本を読むときはバランスが大切だ、と思っています。
私の場合は、古いものと新しいもののバランスに注意をしています。
時代についてゆくためには、最新流行のキーワードによる書物を読むのがよろしくかつ必要です。
しかしそればかりでは流行り廃りに傾きすぎ。
そこで最新のものを読んだ後には、古めかしいけれど何十年、何百年の時のフィルターを経てなお人々に愛されているような古典を読み、あるいは読み返すことでバランスをとっているつもりです。
手近なところにあった森信三先生の「修身教授録」は、森先生が大阪天王寺師範学校(現・大阪教育大学)本科での講義をまとめられたものです。
ぱらぱらとページをめくっていると「行く手を照らす光」という単語が目に留まりました。
このページは教師を目指す子供たちが卒業をするお別れの時の講義です。
曰く「教育というものは、常に種まきであり苗木を育てるようなもので、花実を見る喜びは必ずしも教育の本質的なものではない。
花実の見られる希望がなければ真の努力ができないようでは、よし為政者ではあり得るとしても真の教育者とはいいがたい。
いや、真の為政者であれば事故の努力が在職中にその結実を見ることを念とせず、必ず後に来る為政者に、自己の努力の収穫を譲る程度の雅量と見識が必要でありましょう。
かくして諸君らは、真に自分の道を開くものは自己自身でなくてはならぬということを今日から深く覚悟しなくてはならない。
が同時にまた、闇夜に燈火なくして、手探り足探りでは歩かれないように、人生の行路においても、なるほど歩むのはあくまで自己一人の力による外ないのではありますが、しかし同時にそこには、自己の行く手を照らす光を要するでありましょう。
そのために諸君らはまず偉大な先哲の教えについて学ばねばならないのであります」
一人で歩いて行かなくてはならない自分自身の人生ではありますが、その行く手を照らすのは先哲の教え、つまり古典です。
「修身教授録」それ自体も今や古典に属する書物ですが、古典はたまに読み返すと心をかき鳴らす言葉に出会うものです。
ちょっと気持ちが穏やかではない時こそ、古典を開いてみてはいかがでしょう。