北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

冬期オリンピックの國母君

2010-02-18 23:57:46 | Weblog
 事前の服装問題で話題となった國母選手のスノーボードが終わりました。

 残念ながら決勝で大技を決めた後に転倒で点数が伸びず、結局は8位に終わりました。

 話題にならないよりはなった方が良いと思いますが皆さんはどう感じたでしょう。


---------- 【ここから引用】 ----------

【スノボ】壁にはね返された日本勢、大技習得に時間不足 2010.2.18 13:36
http://sankei.jp.msn.com/vancouver2010/news/100218/oaf1002181337024-n1.htm


 トリノ五輪に続き、またも日本男子HP陣が世界の壁にはね返された。

 一番の敗因は、技術の進化についていけなかったことにある。昨夏にショーン・ホワイト(米国)が、回転軸をななめにして横3回転するダブルコークを披露し、五輪シーズンに技術レベルを一気に引き上げた。

 日本勢は高いジャンプからの横回転技で勝負してきた。ダブルコークを習得するには巨大なHPと飛び出した選手を保護するエアマットが必要だったが、日本にはその環境がなかった。

 欧米勢は昨夏以降に恵まれた環境のもとで習得に励み、大技を身につけた。日本は米国合宿などを重ねたが、五輪までに大技を実戦で使えるレベルに達したのは国母だけだった。

 日本代表の萩原文和監督は「もう1シーズン早くダブルコークが出始めていれば、日本は練習環境の整備を含めて対策を練れた。時間が足りなかった」と話した。(共同)

---------- 【引用ここまで】 ----------



「もう1シーズン早く出ていれば追いつけた・・・」


 この言い方ってあまり好きではありません。人の技を習得して追いつく時間があれば
凌駕できたというのでしょうか。

 それよりは、人が真似できない技を編み出して、他の選手が習得できるようになる前に金メダルをかっさらった選手のほうがずっと立派なはず。

 オリジナルな技を【発明】して先行利得を得るという作戦。これこそ名誉な勝ち方のように思えます。

 夏のオリンピックの体操競技には、最初に新しい組み合わせ技を申請して成功すればその人の名前がつくというルールがあります。日本だって平行棒のモリスエという技やムーンサルトはツカハラと呼ばれています。

 技術的に追いつくこともありますが、次回に向けて全く新しい新機軸の技を生み出すくらいの創造力に期待したいものです。

    ※    ※    ※    ※

 でも服装のだらしなさで変な話題になった国母君、随分いろいろ言われましたが、日本の歴史の中でも、異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのことを歌舞伎者と呼びました。

 それらの多くは秩序を重んじる体制に取り締まられましたが、その美意識は歌舞伎という芸術として昇華したわけ。

「変な服装はダメだ」という主流派がいるからこその非主流派であるはずで、私もやはり服装はちゃんとしたほうが良い、という秩序重視派としての思いが強いです。

 でもだからこそそれに打ち勝って常識的ではない変な格好を認めさせる強さがあっても良いと思うのです。怒られても文句を言われても、実力でそれを認めさせていつしか文化に昇格させるそんな強さを認めたいと思います。

 しかし予選の滑りでその技術は世界ランカーだということがよくわかりました。あとは最後にほんのわずかな運が足りなかったのでしょうか。

 胸を張って帰ってきてほしいと思います。お疲れ様でした。

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オリンピックと経済

2010-02-17 23:43:50 | Weblog
 バンクーバーオリンピックが始まり、少しずつ日本選手の活躍の声が聞こえて来ました。

 昨日のスピードスケート男子500mでは、日本の長島選手と加藤選手が銀メダルと銅メダルに輝きました。

 朝8時半くらいから始まったはずの競技は、途中リンクメンテナンスの機械の故障とかで大幅に遅れ、決勝二本目の開始はちょうど昼休みにかかることに。

 おかげで職場でも皆テレビにかじりついて日本選手を応援。その甲斐もあってか、見事な成績をおさめました。

 たった40秒余りの競技ながら、ドラマがあって手に汗握りながらの観戦に、「日本人ならこのシーンは見なくちゃ」と檄が飛びます。やっぱり国の代表の戦いは熱くなりますねえ。

 今日はまたフィギュアスケート男子で高橋大輔選手が三位、織田選手が四位とこれまた健闘。さらにカーリングでもチーム青森が逆転でアメリカを破る快心のスタートを切るなど、話題が満載です。楽しみが増えてきました。

    ※    ※    ※    ※

 ところで今回のオリンピックを見ていると、スケートでは総じて中国、韓国、日本などのアジア勢の調子がよいようです。

 逆にどうもヨーロッパ勢に勢いがないように見えるのは、アジア経済とEU経済の調子を繁栄しているのかな、などとつい経済状況と国の調子の関係がつけたくなってしまいます。

 また私は一年半前の北京オリンピックを見たくてプラズマテレビを買いましたが、今回のバンクーバーオリンピックを見るためにさらに高性能になった地デジ対応テレビを買う需要は増えたのでしょうか。

 テレビが全面地デジ化する2011年7月までに、国民が大いに盛り上がってテレビで見たくなるようなイベントはテレビ買い換えの大きなチャンス。

 今回のオリンピックが終わると次は6月のサッカーワールドカップですか。うーん、最近のジャパンサッカーはどこか精彩を欠いていますがどうなるでしょう。

 経済がチームに影響すると言うよりも、チームの活躍が経済に貢献するということなのでしょうか。

 なんでも良いから、がんばれ日本!
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旅を楽しむ心構え

2010-02-16 23:52:38 | Weblog
 九州の旅は実におもしろく楽しめました。

 旅って、行く先のことをある程度は調べていかないと「しまった、ここへ行けば良かった」と、後で臍をかむこともありますが、その反面、事前に調べすぎて行くところの予定を決めてしまって融通の利かない旅というのはこれまた面白みに欠けてしまいます。

 ほどほどに訪問のポイントを決めておいて、あとはなすがままに行き当たりばったりを楽しむというのも洒落たもの。

 なにしろ予期せぬ出会いや驚きがあります。またその土地へ行って初めて分かる事柄というのも多いものです。調べたことを確認に行くだけよりも、予期せぬ出会いを楽しむ心があると良い。

 今回の旅では霧島連山の山々の位置関係が事前にはどうにもイメージできなかったのですが、実際にその地を訪れてみて、ビジターセンターで立体模型などを見ることで初めて理解が深まりました。

 今日、インターネットのお陰で様々な情報に接することができるようになりましたが、やはりその土地に立つと言うことがどれだけ多くの情報を一気に吸収することかを改めて実感することもできました。

 何枚の写真を眺め、いくつもの紀行文を読むよりもその地をこの目で見ることの方が得るものが大きいということ。まさに百聞は一見にしかずです。

    ※    ※    ※    ※ 

 また、良い旅には良いパートナーが欠かせません。一人旅も良いですが、旅をより楽しく味わうには弥次喜多珍道中の方が楽しいに違いありません。一人じゃ気づかなかったことにも気づくチャンスが増えるでしょう。

 そして旅を平穏にする秘訣は、たとえ道を間違えてもお互いに文句を言わず、「神様がこれを見なさいと導いてくれたんだ」と思うようにすることです。

 今回も何度も道を間違えましたが、その度に「おお、これを見るが良い、ということなんだな」と感心したものです。

 見たかったものが見られなくて悔やむよりも、見ずに終わるところを見ることができたことを喜ぶ方が前向き。今回も、普通の旅人なら滅多に行かないようなところばかり見てきたような気がして得な気分になっています。

 旅をする心構えってそんなところにありそうです。
 

 
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九州の旅最終日 霧島~龍馬~黒酢屋さん

2010-02-15 23:47:30 | Weblog
 いよいよ九州旅行の最終日。昨夜は霧島高原のペンションに着く前から雨が降り出しました。今日も霧島高原はその名の通り霧雨になってなかなか降り止まず残念な天気です。

 天孫降臨の場所については諸説ありますが、霧島高原の名は日本書紀のある一書にある天孫降臨のシーンが元になっています。

 天照大神の孫に当たるニニギノミコトが地上を見たところ、霧が雲の海のようになっていて大地が見えません。そんな中わずかにその雲の海から島のように見えたところに印をつけて、そこへ降り立ったとのこと。

 その降り立った地が高千穂の峰(標高1573m)であり、霧に浮かぶ島からこの地方を霧島と呼ぶようになったのです。

 そのなかの聖地霧島神宮は、かつては高千穂峰の山頂にあったものが消失して高千穂の河原へ降りてきたのですが、それも鎌倉時代に火山活動により消失し現在のように下へ降りてきたというわけ。

 今日は霧島神宮をお訪ねし、その後は鎌倉時代までお宮があったという高千穂の河原の古宮までやってきました。残念ながら高千穂峰の山頂は望むことが出来ず、手前のお鉢と呼ばれる爆裂火口の縁だけを見ることができました。



【坂本龍馬の新婚旅行】
 この霧島の地は、今大河ドラマでも話題になっている坂本龍馬とその妻お龍さんが日本で初めての新婚旅行をした地としても最近話題になっています。

 龍馬による二人の旅行の様子を克明に書いた手紙が残っていて、それが高千穂の河原にあるビジターセンターに紹介されていました。

 龍馬とお龍さんは旧暦3月29日(新暦5月13日)に高千穂の峰に二人で登ったのですが、「山頂に神様が天から印をつけたと言われる鉾があったが、二人で押したらぐらぐらして抜けた」とか、「山道は崩れやすくて歩きづらく少し泣きたくなった」、「危ないところは手を引いてあげた」などと書かれています。とてもほのぼのした内容です。

 坂本龍馬は寺田屋事件で怪我をして、その保養も兼ねてこの地を旅行したのですが逗留は八十八日にも及んだのだとか。車のない時代の旅ならそうなのでしょうが、私たちは龍馬の時代に比べると随分駆け足の旅をしてしまいました。

 龍馬が暗殺されるのはその1年半後のこと。龍馬の最後の憩いのひとときだったのではないでしょうか。



【薩摩の黒酢】
 鹿児島空港からの飛行機は夜19時過ぎでしたが、午後はできるだけ桜島に近づいてみようと錦江湾をドライブです。

 その途中で「黒酢レストラン」という案内看板が目にとまり、ちょっと遅い昼食を取ることに。

 レストランを開いているのは黒酢本舗桷志田(かくいだ)さんで、職人による昔ながらの伝統的な瓶と麹でできる黒酢作りで有名(らしい)。

 店舗の一階には商品がズラリと展示されて、飲む黒酢では試飲もできるようになっていますが、二階がレストランになっています。

 こちらでは黒酢による酢豚、黒酢カレー、カレイの唐揚げの黒酢あんかけなど、黒酢を使った美味しい料理を提供。注文するとついてくる小鉢料理にもことごとく黒酢が使われていて、黒酢料理が美味しいと言うことをアピールしています。

 私は黒酢酢豚を頼みましたが実に美味しい。スーパーで買った黒酢はどこかくせがあるのですが、こちらの黒酢はまろやかでくせもありません。

 我々もこんなに美味しい料理というお店側の強烈なプレゼンテーションについテンションが上がり、おみやげの黒酢をたくさん買い込みました。

 考えてみれば、試食・試飲はただのサービスですが、レストランで黒酢料理を食べればお客はお金を払って試食をさせてもらっているようなものですし、なんといってもアピール度が違います。

 商売ってこうやってやるものなんだなあ、と感心した次第。良ければ売れるを超えたマーケティング戦術に脱帽です。



    ※    ※    ※    ※

 いよいよこれで九州の旅も終わり。旅の疲れを「道の駅垂水」の足湯で癒し、雲で見えない桜島に再来を誓いました。

 今回のテーマであるスピリチュアルスポットの宝庫、九州はいいですねえ。


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高千穂周辺から鵜戸神宮へ

2010-02-14 23:45:38 | Weblog
 九州横断の旅も四日目。今日は昨日訪ねきれなかった高千穂の神社をさらに回ります。まずは天孫降臨伝説のある二上神社から。

 その前に、国見の丘に立ち寄りましたが、残念ながら雲海は見られず。季節的には10月末あたりから初冬にかけてが見頃だそうです。それを見ると、神々がここに降り立った気分になれることでしょう。



【二上神社詣で】
 今回レンタカーで借りた日産キューブにはHDDナビがついていて、かなり高性能な案内をしてくれます。

 山の中の二上神社のマークをチェックしてここへガイドしてもらおうとしたところ、さすがのそのナビでも『もう道がありません』と諦めるほどの、集落の中の細い生活道路を縫って神社へと向かいます。

 そもそも斜面に広がる集落は、棚田が広がりその分道路は急か細いかのどちらか。そんなめちゃくちゃ細くて急な道を小さな板に書かれた看板を頼りに進むこと20分、ついに二上神社へ到着。

 こちらは本来二上神社そのものがご神体なので拝殿もなかったとのことですが、江戸時代に社殿が建てられ今に至っています。



【天孫降臨には二説ある】
 実は天孫降臨の場所はどこだったのか、ということには二つの説があります。一つはここ宮崎県の高千穂にある二上山という説で、その根拠は日向國風土記逸文での「天孫降臨」の下り。

 そしてもう一つが明日伺うことになる熊本県霧島高原の高千穂峰だというものです。

 興味のある方はこちらを参照してください。
 → http://www.komisen.net/tenson.htm

 高千穂という地名と言い、どちらも雲海が見事という点で似通っているのですが、この論争には決定打もありません。

 神話好きの庶民としては、両方を楽しめるのが良いのかもしれません。


【高千穂神社のパワースポット】
 次に向かったのはかつて県内一の社格を頂いたという高千穂神社へ最後のご挨拶。

 こちらには神社のよこに「しずめ石」という石があって、これがまた世間では強力なパワースポットとして喧伝されているようで、若い人もお詣りの後にこぞってそれに
触りに来ていました。

 どこの神社へ行ってもすれ違う若者達は「パワースポット」と言う声が聞こえてきます。あまり不思議な世界に舞い込まずに、それでも神聖で心が洗われるような場所としてであれば、そういうことがらでも参拝者が増えるというのはよいことなのでしょう。

 私には祖先から連綿と続く人々の歴史のパワーが感じられました。



【皇室の祖先鵜戸神宮】
 続いては宮崎県を一気に南下して鵜戸神宮へ。
 
 北海道に比べると狭い宮崎県とはいえ、北西の端から東南の端までひた走ると結構な時間がかかります。途中どこにも立ち寄らず、休憩だけをはさんで有料道路も使って走ること4時間、やっとのことで鵜戸神宮に到着です。

 この鵜戸神宮とは古事記の中にある物語で、初代神武天皇の父に当たるウガヤフキアエズノミコトが誕生したことにちなむ神社として有名です。

 神話では母神のトヨタマビメは海宮で懐妊したのですが、天神の子を海の中で生むわけにはいかないとして、陸に上がってきました。浜辺に産屋を作ろうとしたのですが、茅草がわりの鵜の羽を葺き終らないうちに産気づいてしまったため、「ウガヤフキアエズ(鵜茅葺き合えず)」と名付けられることになった、とされています。

 現在の神社は江戸時代の神仏習合の時代に両部神道という真言宗系のお寺として修行の場にもなったとのことですが、現在は皇室に繋がる神社として人々の崇敬を集めています。

 本殿は海に面した洞窟の中に造られていてまさに産屋のイメージ。洞窟の中には母親の豊玉姫命が岩に形を変えて残した乳房と言われる乳岩などがあって、神話という物語を現実として伝える人気のパワースポットであったことでしょう。






 ここには参道から見下ろす海岸に亀の形をして背中に窪みのある亀石があります。昔は参道からこの亀石の窪みへ向かって銭を投げ、入れば願いが叶うという伝説があります。

 ところがいつしかその銭をねらって亀石に飛び移るという危険な行為をする輩が出るようになったとのことで、苦肉の策で「運」と書かれた土の運玉を地元の小学生に作ってもらいそれを売ってこの玉を亀石に投げ入れるというようにして今に至っているとか。

 若いギャルたちも喜んで運玉を亀石に投げ入れていましたが、若い人たちも誰に強制されたり薦められたりした訳でもないでしょうに、こういう雰囲気を味わいに来る姿は良いものです。
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黒川温泉~高千穂峡

2010-02-13 23:21:45 | Weblog
【黒川温泉】
 黒川温泉の老舗旅館「美里」さんに泊まって夜は温泉を満喫。

 黒川温泉も最近はお客さんが減る傾向にあってなんとかしたいとのこと。そこで一人の旅館の主人が露天風呂を作ろうといって、一人でノミで石をうがち洞窟風呂を作ったのが人気になったのだそう。

最初は「そんなことをしたって無駄だ」と言っていた回りもついにその気になって、今では各旅館がみなこぞって露天風呂を作り、湯巡り入湯手形を発行して人気のサービスになっています。

 いつでも多数意見の常識を越える「バカ者」が必要だという事ですね。黒川温泉また来たいです。


【大観望】
 阿蘇外輪山は東西約18km・南北約25kmに及び、カルデラ地形の中に町が発達して人々がそこに住み生活をしているというのはちょっと驚きです。

 カルデラを見下ろす絶景ポイントの大観望からは、カルデラ中央の阿蘇五岳を眺めることが出来、その山々の織りなす稜線が、あたかもお釈迦様の涅槃像に見えるというのも実に良くできた見立てです。

 今日は五岳の頂上付近には雲がかかっていて涅槃姿は見られませんでしたが、カルデラの中は見下ろすことが出来、実に絶景でした。




【高森湧水トンネル公園】
 次に向かったのが高森湧水トンネル公園。南阿蘇鉄道高森駅から歩いて10分ほどのところにあります。

 ここは、旧国鉄高森線から高千穂へ抜ける高千穂線の工事が昭和48年から実施されていたのですが、昭和52年2月に突然トンネル工事で大量の出水に見舞われました。

 地下水脈をぶち抜いてしまったようで、トンネル内の大量出水と共に町内の水源8箇所が一気に涸れてしまい大変な騒動になりました。

 その後も度重なる出水事故が発生して工事は中断となり、国鉄民営化と共にトンネルそのものもの存在意義も問われましたが、今は逆に高森町の貴重な水源地となっています。

 同時にそんな珍しい空間を公園化したのがこの高森トンネル湧水公園。トンネルの長さは2,055メートルあるのですが、毎分32トンの湧水量があり、トンネル内550メートルを開放して公園化されてます。

 トンネル最先端部で湧水を表現していて、なかなか迫力があります。こんなところへは滅多に来られないだけに珍景の一つと言って良いでしょう。



【高千穂峡~天の岩戸神社】
 いよいよ今回の旅行中最大のお目当ての高千穂へとやってきました。

 まずは高千穂峡を訪ねます。ここは阿蘇山噴出物による柱状節理が水で削られて深い峡谷を形成したこれまた珍らしい景観が広がります。

 この峡谷に落ちる真名井の滝を見るには川縁からボートに乗るというのが人気です。我々もボートに乗ることにしましたが、カヌーは数年前に乗りましたが、この手のボートとなると、子供の時に旭川の常磐公園で乗って以来かも。実に三十数年ぶりですね。

 下から見上げる滝は実に美しく、天気もなんとかもってくれたので良かった。目的が一つ達成出来ました。




    ※    ※    ※    ※

 そこから向かったのが天の岩戸神社です。ここは古事記に登場する天の岩戸と言われる洞窟を遙拝する神社ですが、さらにこの奥には天照大神がお隠れになった際に神々がどうしようかと集まって思案したと言われる「天の安河原」があります。

 スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんによると、ここにはとっても強いパワースポットがあるとかで、私も心の内面と向き合ってみました。

 夜には高千穂神社で夜神楽を見物して堪能し、いかにもスピリチュアルな空間のど真ん中にいる感じを満喫しています。

 皆さんも是非一度は高千穂をお訪ねください。
 
 

 
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熊本市から阿蘇山へ

2010-02-12 23:44:46 | Weblog
 昨夜は黒川温泉の老舗旅館に宿泊。温泉もお料理ももてなしも申し分ないのだけれど、唯一インターネット環境がないのが残念。どうしてもアップが遅くなってしまいます。
 

 午前中は熊本市内を巡ることにして、まずは熊本城へと向かいます。こちらではボランティアの方によるお城ガイドがあって、早速お願いをしました。



 石垣の組み方から、西南戦争の際、薩摩軍との開戦直前に熊本城が焼け落ちた際の炎の熱で石垣の表面が溶けてしまった話、新しく復元なった本丸御殿の話など、興味深い話は尽きません。

 熊本城は敷地が約100ヘクタールにも及ぶ広大な面積で、ここに50あまりの櫓(やぐら)があったのだとか。これほどの規模の城が、関ヶ原の合戦後のもう戦争のない時代に作られたのも不思議と言えば不思議。

 いつか起こるかも知れない薩摩の押さえのために家康が認めたという説もあるようですが、立派なお城が今でも残るというのは素晴らしいですね。


    ※    ※    ※    ※

 続いてはずっと訪れたかった水前寺公園。造園と庭園を勉強した私としてはこちらの庭園を一度は訪ねたかったのです。

 水前寺公園は正式の名前は水前寺成趣園といい、細川家四代を御祭神とする出水神社の神苑という形で今に残されています。

 時代は17世紀の初頭で、その後江戸時代に大名庭園として流行する池泉回遊式とも違う、桃山様式の代表的庭園とされています。

 東海道五十三次を見立てた園には富士山のような築山もあり、実に丁寧な手入れがされています。やっと来られて夢がかないました。




     ※    ※    ※    ※

 いよいよ車を飛ばして阿蘇山の火口へと向かいます。

 阿蘇山はその昔ものすごく大きな火山だったものが陥没をして巨大な外輪山を形成し、一度は洞爺湖のようなカルデラ湖だった時代が2万年も続いたのだとか。

 その後再び中央が盛り上がって現在のような火口を形成して今に至っています。

 噴火している中岳火口にはロープウェイと有料道路で中がのぞけるところまで近づけるはずだったのですが、この日は有毒ガスが発生していて火口周辺には行けませんでした。残念。

 しかしこれも、また今度来いということでしょうかね。

 天気も気温こそ低めですが雨に当たらずにすみました。明日はどうかな。
 

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熊本旅行~天草を巡る

2010-02-11 23:47:45 | Weblog
 早朝から羽田空港に到着。連休の始めとあって空港もごった返していました。

 「熊本空港視界不良のため着陸できない場合は福岡空港へ向かう条件付き…」と脅かされながら機内へと向かいます。

 前線が日本列島に横たわっていて飛行中はかなり揺れましたが、結局しっかり熊本空港へ着陸してくれました。雨の出迎えですが九州旅行のスタートです。

 今日は熊本市内のホテルに宿泊なので、今日一日は天草方面の島々をドライブしてきました。レンタカーは日産キューブ。家にあるセレナに比べると取り回しが軽くてブンブン走ります。

 天草方面の島々にかかる橋を渡りながら、橋がなければさぞ移動が大変だったろうな、と先人の苦労に思いをはせました。


    ※    ※    ※    ※

 天草と言えばなんといっても天草四郎とキリシタンによる島原・天草の乱です。

 天草四郎メモリアルホールでは、当時の宣教師達による文化とカトリックの伝導とそれによる天草地方での信者獲得の歴史、禁教と弾圧の始まり、百姓達による一揆と対岸の島原半島の原城における攻防と37千人にも及ぶ反乱者の殲滅などが映像やジオラマで表現されていました。

  一説によると、農民(だけではなく旧小西家の武士などもいたとか)による蜂起の主たる原因はキリシタン弾圧と言うよりはむしろ、過酷な年貢の取り立てという悪政にあったとされているようです。そのため真の殉教かどうかでも議論があるのだとか。
  
 またこの乱で疲弊した地域を仏教によって教化・復興させるために招聘されたのが著名な仏教思想家である鈴木正三だったなど、知らなかったことが繋がりました。


 日本史の一面を深く知る良いきっかけとなりました。
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旅行の前日

2010-02-10 23:18:12 | Weblog
 旅行の準備で夜が更けます。

 家の食材を片づけなくてはならず、白菜ともやしを料理。白菜はうちの奥さんにクリームシチューを作ってもらい、もやしは私がオイスターソースととろみ中華スープでたちまち中華料理に。おお、だんだん上手になってきたわい。
 冷蔵庫もすっきりしました。

    ※    ※    ※    ※

 北海道蕎麦研究会から、「日光そばまつりの参加報告記事を書いてくれませんか」と依頼されていたのを忘れていました。

 現地で書いたブログを三日分集めて、改めてリライトするとあっという間に原稿用紙八枚分の記事ができました。何事も記録を留めておくと、それを使ってあとから加工するのは簡単なことなのです。

 原稿を依頼主に送ったところ、「ちょっと修正しても良いですか?」という申し出がありました。依頼主は原稿の中に登場するOさんです。

 原稿の中のOさんとの会話をOさんの視点でさらに充実させて、臨場感が増した原稿が完成しました。   
 
 その瞬間の感動を書き留めるというのはやはり良いものです。

    ※    ※    ※    ※

 明日は家を朝5時半に出発し、羽田を8時半の熊本空港行き飛行機で出発します。

 できるだけ現地からのレポートをしようと思います。現地のお天気がどうかな~?
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そうだ、九州へ行こう

2010-02-09 23:27:53 | Weblog
 昨年末に迎えた結婚25周年の銀婚式。年末は何もできなかったので、今週後半を使って九州へ旅行をしてきます。

 熊本空港inで天草、黒川温泉、高千穂峡…と巡り、最後は鹿児島outの4泊5日の旅。行き先の一番の目玉は高千穂峡で、スピリチュアルな場所巡りシリーズです。

 うちの奥さんも今日東京へ到着しましたが、まずは部屋の掃除をお願いしており…。

 九州の情報をたくさん印刷して持ってきてくれましたが、印刷しただけで安心してしまいそうです。

 九州って福岡以外はなかなか行く機会がなくてよく分かりません。この機会に知らない日本を楽しんでこようと思います。 

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