たまには老親に蕎麦でも食べてもらおうと、午前中に蕎麦を打ち実家まで持っていきました。
実家を訪ねるのは一か月ぶりくらいでしたが、二月に入ると雪がパタッと降らなくなり、それどころかこの一週間は春の陽気が続き、実家周りの雪は相当減っていました。
「去年なんか、今より1メートルは多かったけどね」
まだ二月なのにこの暖かさというのはちょっと気持ちの悪い気がしますが、雪の降らない日が続くのはありがたいことだと思います。
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「変わったことはないかい?」と訊くと、母が「つい最近、近くのマージャン仲間がくも膜下出血で倒れたんだとさ」とのこと。
「朝に一緒にラジオ体操をして、家に帰ってからすぐ倒れたんだって」
「亡くなったのかい?」
「いや、娘さんが気がついて救急車で運ばれて手術して今は入院中」
「ああ、それは良かったねえ」
すると今度は父が、「亡くなる人は多いよ。この家の前の通りなんか『未亡人通り』って呼ばれているんだ。不思議に旦那が亡くなって奥さんだけが残っているんだわ」と言い出しました。
「未亡人通りとはまたひどい名前だなあ」
「それが、ちょっと前には奥さんの方が亡くなった家もあるんだ」
「だんなさんは助かっているんだ(笑)」
「でもひどいよ。お葬式に行ったら旦那さんの方がすっかりボケちゃって、お悔やみの挨拶をしてもこっちを分かっているんだかいないんだかわからないような状態さ。先に奥さんが死ぬと旦那はだめなもんなんだなあ」
「だんだんマージャンやカラオケの仲間が減っていくということなのかい?」
「ああ、歳を取るっていうのは地域の友達が減るってことなんだなあ」
自分自身の体力の衰えも一つの喪失感ならば、地域の中での友人や仲間がいなくなる喪失感も大きなものがありそうです。
もう新しい何かを得ることは難しく、失うことを少しでも後ろに遅らせられればそれだけでも幸運ということ。
歳を取るっていうのはそういうことなんだと改めて思いました。
【写真は本文と関係ありません】