岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「おくりびと」にこめられたこと。

2009-02-24 21:50:16 | 世界のなかま
この映画を観ているわけではないので、映画の中身については書くことができません。
この映画は納棺師を通して日本人の死生観を表現しているといわれます。

日本人には日本人の死生観があります。
その死生観に世界が注目していることは間違いありません。
村上春樹氏や、よしもとばなな氏が小説にした死生観とつながるものと思います。
また、「千の風」の歌詞にもつながるのではないでしょうか。

死は身近なものであり、死者も風のように身近に存在する。
死は、安らぎでもある。

西洋の死生観とは隔たりがあるように思われます。
西洋は、キリスト教の衰退により死生観の混乱がみられているのかもしれません。

そのためか、日本人の死生観が彼らには新鮮に映るのでしょう。

死生観は各民族によって、また個人によって異なります。
それでも、その違いを超えて、人間(ヒト)としての共通の基本となる死生観が
あると考えています。

この共通の潜在意識(原初意識)が、日本の死生観を西洋の人々が理解できる共通基盤となっています。

経済のグローバルスタンダードは破たんしましたが、
精神のグローバルスタンダードは、これから私たちが見つけなくてはなりません。
ヒトをヒトたらしめた精神のグローバルスタンダードとはどのようなものか。

死生観もその重要な要素だと考えています。

ヒトをヒトならしめた要素のひとつに宗教があります。
ヒトは、ほんの少数の集団からスタートしたということですが、
ならば、言語も宗教も元は一つだったということが推測されます。

このことはもっと強調されていいのではないでしょうか。
今の文明や宗教では些細に思えるような違いを強調されてしまいます。
が、源流をたどれば一つのヒトの意識の中から生まれたものだった。

これはとても気持ちのよいことはありませんか。


※写真は吉備高原の山中の一軒屋に咲いた梅。





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