昨日、母が入院先の病院から外出しました。
兄と二人で介助しました。
2年ぶりの帰宅です。
母は、介護施設でベットから落ち股関節骨折をしたも、手術ができなく安静にして骨の繋がるのを待ちました。
医師からは、転位部が骨折、骨の位置がずれてしまっている。
つながるかどうかわかりません。
トイレなどで立つことができても、もう歩くことはできません。
と言われました。
以来、1年数か月間車椅子を使用していました。
昨年12月、認知症が進行してしまい、介護施設からは介護困難と言われました。
私自身、3日間施設で添い寝をしましたが限界となり認知症専門病棟に入院してもらいました。
ほぼ毎日訪問し洗濯物を受け取り、散髪、爪切り、マッサージなどしていました。
ある日、母の足の浮腫がひどいことに気が付きました。
車椅子使用を続けていたためでしょう。
足の裏も膨れ、歩いていないとこんな足になるのかとショックでした。
それから毎日、両足のマッサージをしました。
すると徐々に足首が細くなりました。
1か月ほど経った時に看護師から、トイレ介助したあと少し歩いていますといわれ、びっくり。
その後もマッサージを続けていると歩くことができる足になってきたように感じました。
入院後2か月半、車いすから、普通の手つきの椅子に移りました。
移動は少しの距離なら手引きで可能になりました。
3か月で退院し介護施設に戻りました。
しかし、再び介護困難といわれました。
2か月ほどしか持ちませんでした。
再入院です。
入院先では、落ち着いています。不思議です。
入院後1週間程度でしょうか。
訪問すると歩行器で歩いています。
歩行器は、車椅子生活の前に使用していたので取り扱いを覚えていました。
歩き方も骨折の後遺症を感じさせません。
認知症は進みましたが、筋力は戻ってきました。
本当に驚きました。
そこで、2年間ほど帰っていなかった自宅に帰ることにしました。
車椅子では自宅に入れません。
歩行器が利用できることで帰ることができる、そして昔のことも懐かしんでもらえる、と準備をしました。
しかし、母は予想以上に認知症が進んでいました。
自宅は、見知らぬ場所になっていました。
母は、「帰る」といい、ほんの10分程度で自宅を後にしました。
付近を車で回って帰りましたが、もう窓の外に目を移すことがありません。
頭痛も訴え、急いで病院に戻りました。
母も私たちも疲労感だけが残った自宅訪問でした。
母の心の中にある「家」とはどこなのでしょうか。
毎日、訪問時にプリン🍮をひとつ持参します。
母は甘いものが大好きです。
母に差し出すと、お前が先に食べろと言います。
半分ほど食べて渡すと、もう少し食べろと言います。
もう少し食べてまた渡すと、あっという間にうまそうに食べてします。
自分は後から楽しむという母の思いは、昔のままです。
その会話の時間を大切にしたいと思います。
さて、これから🍮を持って病院にでかけましょうか。
おっと、洗濯物を忘れてはなりませんね。
※画像は、枯れ木になった自宅玄関の樹。子どもの頃、登って遊んで落っこちた。