先日都市計画学会の理事会がありましたがやはりZOOMを使ったリモートでの会議でした。
もうこちらもリモート会議にだいぶ慣れてきて時間通りに集まって議事はスムースに進行してゆきます。
しかしこの理事会、コロナ前は飛行機や電車で東京まで出かけなくてはならない会合でした。
旅費は実費相当が支弁されますが、早朝の飛行機に乗り会議後に懇親会をやったとしても途中で退席して羽田空港で最終便に乗り、家にはほぼ真夜中に到着するという結構大変な出張でした。
しかしリモートでの会議が始まったころは「リモートなんて、会議後の飲み会こそ意味があるのに」などとほざいていたものです。
それが今ではリモートのおかげで自分の時間をつぶさなくても会議メンバーとしての役割は果たせて、すぐに自分の時間に戻ることができます。
おそらくコロナが収束した後でも、この手の会議は必ずリモートを併用して、実際に会場に集まる人と、自分の居住地からリモートで参加する人とが混在する形になるでしょう。
その方が欠席する確率は確実に減りますしね。
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ライフネット生命保険株式会社の創業者で現在は立命館アジア太平洋大学学長の出口治明さんがこんなことを書いておられました。
「古き良き昭和時代、テレビのリモコンが世に出たときのことは今でも忘れません。メディアでは『こんなものは過剰なサービスだ、売れるわけがない』『手を伸ばせばよいだろう』」と散々な言われようでした。しかし結果的にリモコン付きテレビは売れて、今ではないことが考えられません。つまり、《元来人間はとても怠け者で便利なものには勝てない》ということなのです」
コロナのために、私たちの未来への進歩が早送りされて未来が少し早く来た、という人もいます。
実際リモート技術のおかげで、以前は18時間かかっていた会議のための自分の時間は4時間で済むようになりました。
この14時間と旅費である数万円の経費は節約されました。
しかしこの両者の節約にはその正確に大きな差があるように思います。
節約された自分の時間は自分自身の人生のために大いに使うことができます。
東京に行って帰ってくるという単なる移動のための時間は確実に減らせます。
一方使われなかったお金は世間を回ることができません。
途中で乗るはずだった電車賃も、飲むはずだったコーヒーの代金もありません。
今までのように使われていたお金は間違いなく減ります。
そしてそれを残念に思うよりも、「ああ、これでいいんだ」と納得するようになってきた自分もいます。
このことは、より少ない経費で同じ効果が得られたのだから「生産性が向上した」と言われるのかもしれません。
経済のパイが増えずにかかる労力と経費が減ることで生産性が向上するのならば、それはより少ない労働力で済むことになり、仕事が減り人は余るということです。
さてこれがコロナによって先取りされた少し先の未来の姿。
早すぎる経済環境の変化に我々はどう対応してどのようにより質が高く充実した日常を過ごすことになるのでしょう。
でもきっと何かが出てくるはずです。
便利で手放せなくなるこれからの"リモコン"はなんでしょう?