ネットで、中国の世相に関する興味深い記事を読みました。
「システムと個人の相互不信」と題した前後編の記事ですが、前編は「『中国嫌い』になるワケを身をもって知る」で、後編は「生きづらい中国で、美しく生きる人々」という記事です。
記者の中島恵さんは1967年山梨県生まれの女性ジャーナリスト。日刊工業新聞社を退社後に、香港中文大学に留学し、現在は中国、台湾、香港、東南アジアのビジネス事情、社会事情などを執筆されています。
なかなか思い知ることのない中国社会の実情を鋭く切り取って、目からウロコの内容でした。
最近は中国からの観光客が日本に大挙して押し寄せるようになり、その多くが「道路にゴミがない」「電車に乗るときに整然としている」「赤信号を守っている」「車がクラクションを鳴らさない」といった、日本ではまあごく普通に見られる光景に驚き、関心している様子を不思議に見ています。
そしてそうした人たちが「日本人は素養が高い」と言うのを聞いて、面はゆいような優越感を感じたりしています。
今回はそんな彼女が体験した、中国の社会の暮らしにくさの根源に迫ります。
記事は、のっけから(日本から見ると)だらしなくてどうしようもないエピソードに満ちています。
病院で見舞いのために地方から出てきて、病院で寝泊まりをしている人たちの姿。入院病棟では6人部屋もカーテンは皆開け放して、互いの治療について情報交換をしていますが、それは自分だけが変な治療を受けていないかの確認のためなのだそう。
北京市内の小学校の前で、下校する子供達を待っている高級車の縦列駐車の光景。これは幼稚園からずっと勉強漬けの生活を送る我が子へのせめてもの親の愛情の姿なんだそう。良い学校へ入るために大枚をはたいてその学校のある学区のマンションを買うなんてことも日常茶飯事です。
秩序のない地下鉄乗り場の風景に、無駄としか見えない地下鉄での荷物検査…。まあとにかくあらゆるものが日本から見るとだらしなくて、そこで気を張って生活をしていくことの大変さは日本国内の比ではありません。
筆者は、そうしたことの理由をこう看破しています。
『中国が日本と大きく違うのは、GDP世界第2位の国でありながら、システムがほとんど整備されていないということだ。交通・公共インフラだけでなく、教育制度も戸籍制度もほとんどすべてのものがそうだ。人々が病院をなかなか信用できないでいるのも、子どもにハードな勉強を強制せざるを得ないのも、彼らが悪いわけではない。そこで生きている中国人に責任があるのではなく、現行のシステムに不備があるから、やむを得ず生じてしまっている問題なのだ』
『中国ではルールを作る側も、ルールに従う側も、お互いに相手を信用していない。相互不信という前提で物事が動いているから、人々はこんなにも生きづらく、そんな社会をよい方向に変えていく“突破口”もなかなか見つからない』
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しかしそれならば、政府や役人が少しでも良い社会を作ろうと努力して信頼できるシステムを作ろうとすれば良いのじゃないか。なぜそうしないのだろう、と筆者は仲の良い友人に尋ねます。
すると返ってきた答えは、
「…ある程度知識を持った人たちは、この巨大な国で今のシステムを直すことはほとんど不可能に近いとわかっているから、あきらめているのです。それ以外の人たちは、大概こんなもんだろうと思って、何も考えていないかも。ほとんどの中国人は海外に出たこともないし、海外と比較してみたこともないから……」
「それに、日本人には信じられないでしょうけど、これでも昔よりは数段よくなっているんですよ。荷物検査機だって、みんな意味がないとわかっています。でも、文句を言ったって仕方がない。あそこにいつも3人くらい係員がいるでしょ。理屈から考えて彼らは必要ないんですけど、それを追求していったら、彼らだけでなく他にも不要になる仕事がたくさんある。意味がなくても既得権益があってそれを糾弾できない」
「つまり、どんなに優秀な人でも、自分がこの巨大な国を建て直そうという気持ちにはなかなかなれない。直していくのは膨大なエネルギーと予算と努力、大勢の人の理解が必要だからです。だから、壮大なシステムを元から直していく、なんていう正義感や使命感を持つのはあきらめ、“自分だけはここから抜け出そう”と思うんです」
なるほど、中国人の旺盛な生活エネルギーはまさにこの「自分だけはそんな目に遭いたくない、自分だけはここから抜け出したい」という思いから発しているのだ、というのが筆者の結論です。
別に中国人の素養が低いわけではなくて、留学などで日本のシステムになじんだ人たちならばちゃんと列にも並ぶし、信号も守る。要は日本が作り上げたシステムに従っていれば、自分だけが損をするようなことがないという信頼を国民が持っているかどうか、ということなのでしょう。
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後編では、そんな息苦しい中国の中にあって、筆者が出会った爽やかな人たちも紹介しています。そして「なぜそういう人たちがこの社会の中から出てくるのか」という疑問を持ちます。
筆者の結論は「多分親の教育だろう」ということ。日本だって、安定したシステムがいくら備わっていても、それを信頼しようとせず社会に適合できない人はいるわけで、それが家庭の教育に起因する要素というのはあるのでしょう。
そして「下には下もいるが、上には上がいる」のが中国人の懐の深さだ、と言います。
年に一度肉が食べられれば良いというような貧困層から、人格も秀逸で海外でバリバリ世界を相手にするような超エリートまでいるのが中国という国であり、それが隣にある国だ、ということを理解しておくことはとても大切なように思います。
さらにそういう中国だからこそ、日本が得意とするような"社会をより良くするモノやシステム"はビジネスとして売り込めるのではないかと思います。
日本が、そして北海道が中国相手にビジネスをしようと思ったら、まずは虚心坦懐に相手のことをよく知ることが一番ですね。
【日経ビジネスONLINE】
「中国嫌い」になるワケを身をもって知る
~システムと個人の相互不信【前】~