最近の傾向。
行政からの地域での高齢者に対する質問が増えてきた。
裏返せば、行政が現場の動きがよく見えなくなっている。
これが都道府県になると把握できているのは数字だけとなる。
現場の生の声を知りたいとよく言われた。
この点、地域包括を直営で行っている市町村は、現場の動きがよくわかるようになった。
前の職場で実感した。
特に介護予防ケアマネ業務での高齢者の現状把握は進んだように思う。
しかし、地域包括を委託すると、とたんに現場が見えなくなる。
行政にとっては、地域包括は便利な組織である。
相談業務、虐待事例、成年後見制度を任せられるわけだから。
この手間暇かかる、精神的な負担の多い業務を任せることができることで仕事は楽になる。
しかし、当然現場は見えなくなる。
職員にとっては楽になるが、自治体としては力が低下する。
ここで考えることはどこも同じで、「委託するが統治もする」となる。
しかし、そんな都合のよいことができるわけはない。
この結果は、両者の関係は「冷めたスープ」となる。
やりようはある。
言いたいことがいえる関係のネットワークづくりである。
これができていないと感じている。
なぜ、できていないかも明らかである。
明治以来の行政の継承だからである(もちろん千年以上の歴史があるともいえる)。
いわゆる縦割り。風通しの悪さ。
もちろん、政権が交代してもこの部分は変わらないだろう。
自ら変わろうとしなければ、変われないのだ。
このままでは行政の現場力は低下していくとしか思えない。
※写真は桃スタ。日食からの発想シリーズ5枚目です。
行政からの地域での高齢者に対する質問が増えてきた。
裏返せば、行政が現場の動きがよく見えなくなっている。
これが都道府県になると把握できているのは数字だけとなる。
現場の生の声を知りたいとよく言われた。
この点、地域包括を直営で行っている市町村は、現場の動きがよくわかるようになった。
前の職場で実感した。
特に介護予防ケアマネ業務での高齢者の現状把握は進んだように思う。
しかし、地域包括を委託すると、とたんに現場が見えなくなる。
行政にとっては、地域包括は便利な組織である。
相談業務、虐待事例、成年後見制度を任せられるわけだから。
この手間暇かかる、精神的な負担の多い業務を任せることができることで仕事は楽になる。
しかし、当然現場は見えなくなる。
職員にとっては楽になるが、自治体としては力が低下する。
ここで考えることはどこも同じで、「委託するが統治もする」となる。
しかし、そんな都合のよいことができるわけはない。
この結果は、両者の関係は「冷めたスープ」となる。
やりようはある。
言いたいことがいえる関係のネットワークづくりである。
これができていないと感じている。
なぜ、できていないかも明らかである。
明治以来の行政の継承だからである(もちろん千年以上の歴史があるともいえる)。
いわゆる縦割り。風通しの悪さ。
もちろん、政権が交代してもこの部分は変わらないだろう。
自ら変わろうとしなければ、変われないのだ。
このままでは行政の現場力は低下していくとしか思えない。
※写真は桃スタ。日食からの発想シリーズ5枚目です。
政治と行政
そして役所と市民
大きなギャップがある現状を考えさせられました。
拙ブログで、貴ブログのこの記事とコメントを受けた記事を書いてみました。力が入りましたが支離滅裂となりました。(第3081号)
コメントありがとうございます。
下請けから情報を集めて、だれかわからないが
決める。
決定者の顔は見えません。
役所に中の地域包括にいた時も、誰が決めているのか
わかりませんでした。
これは日本の官僚組織の特徴ですね。
どの官僚組織も顔がありません。
当然、責任もよくわかりません。
そうすると、現場はしかたがないので顔の見える政治家に
訴えるようになります。
行政は議会には驚くほど神経を使います。
市民に対しては聞く耳を持ちませんが。
で、議会の答弁のために「現場」に聞きに来ます。机上の空論を補うために。
なんでしょうね、これ。
ただ昨今,「お金は出さないが口は出す」という傾向にあるように思います。これは国が地方自治体に対する対応でもそうですし,記事にあるとおり自治体が委託先に対する対応でも同じだと思います。
個人的な「穿った」見方ですが,「現場を見る」ことは,決して「豊か」(金銭的なものだけでなく人材等も含め)ではない状況が見えてしまいます。なので,あえて見ないことで,予算支出を抑え続けよう,「机上の空論」という批判を浴びるのは我慢しよう,という意図があるように思えてなりません。
そうなれば,現場が発信していくしかありません。
お互い,このような形で発信を続けていきましょう。