人見絹枝さんといえば、日本女子で初めて五輪で銀メダルを獲得した選手として有名ですね。
偉大な選手でありながら、あまり知られていなかった人見絹枝さんを一躍クローズアップさせたのは同じ岡山市出身の有森裕子さんですね。
彼女は郷里の大先輩を深く尊敬しており大きな大会の前には墓参をしていたと聞きます。
今はお二人とも、岡山県総合グラウンドのスタジアム前にその雄姿をとどめています。
有森裕子さんは銅像になっていますが、もちろん今も活発に活動をされています。
人見絹枝さんの銅像の前の碑には彼女の短い人生のトピックスが刻まれています。
明治40年生まれ
岡山高女(現操山高校)、二階堂体育塾(現日本体育大学)を経て、体育教師を短期間し、大阪毎日新聞に入社します。
競技や記者活動に多忙な日々を過ごすのですが、病に倒れ24歳でなくなります。
そのためか、岡山ではスポーツを激しくすると早死にするとまで言われていました。
本当に短い人生でしたが、その濃度は比類なきものです。
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最後に有森さんの雄姿もどうぞ。
お読みいただき有難うございました。