伊佐さんは、1946年にアメリカ人を父として沖縄に生まれ
エリザベス・サンダースホームに入園した。
小学校5年の時、学校の身体検査でハンセン病と診断され、
沖縄愛楽園に隔離された。
ハンセン病と「混血」による二重の差別を受けた。
唯一の目標が、高校進学だった。
岡山県立邑久高等学校新良田分校に入学。
卒業後、鹿児島星塚敬愛園で自動車の免許取得。
製粉会社の運搬の仕事を得る。(社会復帰)
1980年、沖縄で自分の会社を持つ。
二男一女に恵まれる。
●教育を受ける権利の剥奪。
1930年から1955年までの25年間、隔離された子供たちは、義務教育レベルの
教育しか受けることができなかった。
それも入所者による代理教育だった。
邑久高等学校新良田分校で学ぶことができた307名が卒業後に果たした役割を
考えると、いかに高校教育が重要かがわかる。
卒業生は、社会復帰した人、園内にとどまった人と別れたが、園内にとどまった人も、
自治会活動の中心的な役割をになったという。
この邑久高等学校新良田分校の設立は、1953年の全患協「らい予防法」闘争の中から生まれた。
入園者の強い願望があったのだ。決して、国から与えられた教育ではない。
教育を受ける権利は、与えられものではなく、獲得するものだということがよくわかる典型的な事例だ。
入所者は高校教育の権利を得たことで、他の基本的人権の獲得へとつないでいった。
国は、国にとって都合のよい教育を与えたがるものだ。
このことは今も変わらない。
※写真は長島愛生園の収容者桟橋があった入江。
エリザベス・サンダースホームに入園した。
小学校5年の時、学校の身体検査でハンセン病と診断され、
沖縄愛楽園に隔離された。
ハンセン病と「混血」による二重の差別を受けた。
唯一の目標が、高校進学だった。
岡山県立邑久高等学校新良田分校に入学。
卒業後、鹿児島星塚敬愛園で自動車の免許取得。
製粉会社の運搬の仕事を得る。(社会復帰)
1980年、沖縄で自分の会社を持つ。
二男一女に恵まれる。
●教育を受ける権利の剥奪。
1930年から1955年までの25年間、隔離された子供たちは、義務教育レベルの
教育しか受けることができなかった。
それも入所者による代理教育だった。
邑久高等学校新良田分校で学ぶことができた307名が卒業後に果たした役割を
考えると、いかに高校教育が重要かがわかる。
卒業生は、社会復帰した人、園内にとどまった人と別れたが、園内にとどまった人も、
自治会活動の中心的な役割をになったという。
この邑久高等学校新良田分校の設立は、1953年の全患協「らい予防法」闘争の中から生まれた。
入園者の強い願望があったのだ。決して、国から与えられた教育ではない。
教育を受ける権利は、与えられものではなく、獲得するものだということがよくわかる典型的な事例だ。
入所者は高校教育の権利を得たことで、他の基本的人権の獲得へとつないでいった。
国は、国にとって都合のよい教育を与えたがるものだ。
このことは今も変わらない。
※写真は長島愛生園の収容者桟橋があった入江。