北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

卒業からちょうど50年が経ちました ~ 2年に一度の中学校のクラス会

2024-10-20 22:44:41 | Weblog

 

 昨日は中学校卒業時のクラス会があって旭川まで日帰りで行ってきました。

 中学校を卒業してからちょうど50年と半年。

 しかもこのクラス会はほぼ2年おきに開催されているのです。

 長続きしている理由は、永代幹事として旭川在住の住職がいて彼が転勤せずに地元の名士でいてくれていることが一つ。

 次に毎回男女一人ずつが幹事を引き受けてくれるのですが、その時々の幹事さんたちが熱心に裏方を取り仕切ってくれていること。

 そしてなによりも卒業時の担任の先生のお人柄とそれを慕うクラスメートが多いことでしょう。

 今回も担任のK先生は「86歳になったよ」と言いながら一次会に参加をしてくださいました。

 K先生はいつもご自身の近況を文章にしたためて参加者に配ってくださるので、お話を聞き流すよりも鮮明にいつものご様子がわかります。

 今回は先生を含めて15名が参加してくれたのですが、15年ぶりに参加してくれたという女子やはるばる長野県から駆けつけてくれた友人などもいました。

 幹事さんが卒業したクラスメートの住所を丹念に集めていて連絡を取ってくれている努力の賜物でしょう。


       ◆


 とはいえ、さすがに今年66歳になる面々の事。

 話題は飲んでいる薬の量と親の介護のことが中心になってしまいます。

 2年前の前回のクラス会の後に親御さんが亡くなった、というメンバーもいて、見守りか見送りか看取りか、といった話が多いですが、それぞれの経験談はこれからのこととして大いに参考になるものでした。

 またまだ職業について仕事をしている友人も多く、仕事以外でも「子供たちへのバスケット指導のためにコーチライセンスを取得した」とか、「この歳になって貯筋(筋肉確保)のためにクラシックバレエを始めた」とか、「バレーボールの指導をしている」、「ゴスペルのグループに入って歌っている」など、今を謳歌している様子が聞けて嬉しくなります。

 そんな友人たちの話を聞いていると「まだまだ枯れるわけにはいかないなあ」とやる気がみなぎってくるような気がします。


       ◆

 
 振り返ると私などもこのクラスでの中学校生活は楽しくて幸せだったんだなあ、と今さらながら思います。

 私の場合中学校1年生は札幌の中学校にいて、2年生の5月に父の転勤に伴って旭川にやってきてこのクラスの仲間入りをしました。

 実は札幌では中学校1年生のときに英語の先生と合わなくて、英語が嫌いになりテストの点数も全く取れない状態でした。

 それがこちらの中学校へ来ると、英語の先生がいつも前回の授業から穴埋めの5問豆テストをしてくれるのでした。

 こちらの先生が嫌いではありませんでしたが、札幌での成績不良を引きずってなんとあるときこの5問豆テストで0点を取ってしまいました。

 人生で初めての0点です。

 解答用紙を先生から受け取るときに先生は苦々しく「小松、頭。丸めてこい」と言いました。

 この中学校では当時は男子は髪形が坊主頭だったのですが、それも中途半端な伸び具合の坊主頭だったのでしょう。

 さすがにこれは効きました。

(せめてこの豆テストくらいは取れるように頑張ろう)と思い直して、そこからノートをきっちり取って、予習・復習に励むようになり、ようやく英語の構造が分かるようになってからは一気に得意科目に変身。

 大学受験でも点数の取れる科目になったのですが、そういう自分史を振り返った時に、旭川への転校は大きなエポックで、心機一転の機会になったのだと言い切れます。


 幸せだった自分を思い返すとともに友人たちからエネルギーをもらえる。

 クラス会はそんな時間になっています。

 次回はまた2年後の今頃です。

 友人たちと元気で再開できますように。 

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タクシー世間話 ~ 儲かっている人にはあやかりたい

2024-10-18 22:40:43 | Weblog

 

 たまにタクシーに乗ることがありますが、最近は前の座席の背もたれの後ろにモニターがついていて、コマーシャル映像が流れている車両が多くなりました。

 しかし私は乗り込んだらすぐにそのモニターを消して、運転手さんに話しかけるようにしています。

 話しのきっかけは「最近はお客さんは戻っていますかね」というもので、最近は「そうですね、だんだん乗ってくださるお客様が増えてきました」という答えが多いように思います。

 そこからは運転手さん個人の物語や、タクシー業界にまつわる世間話を聞かせてもらうのですが、これが結構な楽しみになっています。


 先日乗ったのはとても若い男性で。まだ40代とお見受けしました。

 タクシー業界は賃金が安いので、年金をもらっている高齢者が年金の補助として稼ぐならなんとかやれる、というイメージがあったので、とても意外でした。

 聞けば「前職は大手のパチンコ業界だったのですが、うちの会社は転勤が多くてそれも半年くらいでポンポン店が変わるだけじゃなくて住まいも替わる。一応結婚して子供もいて、昨年自宅も建てたところなので、これで転勤はしたくない、と思ってこちらに転職しました」

「ほう、それでどれくらいタクシーを運転しているんですか?」
「へへ、実は今日が初めてでして(笑)」

「へ?、あ、そうなんですか。いやあ若い運転手さんではこれで家族を養うのは大変じゃないか、と思っていたんですけどね」

 すると運転手さんは、「いやあ実は妻が大手銀行の正社員なものですから、二人であればそれなりにやれるかな、と。それに、今日はまだ初日ですが、これくらいの売り上げがあれば前職と変わらないな、と思うくらいよく稼げているんです。おおいにやる気が出てきましたよ」

 タクシー業界も人手不足と聞きますが、こういう若者が正社員の奥さんとダブルインカムなら結構やれるのかもしれませんね。


       ◆


 また別な時に今度は結構なお齢の運転手さんのタクシーに乗りました。

 こちらも「最近は結構稼ぎが良くなってきましたよ」とのことで、「募集していた運転手さんが集まりすぎちゃって、募集停止しました」とのこと。

「へえ、景気がよさそうですね」
「ええ、今は悪くはないですよ」

 さらに聞いていると「女性でもね、結構稼ぐ方がいるんですよ」とのこと。

「でもタクシーってどこでお客を拾えるかなんて運によるところが多いというイメージなのですがねえ。稼げる人ってやっぱり駅周辺なんかが稼げるポイントなんでしょうかね」

「いやあ、それは運転手それぞれの秘密みたいなところがありましてね。その自分なりの稼げる場所が見つかれば稼げるって訳なんですよ」
「ははあ、そういうのは共有しないんですね?」
「全然!これはバレたら他の人に取られちゃいますからね。でもね…」

「でも…ってなんですか?」
「会社に帰って、そういう稼げる人に、『おお、良く稼いだね』と日報をちらって見せてもらうんです。でもそのときには『稼いだね』と言いながら売り上げなんか見ていなくて、どこから乗せたかという場所をしっかり見ておくんですよ(笑)。そうやって鵜の目鷹の目で情報戦を繰り広げているんですよ(笑)」


 同じタクシー会社でも運転手さん同士の情報戦があって、少しでも自分の売り上げに繋げようという水面下の戦いが繰り広げられているんですね。

 タクシーに乗ったらモニターを消して、世間話を聞かせてもらいましょう。

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ワインと49er's ~ 半導体産業は現代の金鉱なのか

2024-10-17 21:15:49 | Weblog

 

 先日あるお店でお酒を飲んでいたら、ワインに「ジンファンデル」という品種のものがありました。

 以前このジンファンデルでとても美味しいカリフォルニアワインに当たったことがあったので嬉しくなって一本注文。

 これも美味しかったのですが、実はこのワインの産地はイタリアでした。

(へー、イタリアにもジンファンデル品種のワインがあるんだ)と思って調べてみるといろいろと面白いことが分かりました。

 ジンファンデルは今やカリフォルニアワインで有名で、カベルネ、メルローに次ぐ第三位の栽培面積なのだとか。

 ところがこのワインの原木はオーストリアから持ち込まれたものだとわかっていても、その起源が良くわからずにいました。

 それが遺伝子の研究で21世紀になったころに、イタリアの「プリミティーヴォ」という品種のブドウと同じものと判明。

 
 だからイタリアの「ジンファンデル」というのは本当は「プリミティーヴォ」としてラベリングしておくべきじゃないか、というのが感想。

 でも重たすぎず、果実味もあって美味しくいただけました。


     ◆


 ところでこのジンファンデルを調べているとさらに面白かったのはこのワインは西部開拓時代にまで遡って、ゴールドラッシュに沸いた山師や労働者が好んで飲んだワインだったろう、という話。

 ゴールドラッシュはアメリカ大陸西部のアメリカ川で砂金が発見されたことで、一旗揚げようと目論んだ大勢が西部へと開拓を進めたことが始まりです。

 メキシコとの戦争で割譲された西部の土地に突然金が発見されたのが1848年のこと。

 そしてこの年12月、時のポーク大統領はアメリカ連邦議会で新天地カリフォルニアでの金発見の事実を正式に発表します。

 これによって、年が明けた1849年にはカリフォルニアに金鉱脈目当ての山師や開拓者が大量に西部に押し寄せたのですが、これらの人たちのことを「フォーティナイナー(49年者)」と呼んだのです。

 この呼称はいまでもカリフォルニア州サンフランシスコに本拠を置くアメリカンフットボールチームの名前として残っています。


      ◆


 一方で、このフォーティーナイナーは金鉱目当てに目の色を変えて西部へとやってきましたが、金で財を成したものはほとんどいなかったのだそう。

 それは誰もが簡単に露天掘りで金が掘れたために話を聞きつけた余りにも多くの人間が参入したことで地域は食料や生活物資が不足し超インフレになったからなんだとか。

 むしろ成功者は、金掘りの周辺にいて、労働者にジーンズや丈夫な布を提供したリーバイスや、採掘のための資材を提供したり、集まった労働者たちへの輸送や金融サービスで財を成したものもいたとのこと。

 翻って今日の現代日本経済を見てみると、TSMCやラピダスなどで「これからは半導体産業だ!」と鼻息が荒いところがあります。

 しかしもしかしたら現代の金鉱とも言える半導体産業そのものよりも、それらに参画する人たちへの周辺経済として、住宅や各種サービスなどで利益を上げる人たちの方が「目端が利いている」のかもしれませんよ。

 

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孫たちが帰ってゆきました ~ 次はこちらが訪ねる番だな

2024-10-16 23:02:36 | Weblog

 

 週末に札幌に来ていた次女たち家族が昨日の飛行機で帰って行きました。

 4泊5日の札幌滞在で、はじめは孫がジジババに人見知りをしないかと心配でしたがそれは杞憂に終わりました。

 すぐに慣れて手をつないだりするのにも抵抗がありません。

 我が家に滞在中は親の負担を減らしてやろうと、進んで孫を引っ張り出して遊ぶように心がけましたが、それも面白がってくれて大成功。

 バレーボールくらいの柔らかいゴムボールを使って遊ぶと、孫のボール感覚がなかなか良いことに気が付きました。

 胸元に投げてあげるとちゃんとキャッチするし、「ちょうだい」というとちゃんと胸元に投げて返します。

 ボールがどう動いてどうすればキャッチできるかや、どのリリースポイントでボールを離すと相手に正しく届くか、というのは持って生まれた感性で、教え込まなくてもそれが自然にできているのは良い傾向です。

 次にリンゴくらいの大きさの、手で持てるボールを使って遊びましたが、こちらもちゃんと受けやすいところに投げてよこします。

 将来は大谷君の様になれるかな、と夢が膨らみます(笑)。


     ◆


 押しくら饅頭でも結構本気になって押してくるので、たまに負けてやると屈託なくゲラゲラ笑います。

 子供が本当に楽しくてゲラゲラ笑うのを見るのは嬉しくて幸せになります。

 何度も何度も同じように繰り返してゲラゲラ笑っていますが、子供はだんだんそれに飽きてくるので、今度は少し変化をつけてまた笑いを誘います。

 そうして子供が飽きたころに新たな動作や違った遊びを展開するとまた興味が続いてさらにいろいろな刺激を受けて様々な動き方を覚えます。

(自分の娘たちの時もこうやって遊んだなあ)と懐かしくなりますが、問題は体力です。

 30代のときなら全然平気だった子供との遊びも、体力が長続きしていないことに気が付きます。

 子育ては30代の仕事ですね。


      ◆


 そういえば小学校六年生になる長女の孫は最近キャッチボールが楽しくなって、しょっちゅう婿さんとキャッチボールをしています。

 キャンプや旅行で孫たちと遊ぶときも「爺ちゃん、キャッチボールしよう」と誘ってくるほどです。

 草野球で鍛えた心得があるので、まだまだキャッチボール程度では負けませんが、それでも年々投げてくる球が速く力強くなっていることも事実です。

 人生の上り坂にいる者と下り坂にいる者がちょうど交差しているの今頃なのかもしれません。

 孫が投げる球が速すぎて捕れなくなるのはいつの日でしょうか。

 
      ◆


 次女の孫たちは飛行機で無事に内地の家まで戻ってゆきました。

 半年に一度くらいは会っておくことで忘れられないようにしたいね、ということで、次はこちらが内地に出かけることにしましょうか。

 今度も人見知りしないでね。

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父のデイサービス利用 ~ 情報共有で見守ること

2024-10-15 22:10:55 | Weblog

 

 今日は父がデイサービスを利用する日です。

 前回利用した時にちょっとしたトラブルがあった模様で、今回はそれを回避しようと回りが気を遣っています。

 父のトラブルというのは、何かをしなくてはならないと思い込んだらそれで頭が一杯になってしまい他のことが手につかなくなるという事態です。

 前回施設を利用した時に、施設の担当者が「父がカラオケ好き」という事前情報を得ていたことから、歌の本を見せて「お父さん、お歌が好きなんですね。今日は後でカラオケができますよ」と声をかけたのだそう。

 そうしたところ父は、「後で歌を歌うのか、うーん、そうか…」と考え込んで、もう入浴や昼ご飯の時間になっても「それどころじゃない、うーん…」とカラオケのことで頭がいっぱいになってしまったのだそう。

 結局入浴をせずに帰ってきて、それでいて歌も歌いたい歌が分からなくなって満足に歌えなかったのだそう。

 前回の利用の様子を聞いてみようと施設の担当者に連絡したところ、上記のようなことがあったと知りました。

 母にそのことを伝えると、「ああ、そうなんだよ。この間も町内のカラオケ大会で、『最後に挨拶をお願いしますね』と言われたらもうそれから後はずっと『挨拶しなくちゃいけない、挨拶…』ともうそれで頭がいっぱいになっちゃってさ。ビールも飲まないしお弁当も満足に食べないのさ」と、同じようなことが町内でもあったとのこと。

 これは次回の施設利用でも事前に情報共有をしておかなくちゃなりません。

 まずは私の方から施設に電話をして、「父は言われたことで頭が一杯になっちゃうので、次にすることだけ伝えるようにしてください」とお願い。

 今日は父が出かけた後に母に電話をして、「今日の父さんのカラオケ対策はどうしたの?」と母の対応を聞きました。

 すると母は心得たもので、「施設との連絡帳があるから、そこに『カラオケで歌うときは直前に伝えてください』と書いておいたよ。本人が歌える歌は歌手と曲名を書いた紙をはさんでおいたから、それを入れてくれればお父さんも歌えると思うよ」としっかりと対応してくれていました。


       ◆
 

 夜になって母に「今日は父さん、どんな感じだった?」と電話で訊いてみました。

 すると「一応ちゃんとお風呂に入っておベントを食べて歌を歌って帰ってきたよ」とのこと。

「じゃあ特にトラブルはなかったんだね」というと、「まあそうだね。でも帰ってきたときにコロッケを一個持ってきてさ。『なにこれ?』と言ったら『かあちゃんへのお土産だ』と言って、お弁当のコロッケを一個持ってきたんだよ(笑)。まあどういう風の吹き回しなんだか」

 父が持参した連絡帳には特別な起債はなかったとのことで、これで施設の利用がちゃんとルーチンになってくれるでしょうか。

 見守りは続きます。

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ニセコ駅周辺でのハロウィーンイベント

2024-10-13 23:50:04 | Weblog

 

 帰省中の次女に「どこかいきたいところはある?」と訊いたところ、「ニセコ駅周辺でハロウィーンイベントがあるらしい」というので行ってきました。

 調べてみると、今日の日曜にJRニセコ駅周辺で「ニセコハロウィーン」というイベントを開催するとのこと。

 朝10時からで、先着400名で参加料500円の「トリックオアトリート」では、駅周辺のスポットを巡ってお菓子をもらえるというプログラムに参加したいと思って、10時すぐに到着したのですが、もう駅周辺は子供と大人がごったがえしています。

 急いでトリックオアトリートの列に並んだらもう最後の方でギリギリで参加できました。

 駅周辺にはハロウィーンかぼちゃが飾られていて、たくさんの仮装をした親子が写真を撮っています。

 しかも仮装もかなり力が入っていて、半端ではありません。

「みんな結構力が入っているね」
「すごいね」

 イベントプログラムには「コスチュームコンテスト」があって、予選を通過した人たちのステージパフォーマンスで豪華賞品も送られるとのことで、熱心な参加者も多いのでしょう。

 孫たちが参加した「トリックオアトリート」では、駅周辺のお店や施設のポイントを巡って「トリックオアトリート」と言えばお菓子がもらえるということになっているのですが、孫はもじもじしてなかなか言葉が出ません。

 合言葉を言えなくてもお菓子はもらえて、ポイントを巡り歩いてお菓子をもらって歩きます。

 ニセコ駅周辺なんてゆっくり歩いたことがなかったのですが、いつのまにか「ニセコ鉄道遺産群」という展示があったり、中央倉庫群があったり、ラジオスタジオがあったりといろいろな施設があるという事を初めて知りました。

 現代風のデザインの建物と、昭和さながらのお店が混在しているのも面白い風景です。

 これも新幹線が通った時にはどうなるのでしょうか。


 駅のイベント会場から駐車場まで歩く途中に線路を渡る踏切があって、そこから羊蹄山のきれいな姿が見られました。

 道路と羊蹄山、という組み合わせはよくありますが、鉄路と羊蹄山の組み合わせはなかなか見ることがないなあ、と思ってパチリ。

 イベントをきっかけにして知らない風景に出会う一日でした。

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孫が帰ってきた

2024-10-12 22:45:20 | Weblog

 

 昨日から内地に住む次女が旦那さんと孫を連れて札幌を訪ねてくれています。

 連休を利用して札幌周辺で過ごします。

 生まれてから今年の3月まで一緒に暮らしていた孫は今は3歳。

 半年離れた3歳児は爺さん婆さんに人見知りをしないかとヒヤヒヤしていましたが、すぐに慣れてくれてほっと一安心です。

 家の中でも昔遊んだおもちゃを引っ張り出して楽しそうに遊んでいます。


 今日はこの9月に亡くなった私の妹、次女にとっては叔母の祭壇に手を合わせに行ってきました。

 
 その後近くの公園で孫を遊ばせましたが、以前はしり込みしていたような滑り台も喜んで何度も滑り降りるなど成長を感じます。

 言葉もだいぶ出るようになって、孫との会話が成立するというのは楽しいものです。

 次はこちらが遊びに行く番かな。

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「連れは同級生ですよ」 ~ 看護師さんが驚いたわけ

2024-10-11 22:49:26 | 介護の世界

 

 今日は父が月に一度の病院診療日。

 

 休暇を取って朝から父の診察の付き添いをしてきました。

 

 父は病院の車で送迎をしてもらって診察を受けています。

 

 ドクターと診断結果ややり取りをしているのかもしれませんが、家に帰ってくると病院でどんな話をしたかを覚えていないので診断の細かい情報が分かりません。

 

 そのためたまに私が付き添って、ドクターに最近の父の様子を伝え、診断結果は私が聴くということをしています。

 

 特に今回は、「最近デイサービス施設へ通うようになった」ということと、「血液検査や認知検査の結果のコピーを欲しい」ということ、そして「ちょっと飲み薬が多いので、何か減らせるものがあれば減らしてほしい」という三つの点をドクターと確認したかったのです。

 

 病院へ着くと、少し待たされたところで父は採決と点滴の処置を受けるのに採血室へ案内されてゆきました。

 

 少しするとその部屋から看護師さんが私の元へやってきました。

 

「お父様に、『今日一緒に来られた方はどなたですか?』と世間話をしたら、『いやあ同級生ですよ』と言うのでびっくりしました。息子さんですよね?」

 

 病院へついて隣に座っている間は息子と思われていると思っていたのですが、採血室ではいつのまにか「同級生」になっていたようです。

 

「こういう感じはいつごろからですか?」

「そうですね。半年ほど前から短期記憶が弱ってきていると感じましたが、特にこの3か月は急速に短期記憶の力が衰えていると思います。先月妹が亡くなったのですが、彼女の名前も亡くなったことも覚えていませんし、日常生活では昨日あったことも、午前の事を午後になるともう覚えていません」

 

「ほかに日常生活に異常なことはありますか?怒り出すとか徘徊とか…」

「何かが無くなったと言って怒ることも徘徊もありません。食事もトイレも入浴もできます。日常は穏やかで何事にも感謝することが多くてその点は助かっています」

 

 看護師さんは父の日常の様子を聞きとってから、連絡先として私と母の電話番号をメモしてゆきました。

 

 言っていることの突拍子のなさにさすがに驚いたようです。

 

 

      ◆

 

 

 腕に点滴の処置をして点滴ハンガーに点滴袋をぶら下げた父が町挨拶の席に戻ってきました。

 

 特段何も言うわけではありませんが、会話がやたら丁寧言葉で、見ず知らずの人と話しているようなのは「同級生」と思っているのかもしれません。

 

 

      ◆

 

 

 いよいよドクターに呼び込まれて、私も父と一緒に診察室に入れてもらいました。

 

「特に最近の短期記憶の衰えが激しいと感じています。またデイサービスに通い始めたことで健康状態をケアマネさんなどと共有したいので検査結果のコピーをいただきたいこと、そしてちょっと飲み薬が多いようなので減らせるものがあれば減らしていただきたいのですが」

 

 そんな話をドクターにしました。

 

 ドクターからは「今年の8月に認知機能検査をしたのですが、昨年が24点で今年が20点とやはり数字が低下しています。 脳のMRIを撮りましたが、記憶をつかさどる海馬が小さくなっていて、アルツハイマー型認知症が進んでいることが伺えます」との診たてが示されました。

 

「今は認知症の進行を抑えるために貼り薬をつかってもらっていますが、成分の量を増やして様子を見ましょう。ただ、ほかの内臓数値がよくないところがあるので、薬を減らせるのは…2種類ですかね。これは今後は出さずに様子を見てみましょう」

 

 やはり認知症が進行していることをドクターも感じていたようですが、なにしろその認知症の患者が一人で来るので他に誰にも説明のしようがなかったようです。

 

 今回は私と母の電話番号を登録したので、今後何かあれば連絡がもらえると思います。

 

 人によっては「息子である自分のこともわからなくなってしまったとは…」と嘆き悲しむ人もいるかもしれませんが、そこに感情を出してもあまり建設的ではありません。

 

 認知症とはそういうものだ、と思って、そのうえで日常生活に支障を及ぼさないようにするためにはどうするか、誰に助けてもらうか、を考える方がずっと建設的です。

 

 感情はあまり出さずにおきましょう。

 

 

       ◆

 

 

 私は用事があって、会計と薬をもらう父を残して一旦母のいる実家へ戻ってきました。

 

 そこで「僕のことを同級生と言ったそうだよ」というと母は「うーん、相当だね」とちょっと困り顔。

 

 私からは「認知症と言うのはそういうことだから、何かを覚えていないとかできないとか、そういうことで叱らないようにね。言い聞かせてももうできるようにはならないと覚悟することが大事だと思うよ」と母に言って家を離れました。

 

 

 その後夕方に母に電話をして、「ドクターに頼んであった検査結果のコピーは父さん、ちゃんともらってきたかい?」と訊くと、「うん、持ってきたよ」とのこと。

 

 そのうえで母は、「お父さんに、今日誰と病院へ行ったの?って訊いてみたんだよね。そうしたら『正明だ、良い息子だ』って言っていたよ。そこは思い出せたのかね」とのこと。

 

「なるほど、まだら模様の記憶力だね。でもこれからは今日みたいなことが増えるけど『仕方がない』と思うようにしてよ」

 

 

 認知症の人を相手にすると接する時間の長い母などはイライラするようです。

 

 しかし本人はわざとやっているわけではなく、精いっぱいの事をしてその状態なので、叱り飛ばしたり文句を言ってはいけません。

 

 あくまでもそれで弊害ができるだけでないように言葉を工夫するとか、そうでない場合は受け入れるしかないのです。

 

 一瞬、同級生になった私ですがまた息子に戻ることができました。

 

 これが25年後の自分の姿なのかもしれません。

 
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赤平市の植村建設 ~ 先進技術を取り入れた近未来の建設会社のあり方

2024-10-10 23:00:49 | Weblog

 先日外部団体が企画主宰した見学会で、空知の赤平市に本社がある植村建設さんの「UNICONフィールド」を見学させていただきました。

 植村建設さんは人口減少に苦しむ地方都市にありながら、最新の通信技術やICT技術を導入して、企業力の増強と若者をはじめ多様な人材を生かすユニークな取り組みをされている会社です。

 今回はそれらの取り組みの基地と言える、「UNICONフィールド」を訪問して、先進的な活動の説明を受けました。


     ◆


 そもそも、「UNICONフィールド」のUNICONとはなにか。

 それは一つには"UNI"QUE "CON"STRUCTIONという、「ユニークな建設会社」の前段のキーワードの組み合わせということで、二つ目には"Uemura Next Innovation & i-Construction"という、「植村建設の次のイノベーションとアイ・コンストラクション(建設現場にICTを導入しようという取り組み)」の頭文字を組み合わせた造語です。

 そしてそれらのシンボルキャラクターに一角獣のユニコーンを用いて、「他にはない優れた存在」を表しています。

 植村建設さんが展開しているUNICON活動の具体的な取組は三つあります。

①移動式多機能オフィス車両と発電搭載車両とスターリンク通信機材の導入

②バックホウの遠隔操作システムを導入して、東大発ベンチャー企業と連携して操縦がPS5のコントローラーで行えるシステムを開発

③若手社員を中心にICT事業部を立ち上げ、ドローンサッカーチームを結成してドローンを日常的に触れられる施設の設置

 今回はこれらを活動の中心施設であるUNICONフィールドで見せていただきました。


【①移動式多機能オフィス車両とは】
 ハイエースベースのキャンピングカーに予備電源ユニットと太陽光発電パネルを装備して、さらに衛星通信システムスターリンクとWIFIアンテナを備え、災害時の先遣隊基地として活躍が期待されます。

 スターリンクを備えれば、地上型のWIFI網が途絶えた時でも通信が可能になるのと、WIFIアンテナで自分自身がWIFIスポットかできて、②の重機の遠隔操作も可能になります。

 キャンピングカーベースなので、中で2名が車中泊できて居住性を備えた連絡通信基地として活躍できます。


【②バックホウの遠隔操縦システムとPS5コントローラーの利用】
 重機を遠隔で操作できるということには、災害時の安全確保ということがありますが、さらには現場に赴けない人でも操縦ができるという意味があります。

 そうすると、日中は専門のオペレーターが現場で作業できますが、17時以降や夜間などで労働時間の制限がある時間帯などでは、現場作業員からバトンタッチして、日中は動けない主婦の方だとか、兼業希望の人、さらには体に障害のある方でも遠隔地から作業に参加することができます。

 そうなると単純な省人化施工ということに加えて、多様な人材による作業従事が可能になります。

 さらにそのことは、リース料が高い高性能ICT重機の稼働率を上げることに繋がり、短い日数で仕事を終えることなどで効率化に繋げられる可能性があります。

 
 また、こちらでは東京発ベンチャー企業の協力を得てなんとファミコンのPS5のコントローラーで重機が操作できるようなシステムにしました。

 実はバックホウも座席に座れば左右のレバーをそれぞれ上下左右に動かして機械を操作します。

 ファミコンのコントローラの左右レバーの上下左右動作が実際の重機の操作レバーを動かす仕組みになっているので、まさにゲーム感覚で実際のバックホウのアームとバケットを動かすことができるのは不思議な感覚でした。

 植村社長は、「娘にやらせたらすぐに慣れて僕より上手でした(笑)」と笑います。

 ちなみにこちらのフィールドは囲われた私有地なので、重機を動かすことに技能講習の免許などは要らないそうで、それならば子供たちがやってきてゲーム感覚で重機運転の練習もできそうです。

「ちょっとそういうことも考えていて、子供たちの体験の場にすることで建設の世界に興味と関心を持つ子供たちを増やすことも期待しています」と植村社長。

 赤平市は重機の運転ができる子供たちがあたりまえにいる、という地域社会になれば、地域の維持管理に心強いですね。


     ◆

【③ 若手社員を中心にICT事業部を立ち上げ、ドローンサッカーチームを結成】

 こちらのUNICONベースには網で囲われたドローンサッカーの試合場がありました。

 ドローンサッカーは5人一組で攻め手2人と守り手3人の構成で、攻め手がボールになってゴールの輪っかをくぐれれば点数になるというゲームで、守り手はそれを妨害するディフェンスです。

 ドローンは球状にガードで覆われていて、何かにぶつかって羽が壊れるということはありません。

 ただいずれにしてもドローンを自由自在に動かすスキルがないと勝負には勝てません。

 こちらではドローンサッカーチームを結成してこちらで日夜練習ができるのと、これを地域にも開放することでドローンに興味のある若者たちが集うことも期待されます。

 ドローンの操縦スキルが上手な若者が増えればその中からその技術を建設でも生かしてくれる人が増えることも期待できます。

 いずれにしても、こうした新しい技術には若者に早い段階から触れてもらうのが一番で、そうした意味でもICT事業部は若者の集団です。

 なかには高校を卒業してすぐに採用になった女子社員も2名いて、楽しそうに仕事としてドローンを操縦したりICT技術の修練に努めています。

 
       ◆


 今回の説明には植村正人社長自らが自分自身の哲学も含めてプレゼンを行っていただきトップリーダーの確固たる思想が強く伝わってきました。

 また視察中もずっと付き添っていただいて随時の質問にも丁寧に答えていただくなど、丁寧なご対応をいただきました。

「まだまだこの取り組みの展開を拡大したい構想があるんですよ」と、大きな夢を抱く植村社長。

 建設会社が汚くて危険でつらい職場ではなく、新しい技術を取り入れてやりがいのある魅力ある職場にするのも、ICT技術を取り入れることの意味の一つです。

 地方の建設会社でも若者に魅力ある職場になれるということを示し、さらにこれからの地域貢献にも夢が広がる植村建設さん。

 大変良いものを見せていただきました。

 関係の皆様に改めて感謝申し上げます。 

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できることはやってもらう ~ 冷たいようで冷たくない見守り

2024-10-09 21:16:22 | 介護の世界

 

 91歳になる母親は94歳の父と夫唱婦随でいまでも一軒家で暮らしてくれています。

 父は短期記憶が相当に怪しくなっていて昨日のことはおろか、数時間前に食べたものも思い出せないような状況です。

 それでも杖なしで歩くことができ、食事もトイレも介助なしで自分でできます。

 またデイサービス施設で入浴サービスを受けた時も、施設の担当者が見守ってくださっていた時には浴槽をまたぐことも問題なく、頭と背中を洗ってあげるだけでそれ以上の介助はなかったとのこと。

「ちなみに自分の服は分かるんですか?」と訊いてみたところ「いえ、それは担当者が『お着替えはこれですよ』と教えてあげますね」とのこと。

 父はデイサービスの施設で、「子供が3人います」と言っていたそうですが、妹の名前も先日亡くなったことも覚えていなかったそうです。

 それはそれで父なりの幸せなのでしょう。


      ◆


 一方母の方は、腰が曲がってしまっているものの時間をカートを押しながらかければ歩ける、と頑張っています。

 先日は私の買い物サポートに頼らずに一人で数百メートル先の食品スーパーまでカートを押して出かけたのだそう。

 ところがスーパーの中で携帯に電話が来て会話を終えた後で買い物を続け家に帰ってきたところ、その携帯電話を見失ってしまったのだそう。

(スーパーのどこかで落としたかしら)とまた父を連れてスーパーに戻り、サービスカウンターに届いてないかと思いきやそれもなし。

「電話をかけてみてはいかがですか」と言われて、お店の方に自分の携帯にかけてもらったところ、持参していた普段は携帯を入れない別の買い物袋の底に入っていたのだそう。

「焦って、もうどきどきだったわ」と言いながら、買い物に出かけることはあきらめません。

 私が車でスーパーまで連れて行けば、あとは店のカートを押しながら店内を歩くことはできるので、そこで商品を選んで欲しいものを買う、というのは母にとってはルーチンでありながら楽しみでもあるのでしょう。

 だから買い物の最中は、「高いところのあれを取って」と言われたりしない限りは一切余計な声をかけないようにしています。


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 「介護の三原則」というのがあります。それは
① 生活維持の原則
② 自己決定の原則
③ 残存能力活用の原則  …の三つと言われています。

 ①の生活維持の原則とは、高齢者にもできるだけこれまで通りの日常生活を送ってもらうべきという考え方です。

 日常の環境をできるだけ変えないように心がけたいところです。

 ②の自己決定の原則とは、あくまでも生き方や暮らし方は本人がきめるべきだ、という考え方です。

 本人たちの意思を尊重せずに勝手に「こうしたから」と決めてはいけないということです。

 ③の残存能力活用の原則とは、本人たちができることはなるべく自分自身でやってもらうようにするという考え方です。

「〇〇をして」と言われない限り、先を見越してやってあげるべきではありません。

 それで時間がかかったり非効率だとおもったりしても、それを自分自身で一生懸命にやることが意欲と能力の継続に繋がります。

 なので、母の買い物は本人がやりたくてやれる範囲でやっていることなので、サポートをしつつ余計なことはしない、というスタンスで臨んでいます。

 まして、「早くして」とか「こんなの買うの?」などと言うこともなく淡々と見守ることが一番です。

 私は買い物の最中に「これ買ってちょうだい」と果物などをおねだりすることもあるのですが、そういうサポートとして付き合ってあげているという貸し借りの帳消しみたいなこともあってよいと思っています。

 とにかく老いたる両親の日常をできるだけ長くぎりぎりまで続けるということを目標にしています。

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