岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「軽度者の生活支援」を考える。

2010-11-26 05:23:05 | 社会福祉士


「軽度者」という言葉も、実際に訪問しお会いしている方々を適切に表現しているとはとても思えない。
「軽度者」と厚労省が書く場合、要支援1,2と要介護1を指すものと判断している。

一人暮らしをされている方で、この「軽度者」と認定されていない方はかなり少ないと考えている。
最近、区分変更をされた方が要介護2の認定になったことがあるが、
この方が生活を維持できるのは地域の支援があってからこそ。
条件が揃わなければ、「中重度者」が一人暮らしをすることはできないと考えている。

「軽度者の生活支援」は、介護保険から外すべきだという意見がある。
この意見の「軽度者の生活支援」というのは、ヘルパーの方に「掃除や調理のお手伝い」をしてもらうことで、
「楽な生活をしている高齢者」という思い込みから生まれているように思う。
「軽度者」の方の生活の困難は、そんなに生易しいものではない。

昨日、訪問したご夫婦は、室内にすでに「自らでは処理できない品々」をかかえておられた。
体調を崩されて部屋の整理ができなくなっておられるのだが、そのことがストレスとなって気分的にも落ち込んでおられる。
そして体調が悪化する。
室内を整えておくことの意味は、広く深い。

生活が整えられないのは自己責任だという考えは、実情を知らない狭い考えであり、
「自己責任」をいう人を私は信用しない。

このご夫婦には、12月からヘルパーによる支援を開始することになった。
経験上、生活は大幅に改善されると考えられる。

高齢になった方々の生活は、タイトロープを渡るようなところがあると思う。
病気や身体の衰えが一気に生活を困難になることが多い。
その場合に、週1回でも訪問するヘルパーの目や支援がご本人や私たちの頼りとなっているか。
若い人(厚労省に方々など)には理解できないと思う。

現在、介護保険の非該当と認定された方は、行政サービスとしてヘルパー利用が可能であるが利用されている方が
どれだけおられるだろうか。
ごく少数ではないだろうか。

介護保険から外された場合は、「行政措置」となりヘルパー事業所の選択もままならない。
ケアマネ事業所との関わりもなくなる。

介護保険から外れることは、今まで生活を維持することが困難になることに直結する。
介護保険は間違いなく制度自身の意義を見失う。

私は、「特定高齢者に対する介護予防事業」は効果が上がっていない、事業仕分けをして当然と思っている。
このことに対する介護保険特別会計からの支出は無駄だと考えている。

しかし、「軽度者の生活支援」から介護保険が外すことには身を挺してでも反対したい。



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2 コメント

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反対意見を唱えるとともに (どりーむ)
2010-11-27 13:58:31
要介護認定が軽度な方への生活援助の必要性は、
とても高いですね。

「週に1回」ということが、
その場にいない人達には、
「週に1回なら、なくてもいい」というふうに見えるのでしょうか?

でも、高齢者の方々にとっては、
物理的、時間的には、
「週1回」でも、
精神的、社会的には、
その「週1回」が、明日につながっていく
大事な時間になっていますね。

そこを、どう証明していくのか。
「生活援助の切り離し」に反対すると共に、
必要性をどう証明していくのか。
それも、私達に問われているように思います。
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証明。 (岩清水)
2010-11-27 16:22:10
根拠、エビデンス。
科学的証明。

私たちの日常会話にも「その根拠は?」と
問われることが多いですね。

生活支援の必要性を「証明」する場合、
まず考えることは、関係者アンケートですね。
ヘルパー事業所の管理者にヘルパーの業務内容を聞くと、圧倒的に「家事支援」が多いといわれる。
生活の困難はまず家事ができないことから始まりますから当然だと思います。
アンケートの結果はそのことを証明するするはずです。
しかしこれだけでは納得できないですね。

やはり、人々が生活するとはどのようなことか。
人間とは社会的動物なのだから、社会生活ということも考えておかなくてはなりません。

「生活」を考察することなしには、私たちも納得できません。

人々に「生活支援の重要性」を説得できること。
それは人間の尊厳の理解にも関わります。
随分と大きなテーマですね。
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