K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

母のこと

2014年5月16日(金)晴


毎日あわただしく過ぎていくので、更新も思うようにできませんし、ヤプミーさんのところもなかなか伺えななこの頃です。

さてさて、水曜日は第二だったので、横浜での勉強会です。翌日のお仕事の準備もそこそこだったので、パスしたかったのですが、頑張って行ってよかったです。この勉強会の始まりは10年ほど前にタヌキが立ち上げた「ファウストを読み直す」という会です。森鴎外訳の「ファウスト」を役割分担で3年ほどかけて読み終えました。この時、ファウスト役を母が、メフィストフェレスを(この会で初めて出会った)M子さんが、・・・・・が読みました。住まいの近くの区の施設を借りて毎月会を開いていました。最初は30名ほど集まりましたが、最後は私ども3人(母・タヌキ)と横浜からいらしたM子さんとそのお友達2人の6名でした。読み終えたところで、この会を終了させたのですが、それから3年ほどして横浜のみなさんが、続けて勉強したいということで、タヌキと私が横浜へ行き、会場は皆さんに確保してもらうことになりました。夜の会ですので母は不参加でしたが、皆さんへ母のことを報告しなければと私は出かけたわけです。
母は晩年源氏物語を現代語訳をしていました。各巻きを書き終えるとタヌキと私が冊子にまとめて、親しい方々に読んでいただいていたので、横浜のみなさんも読者さんになっていただいていました。そんなわけで、源氏物語に関する母の最期の取り組みなどをお話ししました。冊子にまとめたのは昨春の柏木・横笛が最後でした。その後1年余り筆が進まなかったのは女三の宮と柏木の関係についてだったようです。「関係を持ってはいけない2人が・・・」
母にとっては「道ならぬ恋」について西洋文学を紐解いていたようです。

台所の母がいつも座る場所の棚にあった本の写真を撮っておきました。


今となってはこのことについて母には聞けないのが残念です。

横浜のみなさんは91歳になっても何かを追求できる人生に「自分たちもそうなりたい」と。

みなさんは、通常なら亡くなった方の話は暗くなるもなのに、いい最期で気持ちが軽くなりました、と。


二次会の韓国料理「アリラン」で献杯をしてくださいました。
ありがとうございます。


父が亡くなって、十年ほどの年月の母は充実した日々だったと思います。
私が「よたよたコロリ」というと、みなさんは「PPKよ」と。
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