昨日、夜になってから予約していた歯医者さんへ行ってきました。
札幌は暴風雪が吹き荒れて街中でもホワイトアウトで視界が遮られるほどで、まあ今冬一番の荒天に違いありません。
まだ怪我の影響で車の運転ができないため、歯医者さんへはフードをかぶって徒歩で往復したのですが、大量の雪のため狭くなった道路では、行き交う車の方が通行に苦労をしているようでした。
歩いて15分くらいで歯医者さんへ着いてみると、受付窓口で「車で来たんですけど駐車場で埋まって動けなくなって」と訴えている患者さんがいました。
車で移動するよりも歩いた方が良いというのは、SDGsにかなった時代の到来という事でしょうか。
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それにしても、昔もシーズンに一度や二度は大変な暴風雪のときがありましたが、こんなにも鉄道や道路がマヒしてしまうようなことはあったでしょうか。
道路に関しては建設に伴って管理延長が増えたという事もあるでしょうが、鉄道はこんなにも簡単に止められた記憶がありません。
異常気象と呼べるほどの豪雪、それに管理する人数の減少問題、経費の問題、大都市内の雪の管理、管理水準の上昇、なんでも行政に頼り切る姿勢など、様々な要素があるにせよ、日常を維持する社会の力が次第に衰えていることを感じずにはいられません。
一方で、「さすがに災害級の天候なのだから、こういうときは抗うことは止めるという地域共通の価値観を持つべきだ」という声もあって、これはこれで納得できる意見だと思います。
どこまで自然に抗いつつ、あるところからは余計なエネルギーや資源を投入せずに素直にあきらめるというレベルを社会で共有したいものです。
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いつか読後のレビューは書き留めておきたいと思いますが、今塩野七生さんの筆による『ギリシア人の物語』(全三巻 新潮社)を読んでいます。
ローマ人がローマ帝国を成し遂げるにあたって大いに参考にしたのがギリシア時代だったということは、塩野さんの全15巻からなる大著『ローマ人の物語』でも冒頭に触れられていることです。
しかし『ローマ人の物語』の冒頭で触れたギリシア時代はあまりに字数もページ数も少なく、著者自身『もう少し触れたくなった』という興味のおかげで、今我々は改めて「民主制とは何か」「民主制におけるリーダーとはどうあるべきか」を考えるヒントをこの本によって与えられた気がします。
そんな『ギリシア人の物語』を貫いているのは、民主制発祥で名を成した都市国家アテネと、強直に自らの政治体制を変えようとしなかったスパルタという同じギリシア人同士の競り合いの歴史です。
そこでは体制を変えながら進取の気質に富み栄枯盛衰のドラマを見せてくれるアテネに対して、やや皮肉交じりに物事を変えようとしないスパルタを揶揄する表現が見られます。
そんな一節。
「一国平和主義でつづいてきたスパルタは、経済的には『求めない』ことをモットーにしている。だが、経済的には求めないという事は、他の面でも『求めない』ことにつながってしまいがちだ。
しかも、『求めない』という生き方をつづけていると、行きつく先は求める能力の劣化なのである」
著者はギリシア人たちの選択を、その結果が分かっている後代の目で優しく論評しますが、その言葉は、今私たちがしようとしている選択の行く末を暗示しているようでもあります。
私たちが社会に求めるものとは。負うべき責任とは。歴史的選択の結果を受け止めるとはどういうことか。
吹雪で動けない日は読書に限ります。