北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

食の格差

2010-02-08 23:15:01 | Weblog
 格差社会と言うことが言われるようになりました。

 格差が生じる結果人々に階層が生じ、食事の内容も変わってくるのだとか。食べる事を含めた生活への意欲が問題なんだと言いますが…。

---------- 【ここから引用】 ----------
【プレジデント・ロイター】三浦 展-下流ほど太る原因は「海草格差!」にあり プレジデント 2009年6.29号

 下流の人たちは働くことだけでなく、「生きること」への意欲が低いというのが、私の持論だ。一言でいえば、彼らは「面倒くさがり」。

 http://president.jp.reuters.com/article/2010/02/06/0407BA16-0CAF-11DF-9EE9-84113F99CD51.php



「貧乏人は食うモノも食えないから骨と皮だけ」というのは昔の話。いまは所得の低い人ほど肥満しているという事実を描いた『貧困肥満-新格差社会の到来』を上梓した。日本も世界的な経済危機の影響を受け、階層格差はますます広がっている。それに伴い、下流の体重も増加の一途を辿っているのは間違いない。

 なぜ下流ほど太るのか。原因として考えられるのは、ファストフードやコンビニ食などの食べ物には原価を安く抑えるため、安いパーム油や高果糖コーンシロップという甘味料が使われているからだが、これが肥満を誘発するのである。

 さらに下流の人たちは働くことだけでなく、「生きること」への意欲が低いというのが、私の持論だ。一言でいえば、彼らは「面倒くさがり」。だから運動も嫌いだし、自分で料理をしなくてすむインスタントやレトルト食品をよく食べる。私の調査では、彼らはおにぎりやスナック菓子など、インターネットやゲームをしながら片手で食べられるようなものを好む。つまり箸やフォークのような道具を使うことすら、面倒くさいのである。


 いまの社会は、人任せにする部分が多ければ多いほど太る。歩かないで車に乗るとか、自分で料理せずに出来合いのものを食べていると、どんどん太っていく。

 下流に転落するのがイヤなら、自分の「弁当男子」を見習い、メタボ父さんも台所に手を動かして、手間暇かけた生活をすることだ。たとえば下流の人たちが好む食物は、食品としての原型をとどめていない。そのいい例が冷凍のハンバーグやギョーザだ。

 しかし自分で肉や野菜など食品の原型を買ってきてハンバーグをつくれば、怪しげな添加物の入るスキはない。それを人任せにしていると、安い材料でも味にコクを出すことができる人工甘味料や油がたっぷり入ったハイカロリーのハンバーグを食べるはめになる。

 また私の別の調査によれば、勉強の好き嫌いと食生活にはかなり相関がある。この傾向は、特に女性に顕著に表れる。勉強が嫌いな女性は、「よく食べるものは何ですか」という問いに対して「カップ麺」「ハンバーガー」「フライドポテト」などと答える。ところが勉強好きな女性は、「野菜」「豆腐」「果物」「納豆」「海草」などを挙げる。これこそ、階層格差ならぬ「海草格差」なのだ。

(・・・以下略・・・)

---------- 【引用ここまで】 ----------

 料理って確かに創造性をかき立てますし、意欲が湧かないと作れません。意欲が湧かないと外食や出来合いのもので済ませてしまいがちですが、悲しいかな私の場合はそれほど外食にお金を掛けられないこともあって自炊が多くなります。

 しかし意欲が薄れると、美味しいものを食べたい食欲という原始的な欲求すら鈍くなってしまうのでしょうか。

 五感は鍛えないとだんだんものの違いが分からなくなってしまいます。良い音楽を聴いて、良い絵を鑑賞することで、聴覚や視覚が鍛えられますが、刺激を与えて一番鍛えられるのは脳でしょう。

 脳を鍛えて意欲を出し続けられなくなると、だんだん物事がどうでも良くなってしまうのでしょうか。

 先日、東京でも有名な中華料理やさんで食べた麻婆豆腐がとても美味しかったので、これを再現しようと、二日連続で麻婆豆腐を作って食べました。花椒という中国山椒がぴりりと効いて辛かったのですが、次第に上手になってきました。 

 「人任せにするな」ですか。自分が主体的に自分をコントロールすることですね。
 
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社会的包摂とはなにか ~ 宮本太郎著『生活保障』を読む

2010-02-07 23:58:55 | 本の感想
 


 北海道大学の宮本太郎先生著「生活保障~排除しない社会へ」(岩波新書《赤》1216 800円+税)を読みました。

 『社会保障』でもなく『生活保護』でもなく、生活不安を解消する新しいビジョンとして宮本先生が提案するのが「生活保障」というキーワード。
 さらに一言で言うと「雇用と社会保障を結びつけて『生きる場』を取り戻す」ということになります。

 生きるうえでの社会的ネットワークとして『労働する』ということの重要性をまず捕らえ、それが何らかの事情で果たされなくなったときにはそれを支える社会システムづくりを目指すべきだという主張です。

 1990年代以降、日本経済のグローバル化の進展により労働市場に大きな変化が現れました。それは、生産が安価な労働力をもつ海外へ移ってしまったことで、国内に仕事の需要が減ったことです。

 日本的経営の慣行は、長期的雇用や公共事業によって広く雇用を提供し生活を支えるというものでしたが、主に男性稼ぎ主に対する長期的雇用が前提であったために労働での社会保障はそうした人たちへの失業保険などが中心でした。

 しかし仕事が減って、男性稼ぎ主の長期雇用が衰退しパート労働者が増えた今日、パート労働に対して脆弱だった雇用や社会保障が国民の生活を保障しきれないものになっています。

 男性稼ぎ主が正規雇用であることを前提とした非正規雇用との組み合わせであったために、非正規労働者の多くは雇用主が社会保険に加入する義務を負っておらず、多くの非正規労働者は社会保険から実質的に排除される結果となっています。

 また収入が安定しない低所得の人々にとっては国民所得や国民健康保険料を払い続けることすら困難な現実におかれています。

 世間では目に見えやすい年金問題ばかりが注目と非難を浴びていますが、その裏では雇用への保障という、これまた重要な再配分機能が全く充実されないままに放っておかれているのです。
 
 国民の労働が守れないことが社会を分断し断層が生じてきています。主要な亀裂の一つは、相対的に安定した地位を確保している正規労働者と、パート、アルバイトなど不安定な地位にある非正規労働者層との間の所得格差という形で生じています。

 またそれは男女間の格差、日本人と外国人の格差など多様な形で複雑にクロスしながら社会を覆っています。
 
 これはひとえに国という機関における再配分機能の弱さに起因しており、国自身が問題意識をもたなくてはなりません。 

    ※    ※    ※    ※

 それと同時に、雇用と社会保障から排除されたアウトサイダーの中では生活不安と貧困が広がりますが、同時に深刻なのが「寄る辺のない孤立感」です。

 失業によって社会から分断されて行くことも問題ですが、同時に就労していても社会の紐帯が失われつつある今日、人と人との関わりの薄さが問題になっています。

 秋葉原での殺傷事件の犯人も、携帯電話による掲示板でのコミュニケーションが心の支えであり、それが自分の心の叫びに反応しなかったことで最後の一線を越えてしまいました。

 雇用という形で経済的な安定を果たすと同時に人は『相互の承認』という形で心の安定が図られなければ生きては行けないのです。


    ※    ※    ※    ※

 今日ヨーロッパのEUでは、重要な社会政策が貧困対策であり、同時に誰をも排除しない社会として、『社会的包摂(しゃかいてき包摂)』という概念を重要視しています。

 社会的包摂とは、様々な貧困や失業、差別などに関わって社会から排除されている人々を社会の相互的な関係性の中に引き入れて行こうという考え方です。

 それは就労支援であったり、所得保障、職業訓練、地域における社会参画の促進などの姿で実現が試みられています。

 経済的貧困と同時に生きる場への誘いということ、つまり「所得の再分配」と「相互承認」によって排除しない社会というのが「社会的包摂の実現」ということです。

 国における福祉分野の充実や経済成長、公共事業や企業誘致による地域における雇用の確保や社会参画、相互の助け合いなどは全て、社会的包摂を実現させるために必要な事柄なのではないでしょうか。決してそのこと自体が目的となるものではないはずです。

 あるべき美しい地域社会、幸せな市民生活というものの理想像を描くことができなければ、そこへの道筋も分かりづらいものになりますが、私自身はこの「社会的包摂の実現」という単語こそがそのものなのだと思います。

 そのために市民・国民一人一人、仕事など社会的役割を担っている人たちはどのような協力ができるでしょうか。

 そこでこそ、国の力、地域の力、市民の力が試されることになりそうです。

 
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朝青龍に欠けていたもの

2010-02-07 22:35:14 | Weblog
 先日朝青龍の引退について記事を書きましたが、他のブログで盛り上がったので改めて感じたことを追記。

 大方の人たちは、やはり朝青龍が横綱としての品格ということが分からず、行動が抑制できなかったという点で引退は仕方がないと感じておられるようです。 

 しかし「品格ってなんだ?」と真面目に訊かれると、そんなのはいちいち列挙するような法律や決まり事ではないので、何をしては行けなくて、何をすべきなのかということは全く具体的には分からないわけです。

 日本人だったら大概は判断がつくだろう、というのは思いこみでしょう。日本人だって品格に縁のない人たちはたくさんいますから。

 この『文字に書かれていない価値観』というものを、どのように相手に植え付けるかということが実に難しいと思います。これは教育でも職場でも同じですね。


 師弟の関係でも男女の関係でも、必要な感情は「敬」と「愛」というこの両方なのです


 朝青龍関の場合相撲が好き(愛)だったかもしれませんが、最後まで師匠にも相撲道に対しても尊敬の「敬」という気持ちを持つことが出来なかったように思います。

 それは師匠の力量も不足していたかも知れませんが、それであっても朝青龍自身が師匠にも相撲道にも尊敬の念を傾けなくてはならないということが個人として身に付かなかったのでしょう。

 指導力が不足していた高砂親方の力量不足を非難する声も多く聞かれますが、私としては残念な師弟の組み合わせ、という以外にないような気がします。

 「愛」と「敬」の両方が必要だ、ということもあまり一般的にはなっていないような気もしますが。
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3Dのブームは来るのか?

2010-02-06 23:17:27 | Weblog
 夜に都内で高校のミニ同窓会があって外出。ついでに3Dの展示という面白そうな企画を見てきました。

 3Dの企画とは、FUJIFILM 『広がる3Dの世界展』で、場所は東京ミッドタウンのなかにあるフジフイルムスクエア1Fのミニギャラリーで開催中。

 http://www.digi-came.com/jp/modules/news/article.php?storyid=3608

 最近3D映画で「アバター」が世界的大ヒットになり、ほぼ同時期に3Dテレビなるものもそろそろ実用化しつつあると言われ、3D立体映像技術が時代を変える新しい技術として注目をされています。

 実は富士フイルムでは昨年7月に、裸眼で鑑賞できる世界初の3Dデジタル映像システムを発売しているのですが、私自身まだ見たことがなかったのでこれを機会に見てみようと思ったのです。
 http://www.digi-came.com/jp/modules/news/article.php?storyid=3090

 事前に調べた会場では歴女アイドルによる幕末講座が開かれていてちょっと待たされましたが、イベント終了後に早速見てみました。





 現在のところ、この富士フイルム社製の3Dカメラで撮った映像は、同社製のビューワーでなければ見られないそう。

 メガネをかけずに裸眼で立体が見える原理は、垂直方向にスリットが入ったバリアを配置して、左右の目がそれぞれ別の画像を見るようにしたパララックスバリアシステムを採用しているのだそう。

 実際に何人かのアーティストがこのカメラで撮影した静止画と動画の作品を展示していましたが、ふわっと浮き上がって見える映像もあれば、何となく相対的に前にあるか後ろにあるかは分かるものの、何枚もの平板が重なって見えるようなものもあり、一口で立体映像と言ってもいろいろな種類がありそうです。

 さて、映画「アバター」の3D版も、実は映画館によって4種類の立体視技術があるそうで、3D技術もいろいろなものが乱立しているのだとか。

 さてどういう時代が来るのでしょうか。
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朝青龍引退と横綱の品格

2010-02-05 23:49:08 | Weblog
 朝青龍がついに相撲界を引退しました。

 幕内優勝25回で歴代三位、小柄な体ながら強靱な身体能力で土俵を務め、相撲人気に貢献したことは評価されますが、同時に土俵上での振る舞いやプライベートでの問題で横綱の品格についてとかく話題になりました。

 4日に開かれた横綱審議委員会の場での出来事は各種報道で事細かに書かれていますが、横審では引退勧告をする方向が出されていたようです。

 各種ネットには引退勧告書の全文が掲載されていますし、またデイリースポーツオンラインではこの勧告書が横審で満場一致であったことを報じています。

---------- 【ここから引用】 ----------
【時事ドットコム】朝青龍に対する引退勧告書全文
 http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2010020400908

 横綱審議委員会が4日、朝青龍に対して用意した引退勧告書の全文は次の通り。

 朝青龍関引退勧告書
 平成22年1月16日未明に発生した横綱朝青龍関の一連の不祥事は、畏敬(いけい)さるべき横綱の品格を著しく損なうものである。示談の成立は当事者間の和解にすぎない。横綱に対する国民の期待に背いた責任を免れるものではない。
 よって横綱審議委員会規則の内規5、ロ、の「横綱としての体面を汚す場合」により横綱引退を勧告する。
 平成22年2月4日 鶴田卓彦


    ※    ※    ※    ※


【デイリースポーツオンライン】横審初の引退勧告!満場一致で決定
 http://www.daily.co.jp/general/2010/02/05/0002690283.shtml

 武藏川理事長に提出された引退勧告書 横綱審議委員会の鶴田卓彦委員長(82)は4日、朝青龍の引退勧告書を武蔵川理事長に提出した。同委員11人(1人欠席で委任状)による満場一致で決まり、同委員会として史上初の引退勧告だった。

 鶴田委員長は「(相撲界に)貢献したことは評価できる。解雇ではなく、引退勧告は武士の情け。最初は解雇の可能性もあった。自ら引退を表明したことは男として立派」と話した。その一方で「付き合う相手が悪すぎた」とばっさり。

 これまで朝青龍を擁護してきた鶴田委員長だけに心中は複雑な様子で「これで観客の3割は減るだろう」と人気急落を危ぐした。

 六代目澤村田之助委員は「自ら引退を申し出て、委員会では『良かったですね』という声がありました。小ぶりながらもよく頑張り立派でした」と、朝青龍を気遣った。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 横綱審議委員会の踏み込んだ対応に比べると、日本相撲協会の方はとうとう主導的な立場を発揮出来ないまま終わりました。

 特に決定的な指導力を発揮すべき立場の高砂親方に対しては世間の風当たりも強く、横綱の品格と共に親方の品格が問題にもなりました。

 ところでこの品格という言葉、数学者の藤原正彦さんが「日本の品格」という本を出されてベストセラーになり、二匹目のどじょうをねらう出版社がいろいろな品格を持ち出してきて、またそれがそこそこ売れるという品格ブームを巻き起こしました。

 しかし道徳の復活を唱えたり、過ぎ去った過去への郷愁で語られることはあっても、あらためて品格が問われた故に引退に追い込まれたりその席を負われるという現実に影響を及ぼした事件は極めて珍しいことでした。

 ともすると、実は最低レベルの決まり事である法律に触れてはいない、などという理由で開き直る事例が多い中で、日本には法律よりも遙かに上位にあるべき姿としての「品格」があって、それが問われる立場や職責がある、ということを改めて見せてくれたことで少しは日本の精神が見直されるのではないか、という期待も持たせてくれます。

 幕引きも、正式に引退勧告が発せられて石もて負われるのではなく、それを察して自らの引退という形で最後の花道を飾ったというあたりにも日本的な美学が垣間見られたのだと思います。

 結局朝青龍は格闘技としての相撲は理解出来ても、神事性を帯びた相撲道ということがとうとう理解出来なかったヒールな横綱として終わらざるを得なかったことは、ちゃんと指導してあげられなかったのかな、という悔恨と共に残念に思えてなりません。
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サラサラの組織

2010-02-04 23:55:07 | Weblog
 私はときどき献血に行って健康チェックをしていますが、いまのところは適正な数値に収まっています。

 組織もときどき健康チェックをしてみるとよいかもしれません。


---------- 【ここから引用】 ----------
【プレジデント・ロイター】毎朝の出社が楽しい職場はどこが違うのか プレジデント 2009年3.30号
 メンバー同士が孤立することなく、活性化し合える「サラサラの組織」はどうつくればいいのでしょうか。
          KDIシニアマネジャー 野村恭彦 荻野進介=構成 ライヴ・アート=図版作成
 http://president.jp.reuters.com/article/2010/01/31/2FBEFE46-00E1-11DF-A8EE-CC063F99CD51.php


 メンバー同士が孤立することなく、活性化し合える「サラサラの組織」はどうつくればいいのでしょうか。まずは「サラサラ度アセスメント」で、自分の組織の現状を知ることから始めましょう。





【アセスメントで18点以下の人は「サラサラ化計画」を】

 朝、会社に行くのは楽しいですか。この質問に胸張ってYESと答える人は少数派のはずです。では、なぜ楽しくないのでしょう。いくら忙しくても誰も手伝ってくれないからでしょうか。それとも上司が話を聞いてくれないから? あるいは、折角、新しいことをやろうとしても握りつぶされてしまうから? もしくは仕事の達成感や成長実感が得られないからでしょうか。

 組織内の知の活性化を促進するコンサルティング集団である、我々、富士ゼロックスKDI(Knowledge Dynamics Initiative)に、そういう相談案件が最近増えています。我々は、一人ひとりが孤立し、知が活性化していない組織を、人間の血液の状態に喩えて「ドロドロの組織」と呼びます。その反対が「サラサラの組織」です。あなたの職場はどちらでしょうか。まずは右に掲載した、信頼、空間、時間の3つの側面で構成されるアセスメントに取り組んでみてください。

 結果はどうでしょうか。総合得点が18点以下の方は以下の「組織サラサラ化計画」をぜひ試してみてください。

 まずは職場に「信頼」を取り戻すための方策を考えてみましょう。たまたま今回はあなたが回答して「職場の信頼度が低い」という結果が出たわけですが、他のメンバーがやっても大同小異の結果が出るはずです。こういう場合、改善の鍵を握るのは……そう、「信頼がない」「何かがおかしい」と感じている当事者にほかなりません。

 意外な顔をしないでください。組織の変革なんて特別な人が担当する、特別な仕事だと思っていませんか。違うのです。私が知っている多くの事例では、変革の推進者は「どこかおかしい」と気づいた現場の人たちばかりです。

 たとえば、あなたが属する営業部門と、隣り合わせの開発部門との仲が悪く、喧嘩が絶えないとしましょう。「売れる製品がつくれないのは、両者の間の信頼の欠如が原因だ」とわかったら、開発部門の知り合いに声をかけ、仕事のやり方をじっくり観察させてもらうことをお勧めします。大切なのは、営業の人間という気持ちを一度捨てて、開発の人間になりきることです。そういう意識で仕事を観察すると、営業部門からの情報提供がいかにずさんかに気づくのではないでしょうか。

 いつ、どんなふうに、営業からの情報を伝達すれば、もっと市場性のある製品が開発できるか。そういった課題を今度は営業部門に持ち帰り、話し合ってみるのです。あなたに賛同し、次の仕掛けを一緒に考えてくれる人がきっと現れるはずです。このように、トップ同士が話し合わなくても、物事を進めるやり方があることを覚えておいてください。

 そのときに必須なのが「正当な意思」をもつことです。この場合、「営業と開発の連携を密にし、売れる製品づくりをすること」がそれです。私利私欲から発したものではなく、組織をよりよくする提案だったら、ほとんどの人が賛成してくれるはずです。そうやって、多くの人を巻き込める“錦の御旗”を掲げられたら、改革は半ば成功したようなものです。

 信頼構築に欠かせないものがもうひとつあります。「対話」です。『手ごわい問題は、対話で解決する』(ヒューマンバリュー)という本を書いたアダム・カヘンという人がいます。対話を用いたファシリテーションによって、南アフリカのアパルトヘイト問題を解決した人ですが、そのやり方は肌の違いや貧富の差など、利害関係が対立する集団のトップを残らず集め、背中に背負っている面子やプライドを全部下ろさせ、素のままの人間として心を開いた対話を通じて、同国の未来シナリオを考えさせるというものでした。

 それを続けていくうち、他の民族や階層を排除して自分たちの日頃の主張が実現しても、輝かしい未来がそこにないことにみんなが気づいたそうです。つまり、たとえ不倶戴天の敵であっても、相手の主張を聞き入れ、互いに譲り合うことが結局は未来につながることに気づき、最終的にアパルトヘイトが解消されたのです。

 この手法は企業の中でも十分使えます。たとえば営業と開発がざっくばらんに話し合うオープンな場を設けてみてください。開発部門の人はこう思うかもしれません。「自分たちの主張を通したら、仕事がやりやすくなって、革新的な商品がいくつも生まれるかもしれない。でも、マーケット動向を外した商品ばかり出すと会社の将来はないな。もう少し、営業からの情報にも耳を傾けてみようか」と。対話をすることで、相手に「変われ」というだけではなく、自分自身も変わらないといけないことに気づくわけです。


【誰もが組織を変えられるのに、誰もそのことに気づかない】
 このように、「これがおかしい」「本来はこうあるべきだと思う」という青臭い気持ちを大事にしてください。それはみんなのためにいいことかどうかを何度も検証し、答えがYESなら、「ここがおかしい」と職場で声を上げてみることです。

 賛同者が必ずいるはずですから、まずは行動してみる。対話してみる。職場の信頼を回復させる重要な一歩はそこから始まるのです。

 誰もが組織を変えられるのですが、その可能性に気づいている人は思いのほか少ないというのが私の実感です。繰り返しますが、変革の意思をもち、実行できるかどうかは役職とは無関係です。

 次に「空間」の点数が低かった場合はどうすればいいでしょうか。みんなが集まって気軽に話せるスペースがない場合はそれをつくるのが先決です。すでにある場合、植木でもホワイトボードでも何でもいいのですが、衝立や目隠しになるものがあるかどうかチェックしてください。別に秘密の話を奨励するわけではないのですが、そういう遮蔽物がある場所のほうが人は安心して集まることができます。

 最悪なのは、役職が高い人の席のすぐ横に集まるためのスペースがある場合です。いくら座り心地のいい椅子があっても、気軽に使えないので、いつも閑古鳥が鳴いているはずです。

 わがKDIのオフィスでは空間の多重利用を心がけています。たとえば、会議室という部屋はうちにはありません。お客様を呼んでのワークショップやセッションも、普段仕事をしている場所の机や椅子を動かして即席のスペースをつくり、そこで実施します。折角、来てくださったお客様を別室に閉じ込めないようにしているのです。

 結構な手間もかかるのですが、その仕事とは直接関係がない人との間にも交流が生まれるのを期待しているからです。名刺交換をして一言二言交わしておけば、次に仕事を一緒にしたり、知恵を借りたりする場面になったら、「ああ、あのときの!」で通じるかもしれません。人と人をつなげる。これもサラサラの組織づくりに不可欠なことです。

 最近は喫煙者が激減していますが、タバコ部屋は、雑談と情報交換の貴重な場です。「ネット上のタバコ部屋」をキャッチフレーズに、社員同士が情報交換を行うSNS(Social Networking Service)を立ち上げる会社が増えてきました。

 こうしたSNSの運営で大切なのは、仕事熱心な、デキる人たちにいかに参加してもらうか、ということです。「仕事をやらないヒマ人が集う場」という評判が立たないようにしなければなりません。私がコンサルティングしたシステム会社では、ある役員が書くブログがSNSの最も人気のあるコンテンツにまで成長し、非常に利用が活発です。こうやってトップを巻き込むことができればまさに鬼に金棒です。

 逆に、「顧客からのクレームは確実にアップして開示せよ」といった仕事に直結することを義務化すると、潮が引くように利用者が減ってしまいます。アウトプットは求めない。これが鉄則です。求めるならほかの仕組みをつくるべきです。社内の廊下で偶然出会った懐かしい人とおしゃべりするような、普段まともに聞いたら「勉強不足だ!」と怒られそうなことでも聞けてしまうような、そういう柔らかい雰囲気をつくることが大切です。


【実行の生産性ではなく革新の生産性を重視する】
 さて最後に残った「時間」が少々厄介です。なぜならあなたの意識や行動を変えるだけではどうにもならない要素が含まれるからです。あなたの職場(会社)では、効率が重視され、上から与えられた目標をいかにスピーディに達成するかだけに意識が向かっていませんか。生産性を上げるのは経営の鉄則です。しかし、脇目も振らず、確実に目標をクリアする人こそ優秀だ、となってしまうと、新しい試みが生まれない、困った同僚も助けない、後輩も育てない、冒頭に述べたドロドロの組織そのものになってしまうのです。

 そういう「実行の生産性」ではなく、むしろ「革新の生産性」を重視するように、時間の概念を変えるべきではないか、と考えています。新しいことを提案し、みんなで可否を検討してGOならやってみる。これを「革新のサイクル」と名づけると、このサイクルを早めることを目指すべきだと思います。

 その際に大切なのは各メンバーが高いモチベーションをもっていることです。新しいことを提案する部下のモチベーション、部下から上がってきたものを検討する上司のモチベーション、検討したものを実行する仲間のモチベーション、どれが欠けても、このサイクルをうまく回すことはできません。

 組織の壁を越えてこのサイクルが回るのが理想です。部門単位で解決できない問題は、当然、他の部門への働きかけが必要です。大小問わず、革新のサイクルがあちこちで回っている組織がサラサラの組織です。そう、ここで話は最初に戻ってきました。部門を超えて革新のサイクルを回すには、信頼構築から始めなければならないのです。

 さて、ここまで、あなたの職場をサラサラの組織に変える方策について述べてきましたが、最後に重要なことを付け加えたいと思います。それは「あなたと会社の関係もサラサラにしよう」ということです。つまり、職場を変えよう、働き方を変えよう、もっと創造的な仕事をしよう、といったことを、すべて上司や会社にお伺いを立ててやらなくてもいいのではないか、ということです。気がついたらやっていた。そのくらいのフットワークの軽さが必要なのです。

「私は会社に認められたことだけをやる。ただでさえ忙しいのに、組織をよくするボランティアなんてできない」という主張は一見正論のようですが、実は会社にもたれかかったドロドロの関係を象徴した言葉のように思えます。あなたは会社のために働いているのか、それとも自分のためか。そのバランスがほどよく取れた人がサラサラの組織のメンバーになれるのです。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 ちょっと長くなってしまいましたが、全文を読む方がよいでしょう。

 「やる気」「巻き込み」「トップの考え」などなど、基本的な単語は全て出て来ていますね。

 単語は分かりました。あとは自分自身が出来ることから始めることですね。血液はサラサラがよいですよ。
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改めて地域情報化とはなにかを考える

2010-02-03 23:25:31 | Weblog
 先日掛川から来た人たちと、東大の田中先生とおっしゃる、情報経済論やネット社会学などにご造詣の深い先生をお訪ねしました。 

 田中先生は日本各地での地域SNS(=ソーシャル・ネットワーク・システム)にも大変お詳しいのですが、以前から「掛川の活動もなかなか面白いですよ」と言われていたのだとか。そこで現在掛川の地域SNS「e-janかけがわ」を運営するNPOの担当者たちが来月掛川で開催するフォーラムの基調講演をお願いにきたというわけで、その傍ら、地域SNSの現状や未来について意見交換の時間がもてました。

【問い:地域情報化とはなにか?】

 田中先生のお考えは、地域情報化とは地域づくりそのものである、ということ。そのときに必要なものは、パソコンやインターネットではなく、「人だー!」とおっしゃいます。

 地域情報化の三つのキーワードとして田中先生が挙げるのが「人と気持ちと地域の力」ということ。

 要は、地域情報化ということは、《人同士》が《やる気という気持ち》を持って《地域を作る》ための道具にすぎないということでもあります。

 地域を情報化しなくたって、みんなのために一肌脱ごうという人はいつだっているわけで、そんな人たちに地域の現状をお知らせしたり、そんな人たち同士を少しでも結びつけることにつながれば地域社会は少しずつ活性化してゆくことでしょう。

 また情報化を進めると、組織の体制が上意下達のピラミッド型からフラットなネットワークに変化してゆきます。過去には情報伝達のやり方として上意下達が効率的な姿だったのですが、ネットの発達でそんな形を取らなくても情報伝達を効率的にやれる時代になりました。そうした情報の流れは組織のありようも変えてしまうことになります。

 組織を動かす原理として同じ頭文字を持つ「組織原理のC&C」というのがあります。これがその昔はCOMMAND & CONTOROL(=命令と統制)だったのですが、これが今では変化してCONNECT & COLLABORATION(=連携と協働)に変わるというのです。やはり少しずつ情報社会が進むと組織や社会の形も変化をしているのですね。

   *   *   *   *   *

 ところで意見交換をしていて、ついこちら側としては「SNSで何が出来るのでしょう?」といった事例を求めがちであることに気がつきました。

 実際、「SNSでこんなことができる」というネタはいろいろ教えてもらえるのですが、実は大事なことは「これをしたいけれどSNSは何が出来る?」とピンポイントに問うことなのではないか、と思ったのです。

 つまりポイントは、 先に問題意識、課題意識があるべきで、それを解決したり、良い方向に向けるためのツールのひとつとしてSNSはなにができるだろうか、と考えるべきだということです。

 前者の問い「SNSは何が出来るの?」という問いは実は問いのようで、正しい課題設定にはなっていないのです。SNSも道具にすぎないと考えれば、同じ道具である「パソコンって何が出来るの?」という問いと同じ質問になっています。
 あなたがしたいことがわからなくてはパソコンも使いようがないということです。
 
 掛川の産業であるお茶がもっと売れるためにSNSは何が出来る?
 地域の地酒が売れるためにSNSは何が出来る?
 認知症のお年寄りを支えるために・・・
 子育て中のお母さんを支援するために・・・
 掛川に観光に来てくれる人を増やすために・・・ モロモロモロ・・・

 先にこういうリアルな問いがあるからこそ、今すでに行っている施策があるはずです。

 今日はさらにそれらに加えてネットという仮想的空間や仮想空間でのつながりという資産が増えてきたわけで、これらの資産がどう生かされてくるのだろうか、という風に考えると、そこで初めて具体的なSNSの活用方法やSNSができること、SNSでなくてはできないこと、SNSだからこそできること、掛川のSNSだからこそできること、などがそれぞれ明らかになってゆくのではないでしょうか。

   *   *   *   *   *

 実は地域SNSを語るときに田中先生は、「SNSも地域ごとにいろいろな特徴がありますからね」とおっしゃいます。

 単に「SNSだからできること」と、「掛川の(わがまちの)SNSだからできること」の違いということも結構あるのです。

 外から見るとすごいことを当たり前にやってしまっている地域もあれば、同じ事をまねしてみようと思ってもなかなか出来ない地域があります。これこそ地域の力であったりその土地柄だったりするのです。

 地域SNSなんて、まだまだ始まったばかりなので成功事例なんてほんの少ししかありません。それを作るのは最前線を走る自分たちであるはずです。

 高村光太郎風に言えば「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」でしょうし、プレステ風に言えば「俺の屍を越えてゆけ」ということでしょうか。

 3月の掛川でのフォーラムは楽しくなりそうです。 
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地域SNSの意味とは

2010-02-02 23:12:33 | Weblog
 


 昨夜からの雪は、朝方都心で1センチ積もったとのことでしたが、私の住む川崎では10センチほど積もっていて、真っ白な雪景色。北海道の初雪の日のようです。

 朝の出勤の時も子どもたちは大喜びで雪遊びに興じていました。

 中央高速道路の山梨県内など一部高速道路が通行止めにはなっていたものの、幸い通勤電車にも遅れはなく多くの交通機関ではそれほどの混乱はなくすみました。東京の雪景色ももうそうは見られないことでしょう。

 昼に掛川市役所のNPOが私を訪ねてきたので、近くの高層ビルの最上階での昼食にしました。こちらからも東京の雪景色が見えて印象的な一日となりました。




    ※    ※    ※    ※

 掛川の皆さんが私を訪ねてきたのは、現在掛川市から委託を受けてNPOが運営している地域SNS「e-じゃん掛川」の今後のありかたについてどう考えるか、という高尚な問い合わせのため。

 日本に数多くある、行政が運営する地域SNSのなかでも掛川のe-じゃんは登録会員数2000人、割とアクセスしてくれるアクティブ会員が500人ということで、まあそこそこの数をたたき出しています。

 しかし地域SNSの価値をどのように判断するか、ということになると極めて曖昧なのも事実。予算が切れて事業仕分けなどされると、「なんで必要なの?」と訊かれて答えに窮するかも知れません。

 そんなことにならないようにするためにも、市民同士がより連携を深める道具としての地域SNSの実績を高めることはもちろん、その意味と言うことも整理しておく必要がありそうです。

 私が感じるのは、道具がどのように素晴らしいものでも、それを上手に使えなければ良い成果には繋がらないという至極当たり前のこと。イチローモデルのバットを使ったところでヒットは量産出来ませんから。

 その道具を使ってどういうまちの幸せを実現したいのか、と思うところが始まりです。

 私自身は、市民の皆さんが身近な情報にたどりつきやすいような環境を作るということは、行政の情報公開を果たす上でも積極的な手段の一つだということ。

 また、市民の皆さんにそういう教育の場を提供するとともに実践的に取り組む練習の場を用意することも市民力を高めるうえで有効な政策であること。

 さらにそうしたツールを使うことでよりフラットな市民同士の関係が作られることで、情報伝達がよりスムースになり行政運営も効率的になるだろう、というような点で十分に価値あることだと思っています。

 全国的に行政単位の地域SNSを語る時にわがまちがその世界の代表事例として紹介されるということはやはり名誉なことです。各行政分野できらりと光る善政を行っていると言うこと自体、わがまちの価値を高める上で十分以上の貢献に値するとも思っているのです。

 掛川にはこうしたところまでSNS活動を持ち上げるべく裏方で支えた優秀な人材もいたということ。ただ始めればどこでもこうなるなんてわけはないのです。

    ※    ※    ※    ※

 もっとも、だからといって改善を怠っても行けません。

 具体的には、何かビジネスなどリアルな現実に繋がるような工夫が出来るのか、またもっと経費を安くすることはできないのか、もっと多くの人に喜ばれる工夫はないのか、といった改善を追求するということは欠かせないでしょう。

 こうした地域SNSを行政自身が運営していると言うところもありますが、行政では公平性を大事にするあまり特定のビジネスに関わることが難しくなります。また公平さが中身にも及ぶと自由闊達な活動が果たせないことにもつながります。

 NPOに任せるということは、そんな制限に捕らわれない自由さがあると言えるでしょう。中身の取捨選択だって行政よりは遙かに自由にやれるでしょう。そうした強みを活かしてちょっとしたお金儲けにつなげるしたたかさを鍛えたいものです。

 

 SNSでお金儲けがうまくいった事例があるかって?それはあるかも知れないけれど個別の答えの多くはその地域の事情に根ざした成功でもあるはず。

 わがまちの成功はわがまちの特質からしか生まれようがありません。答えはどこにもありません。自分たちが一番先頭を走っているのだから、自分たちのやっていることがそのまま成功事例に繋がっているだけのこと。

 失敗したらしたで良いデータが取れたと思えばよいことです。

 先頭集団を走る孤独を味わいながら、新しい発想をどんどん取り入れた挑戦を続けて欲しいと思います。

    ※    ※    ※    ※

 そんな掛川の地域SNSですが、3月13日にフォーラムを開催し、私もどうやら呼ばれているようです。掛川の皆さんとまたお会い出来るでしょうか。楽しみが一つ増えました。
 
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E-tax第二弾

2010-02-01 22:51:09 | Weblog
 

 E-taxをするために必要なのが、住基カードを読み込むICカードリーダーです。

 これも通信販売で買いました。あとは必要な書類を集めて、ネットからソフトをダウンロードするばかり。これでE-taxの準備が整いました。

 …と思っていたら…。

---------- 【ここから引用】 ----------
【NIKKEI NET】確定申告、通勤途中にパソコンで 新宿にセンター開設
  http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20100201ATDG0101Z01022010.html

 16日から始まる所得税の確定申告を前に、東京国税局の「パソコン申告センター」が1日、JR新宿駅西口の新宿アイランド地下1階「アクアプラザ」にオープンした。居住地の税務署に行かなくても、通勤途中などでパソコンで申告できる。

 所得税と消費税の確定申告のほか、医療費控除などの対象者は還付申告もできる。税理士らが申告書作成などをアドバイスする。新宿区内に勤務するさいたま市の男性会社員(68)は「会社から近いので助かる」と話していた。

 同センターは3月15日まで利用可能(土日祝日除く)。国税庁によると、同様の確定申告センターや還付申告センターは全国計22カ所に設置される。(15:15)


---------- 【引用ここまで】 ----------

 うわああん、これって私のいるビルの地下じゃないですか。せっかく住基カードを取って、カードリーダーも購入したというのに、なんの準備がなくても確定申告が出来るだなんて…。

 もう機材を勝った以上、E-taxでやらないと元が取れません。E-taxで申し込むと、機材などの準備費用と言うことか最初の一回は5千円が戻ってくるのです。

 機材を買った以上これから先は日本中どこからでも確定申告が出来ますが、都会にはこういうサービスがすぐ近くにあるものなんですねえ。


 都会って便利だけど、これをインターネットで身近にもできるのだ!

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