細川瑞子著「知的障害者の成年後見の原理」2理念の具体化より
「愛・責任・知識」の中からまず「愛」について。
愛とは、人間が生きて行く上で最も大切なことと
いってよいでしょう。
そのことから、この部分(章)は深く読み込む必要があります。
人間は他者との協同なくしては生きていけないという自明と思われる考えが
社会学の基礎にあることは学生時代に学びました。
人間は外の世界と関係を結ぼうという欲求、孤立を避けようとする欲求が
ある(フロム)。
そして生産的仕事で達成される一体性は人間同士の一体感ではないし、
祝祭で得られる一体感は一時的であり、集団への同調によって得られる一体感は
偽りの一体感に過ぎないとして、フロムは否定する。
我々の一体感の多くは、このような一体感である。
これをフロムは一時的なものとして否定する。
しかし、われわれの日常は、阪神タイガーズが勝ったといっては酔いしれ、
五輪の日の丸に高揚し、サッカースタジアムに行っては、他のサポーターと
一喜一憂する。コンサート会場の興奮もそうだ。
このような日々の中に時は過ぎ、わが人生よしとするか。
いや、それは違うとフロムは書く。
われわれが求めるものは、人間どうしの一体化、他者との融合。
すなわち、「愛」である。
ここで、探求しなくてはならない言葉が3つも出てきた。
人間どうしの一体化、とは何か。
他者との融合、そして「愛」とは。
「人間どうしの一体化」は、「他者との融合」と同義だろう。
ならば、一体化と融合も同義となる。
一体化も融合も、もちろん精神的なことをいう。
そして、精神的な一体化や融合は、「愛」という言葉で置き換えられる。
(これで3つの言葉が理解できたわけではないけれど)
「愛とは、西洋および東洋の長い歴史において、さまざまな偉大な
人間主義的な宗教や哲学において理想的な徳とされてきた、
特別の種類の結合を意味する言葉である」
残念ながら私たちはこのような愛について、深く考えることは少ない。
そこで以下の文章に思いを新たにする。
「それは、支配と服従関係ではなく、自分の全体性を保ったままでの結合で
あるところの、成熟した愛であり、人間の中に能動的な力である」
「この愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するのである」
「しかも、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わないのである」
このような「愛」について、時間をかけて探求した日本人に神谷美恵子さんが
いる。
彼女は、今も多くの人に読み継がれている著書「生きがいについて」の中で
一人のハンセン病患者の詩を紹介している。
愛のよろこび
何時の間にか僕は
人生の片隅を 愛するようになった
ここには 子供も青年も老人もいる
みんな同じレッテルをはられているが
それぞれの心に
燃えている焔は
どんなにとりどりであることか
..............
レッテルを貼られている人々よ
たたずんではだめだ
松葉杖で義足で隻眼であるくもの
元気なものは、倒れたものを背負い
僕らは相愛の軌道を歩むのだ
大道を求める人たちのために
片隅にくらす者の広さを見せよう
悪夢にうなされてはならない
やがで希望の門はひらかれるのだ
僕たち
片隅の人は片隅の価値しかないという人たちに抵抗しよう
僕らは待望の日のために
片隅を愛し
人間性の香り高い生活を行こう
志樹逸馬「土壌」より
「愛」とは、この詩の中にあるようなものではなかろうか。
「愛・責任・知識」の中からまず「愛」について。
愛とは、人間が生きて行く上で最も大切なことと
いってよいでしょう。
そのことから、この部分(章)は深く読み込む必要があります。
人間は他者との協同なくしては生きていけないという自明と思われる考えが
社会学の基礎にあることは学生時代に学びました。
人間は外の世界と関係を結ぼうという欲求、孤立を避けようとする欲求が
ある(フロム)。
そして生産的仕事で達成される一体性は人間同士の一体感ではないし、
祝祭で得られる一体感は一時的であり、集団への同調によって得られる一体感は
偽りの一体感に過ぎないとして、フロムは否定する。
我々の一体感の多くは、このような一体感である。
これをフロムは一時的なものとして否定する。
しかし、われわれの日常は、阪神タイガーズが勝ったといっては酔いしれ、
五輪の日の丸に高揚し、サッカースタジアムに行っては、他のサポーターと
一喜一憂する。コンサート会場の興奮もそうだ。
このような日々の中に時は過ぎ、わが人生よしとするか。
いや、それは違うとフロムは書く。
われわれが求めるものは、人間どうしの一体化、他者との融合。
すなわち、「愛」である。
ここで、探求しなくてはならない言葉が3つも出てきた。
人間どうしの一体化、とは何か。
他者との融合、そして「愛」とは。
「人間どうしの一体化」は、「他者との融合」と同義だろう。
ならば、一体化と融合も同義となる。
一体化も融合も、もちろん精神的なことをいう。
そして、精神的な一体化や融合は、「愛」という言葉で置き換えられる。
(これで3つの言葉が理解できたわけではないけれど)
「愛とは、西洋および東洋の長い歴史において、さまざまな偉大な
人間主義的な宗教や哲学において理想的な徳とされてきた、
特別の種類の結合を意味する言葉である」
残念ながら私たちはこのような愛について、深く考えることは少ない。
そこで以下の文章に思いを新たにする。
「それは、支配と服従関係ではなく、自分の全体性を保ったままでの結合で
あるところの、成熟した愛であり、人間の中に能動的な力である」
「この愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するのである」
「しかも、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わないのである」
このような「愛」について、時間をかけて探求した日本人に神谷美恵子さんが
いる。
彼女は、今も多くの人に読み継がれている著書「生きがいについて」の中で
一人のハンセン病患者の詩を紹介している。
愛のよろこび
何時の間にか僕は
人生の片隅を 愛するようになった
ここには 子供も青年も老人もいる
みんな同じレッテルをはられているが
それぞれの心に
燃えている焔は
どんなにとりどりであることか
..............
レッテルを貼られている人々よ
たたずんではだめだ
松葉杖で義足で隻眼であるくもの
元気なものは、倒れたものを背負い
僕らは相愛の軌道を歩むのだ
大道を求める人たちのために
片隅にくらす者の広さを見せよう
悪夢にうなされてはならない
やがで希望の門はひらかれるのだ
僕たち
片隅の人は片隅の価値しかないという人たちに抵抗しよう
僕らは待望の日のために
片隅を愛し
人間性の香り高い生活を行こう
志樹逸馬「土壌」より
「愛」とは、この詩の中にあるようなものではなかろうか。
とは
力強い精神ですね。
学生のころ
フロム
神谷美恵子
を読んだはずですが
もちろんわかってはいなかった。
ただ
法学部の便所で
試験の前にノートが頻繁に盗まれる
というので学部長名の「警告」という張り紙を
読みながら用を足した日のことが急に思い出されてきます。
なんという惨めな精神なのかと。
「優」を取る競争が激化していた。
(その数によって志望先が決まって行く古い時代の名残りでした)
加藤博史先生の「福祉哲学」という本が
目にとまりました。さっそく購入したのですが、
その中の文章に、「なぜ私ではなく、あなたが?」と
いうことばが載っていました。
神谷美恵子先生の言葉は、今も継承されているのです。嬉しかった。
bonn1979の学生時代に比べてみて、私はなにを考え行動していたのかと思ってみると、これが霧の中です。
bonn1979さんの「さん」が
抜けておりました。
謹んで訂正しお詫びいたします。