岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

6.燕市分水

2024-10-11 00:53:13 | 良寛師

出雲崎に生まれた良寛師は地蔵堂(分水)にできた学塾「三峰館」(大森子陽-北越四大儒)で学びました。

出雲崎と地蔵堂は20kmほど離れており自宅から通うことは無理なので中村家(父親の実家の姻戚)に寄宿しました。

通算6年に及んだという「三峰館」での日々、教育の骨格はこの地で学びました。

その中村家の建物は現存しています。

良寛師が寄宿したのは1770年頃の話。当時の建物と伝えられているがどうでしょう。

250年前の建物とは思いにくいです。

良寛師が住んでいた住居で現存するのは、ここと玉島・円通寺の良寛堂ぐらいではないでしょうか。

↓ 願王閣です。寺院としては珍しい名ではないでしょうか。願王閣についてはこちらです。

この地蔵堂という地名の由来だそうです。

今の願王閣は1835年建立ということで良寛師は見ていないことになります。

境内から見た地蔵堂本町。昔から街の中心なのでしょう。右に中村家が見えます。

勝敬寺です。願王閣と並んでいます。浄土真宗のお寺です。

この街の発展に寄与した方を表敬しているようです。

わかりません(-_-;)

 

分水の町を離れて大河津分水路の橋を対岸に渡ります。

良寛師の友人であり後援者が住んでいた地区を少しだけ覗きます。個人宅です。

阿部定珍さんです。

こちらです。

川の提の近くです。国上山(五合庵のあった)からは川で隔てられています。

江戸時代にはこの大河津分水路はなかったので近所という感じです。

ただ五合庵は山中なので歩いていくにはなかなか大変だったと思います。

 

門前に詩碑がありました。

新潟県ホームページより

 

門前で失礼いたしました。

定珍さん、もっと詳しく知りたい人です。

良寛師の実像が見えてくるように感じます。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

ウクライナと中東に平和を!

 


最新の画像もっと見る