を経て、渡米、
神学校に通うとともにシアトルの日本人教会牧師となった。
8年間の滞米だった。
帰国後は、大阪にあった大原救済事業研究所所員として研究を始めた。
2年後、「ソーシャル・セツルメントの研究」を著した。
その後、教員として同志社大学に勤め、厚生学専攻教授になった。
1944年死去。1ヵ月後「共栄圏民族の厚生文化政策」が出版された。
(梅木真寿郎先生レジュメから)

このように簡単に履歴を読んでも、多彩な人生を歩まれたことがわかるが、
「彼の本当の素顔は、社会事業の論客ではなく、何ごとにも飾らぬ詩人で
あるのだ」という。また、旅を無上の楽しみとしていた。
民衆娯楽への造詣も深い。
キーワードを考えるだけでも、とても興味深い。

梅木真寿郎先生にはぜひ、分厚い書物しての「大林宗嗣論」を
お願いしたい。

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2 コメント

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社会事業史 (bonn1979)
2008-02-11 17:47:29
大林宗嗣
初めて聞きました。

大原救済事業研究所
いまの大原労働問題研究所ですか。

「厚生学」
「厚生文化研究」
に、昭和13年に出来た厚生省をとの連想が。

同志社
の蓄積はすごいですね。 
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厚生学について (岩清水)
2008-02-11 23:01:12
大原救済事業研究所
いまの大原労働問題研究所ですか→はい、そうです。

「厚生学」は、同志社の負の歴史です。同志社の社会福祉学の歴史ではさけては通れませんが、重いものを背負っています。日本基督教団(これも同志社と関係があります)が戦争責任を今でも問うているように、戦時体制の中で戦争に加担していった歴史があります。先生方も絶えずこの問題を心の中心に据えて考えを進められます。私は同志社の出身ではありませんが、思いを共有しているつもりです。
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