『熊笹の尾根』は栗生楽泉園の創立70周年記念写真集である。
編集は栗生楽泉園入園者自治会と国立療養所栗生楽泉園が共同で行っている。2002年発行。
現代の写真はカラー。歴史的写真はモノクロで印刷されている。この写真集が他の写真集とは違うところがある。
ひとつは、療養所前史の写真と文章が掲載されているところだ。
栗生楽泉園は、草津温泉にある。温泉の湯がハンセン病に効くと言われ、多くの患者が湯治に訪れるようになった。
明治初頭の話である。地元の有力者は、ハンセン病患者を一般湯治者と分離するために、
患者たちだけのを作った。湯の沢である。
しかし、実質的には分離や隔離には程遠い状態だったという。
湯の沢ができたのが、明治20年(1887年)、往時は800名が住んでいた。
ところが昭和5年(1931年)癩予防法が制定され、栗生楽泉園となることになった。
1941年に半強制的には解散させられた。
この湯の沢時代の写真には素晴らしい写真が多く、明治から昭和初年にかけての歴史的写真となっている。
今は失われた人々の生活が蘇ってくるようだ。
昭和~平成の写真もよく選ばれている。
この写真集は前史からでは120年に渡る人々の生活のアルバムである。今も2百名余の方が生活されている。
物故者は1800名にのぼる。
やがて、この栗生楽泉園も閉園することになる。
このアルバムの写真に写った人々の風景は写真の中でしか見ることができなくなる。
そのことを考えれば、このアルバムが特別の意味を持つことがわかる。
この『熊笹の尾根』は、多くの写真集の中にあっても、その価値の高さは特筆されるべきものだと思う。
編集は栗生楽泉園入園者自治会と国立療養所栗生楽泉園が共同で行っている。2002年発行。
現代の写真はカラー。歴史的写真はモノクロで印刷されている。この写真集が他の写真集とは違うところがある。
ひとつは、療養所前史の写真と文章が掲載されているところだ。
栗生楽泉園は、草津温泉にある。温泉の湯がハンセン病に効くと言われ、多くの患者が湯治に訪れるようになった。
明治初頭の話である。地元の有力者は、ハンセン病患者を一般湯治者と分離するために、
患者たちだけのを作った。湯の沢である。
しかし、実質的には分離や隔離には程遠い状態だったという。
湯の沢ができたのが、明治20年(1887年)、往時は800名が住んでいた。
ところが昭和5年(1931年)癩予防法が制定され、栗生楽泉園となることになった。
1941年に半強制的には解散させられた。
この湯の沢時代の写真には素晴らしい写真が多く、明治から昭和初年にかけての歴史的写真となっている。
今は失われた人々の生活が蘇ってくるようだ。
昭和~平成の写真もよく選ばれている。
この写真集は前史からでは120年に渡る人々の生活のアルバムである。今も2百名余の方が生活されている。
物故者は1800名にのぼる。
やがて、この栗生楽泉園も閉園することになる。
このアルバムの写真に写った人々の風景は写真の中でしか見ることができなくなる。
そのことを考えれば、このアルバムが特別の意味を持つことがわかる。
この『熊笹の尾根』は、多くの写真集の中にあっても、その価値の高さは特筆されるべきものだと思う。