北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

対話の力を取り戻そう

2013-12-27 23:45:26 | Weblog

 

 今年は暦の関係で今日27日が御用納めという方が多いのではないでしょうか。

 いろいろあった今年も仕事は無事今日で終わりました。仕事関係でお世話になった多くの皆様、ありがとうございました。


 さて、今年一年を振り返ると、我が職場では"コミュニケーション力を養おう"ということが随分言われました。

 コミュニケーション力というと、互いに意思を伝え合うということですが、具体的にはどういうことでしょうか。

 会話の力というような気がしますが、相手の言っていることを理解して、自分の主張を伝えるだけでは、一見"会話"は成立しているようでいても、実は"対話"は成立していません。

 対話というのは、相手の共感を得たり、相手との意見の違いを理解して、繰り返して粘り強くコミュニケーションを続けていくという力です。

 それには、上司の立場からの上から目線も、部下からの下から目線も必要がありません。上司の叱責や部下からの突き上げなども対話とは言わないでしょう。

 怒りも失望もなく相手への敬意と期待だけは持ち続け、あくまでも個人と個人の立場で考えを語り合い、そして互いの妥協点を探り、自分と相手の行動を変えて行こうというのが対話です。

 そして私は、今の時代は『対話の力』が落ちてきているような気がします。

 学校の授業は教師が一方的に知識を披露してそれをノートに書き留めて記憶することが多いのではありませんか。

 勉強以外でも、意見を誰かに言ってもらってそれを元にじっくりと意見を交わすような時間があるでしょうか。

 しばしば、自分の意見を伝えて相手の行動を変えさせようと、一方的に話すだけ、ということはないでしょうか。

 かつては部下の指導と称して、厳しい叱責や怒りを向けることが、それを乗り越える部下の成長になるという考えが多いものでしたが、昨今はそれでは人はそういう環境から離れて行ってしまいます。

 年齢の上下も、立場や身分も超えて、対話ができるでしょうか。

 対話によって、相手の行動が変わり自分の考えが変わって成長するのがコミュニケーション力です。

 ですから対話には自分自身の痛みも伴うかもしれません。自分が絶対善だ、という考えから脱却しなければ対話は成立しません。

 結論が出るのに時間がかかっても仕方がありません。人の心は異質なものを受け入れるのには時間がかかるのです。

 職場の中でもプライベートでも、何度も何度も粘り強い対話を通じて目の前の相手とそして社会を少しずつ変えようと努力してみてはいかがでしょう。

 コミュニケーション力とは、対話力なのだと私は思います。

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1 コメント

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サスガっ。。。 (北のカムイ)
2013-12-28 03:15:53
その通りだなっと改めて受け止めています。。。
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