岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

10.出雲崎町

2024-10-17 07:19:41 | 良寛師

出雲崎の街の背後にある丘です。

「良寛と夕日の丘公園」と「良寛記念館」があります。昨年訪問しました。こちらです。

イラストマップの北国街道を右から左へと歩いています。

芭蕉園です。

出雲崎町のホームページの記載です。

"荒海や佐渡によこたふ天河"

松尾芭蕉のwikiです。

旧道(北国街道)を歩きます。

津波の注意がそこここに掲示されています。北国街道で海抜3.5m。石段を登れば海抜16mとあります。

北国街道妻入り会館を覗きました。

みごとな部材を使っていますね。

三間通しです。

 

石油採掘が試みた当時の写真です。

出雲崎町は古代から石油が発見されている。最初に文献に記載されているのは、天智天皇が即位された668年に越の国から「燃ゆる水」と「燃ゆる土」が献上されたと『日本書紀』に記されている。ネットから

海岸沿いに3kmも続く街並み。3万人が住んでいると会館の方にお聞きました。

1kmで1万人。100mで1000人です。10mで100人。奥行きは街道を挟んで100m程度ですから相当過密に思えます。

これが可能なのがこの妻入り住居です。

妻入り住居の構造がよくわかります。

廻船業もにぎわったとあります。良寛師の生家「橘屋」も廻船業を営んでいました。

 

佐渡島からの金銀がここ出雲崎を経由して江戸に送られたと書いています。

金蔵に保管されたそうです。

良寛師が剃髪した寺に行きます。

光照寺門前です。

1779年、良寛が22才の時にこの光照寺を訪れた玉島円通寺の国仙和尚によって得度した。

そして国仙和尚に随行し備中(岡山県)に赴き、そこで足かけ12年間、仏道の修行をした

「良寛ゆかりの地 ガイドブック」 本間明著より

本堂は江戸時代の様式ですね。

駐車場わきの妻入り。確かに大人数が住めそうですね。

 

↓ 吉田松陰船待ちの宿跡。

↓ 堀部安兵衛の住居跡

 

道の駅「越後出雲崎天領の里(天領出雲崎時代館)」です。

時代館です。

午後3時前でした

お昼に「もずくラーメン」を頂きました。去年と同じメニューです😊

良寛堂の近くに戻ってきました。

まだ10月ですが冬の荒波を思います。

4時前になりました。

今夜は長岡に泊まります。

近くに泊まりたいのですが、一人旅では旅館は無理でした。

インバウンドでお客が増えていると言われました。

今回はこの点が残念でした。

続きます。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

ウクライナと中東に平和を!



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