北京五輪を終えて、印象に残ることは多い。
少し書いてみたい。
まず2週間で、これだけの競技をこなすことに意味があるとは思えないこと。
スポーツの祭典というのだから、最高の選手が最高のパフォーマンスを見せる。
という五輪のテーマは、もう無理だと思った。
短期間で試合数をこなす必要があるために、通常では考えられない試合数の消化。
例えば、サッカーなどは中2日の連戦が続くために、準決勝、決勝は体力が消耗してしまい、
凡試合になる。最高のパフォーマンスからは程遠い。
また、試合時間設定がアメリカの放映時間に左右されて、深夜、午前となってしまい、
選手の体調管理が困難になっていた。
4年に一度というサイクルが、選手に重い負担をかけてしまうこと。
マラソンの野口、土佐、大崎選手のようにぎりぎりの練習をこなすことで、大きな怪我につながること。
日本選手は体力で劣る部分を練習量で補ってきたわけだが、そのやり方にも限界が
はっきりと出てきたこと。
男子マラソンのワンジル選手のようなアフリカの資質と日本のトレーニング法が
ひとつになれば、今後日本人に活路があるのかとなってしまう。
これはコーチ陣の正直なことばでもあった。
トラック競技でもそうだ。
男子リレーは、バトンパスという各国が未熟な部分があったからメダルを獲得できた。
しかし、技術を磨いた体力に勝る国の選手が台頭すればその優位は崩れる。
男女バレーの決勝戦をみれば、日本の努力の限界が明らかにわかる。
野球が敗退したのは、準備段階からの問題で、まだやりようがある。
可能性は残っている。
問題は、可能性がなくなった競技である。
団体競技の場合は、五輪参加資格を獲ることが目的とならざるを得ない。
この現実を受けとめる必要がある。
さて、受け止めてどうする。
対応ができるのか。厳しい現実である。
国の栄誉と個人の栄誉。
五輪が国別対抗競技であることのデメリットが強められたようにみえる。
これを助長したのが北京での開催である。
メダル争いに拍車がかかってしまった。
次の英国にこれは繋がるらしい。
いい加減にしてほしい。
21世紀に入って、世界いや地球の方向性は明らかに変わっている。
スポーツの世界も変わる必要がある。
選手の多くが、競技以前に怪我とのたたかいに日々を消耗しなくてはならない現状を
どのように解決していくのか。
このまま、なるがままに任せておいてよいとは思えない。
写真は遊びつかれた夏の宵(後楽園)
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