今朝のNHKラジオ番組「三宅民夫のマイあさ!」の中で、7時半頃から放送する「深よみ・ここに注目」で、「コロナに罹って休んだ後に職場に出るときは謝罪をしたり、菓子折りを持参したりすべきなのだろうか」ということが話題として取り上げられました。
ネットで話題になった投稿は、「コロナに感染したり濃厚接触者になったことで一定期間自宅療養をして職場に復帰したときに、『菓子折りの一つもないの?申し訳ない的な意味のやつ』と言われた」というものでした。
これに対してネットでは議論が沸騰し「コロナだから仕方がない、菓子折りなんていらない」という声が多く出たとのこと。
NHKでは実際にコロナ感染で2週間職場を休んでから復帰したという20代の女性に取材をしたのだそう。
その女性は5千円以上する菓子詰め合わせを持参したのだそうですが、考えたのは迷惑をかけたということと職場の人たちの目が怖かったから、だそう。
ただ一方で、「自分もコロナでつらい思いをしたのに、なぜ菓子折りをもってゆかなくてはならないのだろう」ともやもやしたとも。
またNHKはその一方で、「菓子折りを持ってゆくのはやめました」という人にも取材をしていました。
その方の職場は40人ほどのオフィスでしたが、コロナが蔓延してからは、職場復帰の際に菓子折りを持参することが当たり前になりつつあったのだそうですが、その方はそうした風潮に疑問をもっていました。
そして職場の同僚がやはりコロナで職場を休みそして復帰した際に菓子折りをもって一人ひとりに配りながら謝罪をする姿を見て、内心(あなたは一ミリも悪くないし、家庭での負担も相当あったはず。それに菓子折りの金銭的負担も小さくはないし誰もが罹りうるコロナであればもうお互い様なのではないか)と思ったのだそう。
そしてその方はその慣例をやめてみたのですが、実際には職場でどのようにみられているのか不安を感じているし、その後別なコロナ復帰の同僚はやはり菓子折りを持ってきていたとのこと。
一度出来上がった慣例は、上司や会社全体が号令を出さないと買えられないのではないか、とその方は感じたようです。
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この番組ではそれに続いて、東京歯科大学市川総合病院精神科の宗未来医師からの「自分を責めすぎないでほしい」という意見を紹介していました。
自分を責めすぎる人は周囲からの反応が気になったり、自分が100%悪いと思いがちになりがち。
そんな時に大事なのは、自分の状況を客観的にみることだそう。
職場復帰を受け入れる側にも、負担が増えたりして「申し訳ないと思ってほしい」という心理があるのではないか。
職場の雰囲気を正すには、コロナ問題だけではなく小さな日頃の問題を解決してゆくアプローチが必要な気がする、と。
番組では「お互いに心身をいたわりあって助け合う優しさが職場や社会に必要なのではないか」と結んでいました。
この話、やや身につまされました。
というのも、私自身ケガによる入院から職場復帰した際に、職場に菓子折りを持って行ったからです。
私自身の不注意からではありますが、やはり職場の皆さんには余計や心配や負担をかけたということへの謝罪の気持ちはぬぐえません。
たとえ苦しんだのは自分だったとしても、周囲への申し訳なさがそれでチャラになることはないとおもいます。
そして菓子折り持参のもう一つの意味合いは「厄落とし」ということです。
厄落としの元々の意味合いは、「 自ら災厄を作り出すことで、それ以上自分に良くないことが起こらないようにすること」だったといいます。
そのため、大切にしてきたものや、いつも身につけているものを故意に落とすことで厄を落とすと考えられてもきました。
降りかかった厄をその後に落とす、ということがあれば、良いことの前に訳が降りかからないようにするということもあります。
最近はすっかりみなくなりましたが、昔は家を建てるときの棟上げに合わせて「建前」と言ってご近所の人に集まってもらってお餅やら小銭のおひねりなどをまくことが良くありました。
これなどは家を建てるという一生の中でも大きな慶事にあたって、あらかじめ厄を分担してもらうという意味合いが強いものと考えます。
旅行へ行ったあとのお土産配りだって、旅行の安全に対する感謝だけではなく、楽しかったことの反動の厄を分担してもらうという意味合いを感じます。
なので、私だったらコロナで自宅待機になった後の職場復帰だったら、半分は申し訳なさの意味と、もう半分は冗談めかしてでも、厄払い・厄落としの意味でやはりお菓子を配るだろうな、と思います。
今日のラジオの番組に対してはいろいろな意見が寄せられることと思いますが、単に損得や気遣いの苦労だけではなく、日本古来の風習の一つとしての厄払いという意味合いについてコメントする人がいないのかなあ、と気になる私でした。