11月22日はいい夫婦の日だそうです。朝日新聞朝刊「天声人語」で知りました。
コッコーとタヌキは「いい夫婦」かな、どうかな・・・
しばらくお休みしましたが伊豆へ遠足を続けます。
今回の遠足のきっかけはアジのたたきが食べたいね。韮山の反射炉を見学してアジのたたきを食べようと、出かけました。
2008年11月5日のことでした。
反射炉
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韮山の反射炉は1853年、日本の開国を求めるアメリカ大統領国書を携えたペリーが来航したので、幕府は海防が急務となりました。そこで老中阿部正弘は江戸湾に砲台(お台場)を設置するように伊豆の代官江川英龍に命じました。江川英龍はオランダの書物を読んで砲台鋳造のための反射炉を伊豆下田に建設しはじめましたが、翌年、1854年、ペリー再来日で日米和親条約が結ばれると、下田が開港されたため、英龍は反射炉を住まいの近くの韮山に移転しました。この大事業に奔走した英龍は過労がたたったのか、韮山反射炉の完成前に病死しました(1855年)。子英敏が反射炉建設を引き継ぎました。江川英敏は、蘭学の導入に積極的で、反射炉の建造を行っていた佐賀藩に応援を求め、技師の派遣を要請して、1857(安政4年)11月に韮山の反射炉は完成させました。1864(元治元年)に使用が中止されるまでに、数多くの鉄製砲が鋳造され、その大砲は品川台場に28門配備されました。
日本での西洋砲術はいつ始まったか?
江戸時代、長崎の商人、高島氏は代々長崎貿易統制兼自治機関の職員(長崎会所調役)をしていました。1798年(寛政10年)生まれの高島秋帆はオランダ語や洋式砲術を学んで、(立場を利用して)私費で銃器等を揃え1834年(天保5年)に高島流砲術を完成させ、自ら大砲を製作していました。その後、1840年のアヘン戦争で清国敗退の知らせを聞くと、秋帆は幕府に意見書を提出して1841年6月27日(天保12年5月9日)、幕府天領の徳丸ヶ原武州(現東京都板橋区高島平)で日本初の洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行ないました。演習は成功し、幕府は秋帆から大砲を買い上げ、かつ西洋砲術を旗本一名に伝授すること決定しました。これに指名されたのが江川英龍でした。英龍は1841年(天保13)年6月に、高島流砲術を伝授することも許可され、全国の藩士に教えました。その中には松代藩の佐久間象山もいました。
反射炉とは?
反射炉とは、銑鉄(せんてつ・鉄鉱石から直接製造した鉄で、不純物を多く含む)を溶かして優良な鉄を生産するための炉です。銑鉄を溶かすためには千数百度の高温が必要ですが、反射炉の場合、溶解室の天井部分が浅いドーム形となっており、そこに熱を反射させ、銑鉄に集中させることでその高温を実現する構造となっています。そこから、反射炉という名称が与えられました。
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溶解室はこの下の部分です。
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近づきます
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ロストルは金網のようなものだそうです。
ロストルを受け棒の上にのせ、薪や石炭などの燃料を置き、燃やします。燃焼した熱が丸くなった低いドーム型の天井に当り、その反射熱か下にある銑鉄に集まります。この反射熱が銑鉄に集まった時に高温を実現できるので、質の良い鉄と不純物が分離され、それぞれの出口から流れ出ます。
この溶解質は4つ作られています。
南に2つ、西に2つです。
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連双式(溶解炉を二つ備える)ものを2基、直角に配置した形となっていました。つまり、四つの溶解炉を同時に稼動させます(オランダ書にこのように記されているようです)。
上の写真の裏側に良質の鉄と不純物の出口があります。
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1基に3つ穴がありましが、一番下の穴が良質の鉄が流れ出ます。次の穴が不純物が流れ出ます。
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この枠内に型があり、直接良質の鉄が流れ込みます。ただし、ココが操業されていた時の型はココよりズーと低い位置だったようです。勿論、不純物は型の中に入らないようになっていました。
実際に見て初めて2基が直角の位置に建っているわけが分かりました。
実に合理的に考案されたのですね。
反射炉の近くに臼砲とカノン砲が展示されてました。
臼砲
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カノン砲
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お台場を見学したくなりました。