K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

オバマ大統領就任

2009年1月22日(木)一日小雨

大寒から立春までは寒さが厳しいということですが、今年の東京は暦どおりに寒いです。

オバマ新大統領は就任後の初仕事はホワイトハウス高官の昇給を凍結、ロビイストや特定業界と政府職員の交流を制限し、公文書の公開を積極的に進めるよう命じる2本の大統領令と3本の倫理規則に署名したとのことです。
新政権発足の状況を刻々と学べるのでアメリカには目が離せません。

さて、20日の晩に戻ります。
タヌキ「今夜は起きてるの」
コッコー(珍しく風気味だったので)「寝るわよ。明日の仕事の穴を開けたくないから」
タヌキ「オバマの大統領就任演説みるよ」
・・・・・・・・・ ・・
私は21日の朝日新聞夕刊で就任演説を読みました。
先ずは、アフリカ系アメリカ人初の大統領誕生おめでとうございます
前ブッシュ大統領が偏っていたせいか、オバマ大統領は全人類普遍の望みを就任演説に託したような感じがしました。
心に留まった部分を抜粋します。
・・・・・・・・
家が失われ、雇用は減らされ、企業はつぶれた。医療費は高すぎ、学校は、あまりに多くの人の期待を裏切っている。(石油などを大量消費する)私たちのエネルギーの使用方法が敵を強大にし地球を脅かしていることが、日に日に明らかになっている。
・・・・・・
今日、私たちは恐怖より希望を、対立と不和より目的を共有することを選び、ここに集まった。今日、私たちは、長らく我が国の政治の首を絞めてきた、狭量な不満や口約束、非難や古びた教義を終わらせると宣言する。
・・・・・
むしろ、(米国の旅を担ってきたのは)リスクを恐れぬ者、実行する者、生産する者たちだ。有名になった者もいたが、多くは、日々の労働の中で目立たない存在だった。彼らが、長く険しい道を、繁栄と自由に向かって私たちを運んでくれたのだ。
・・・・
彼らは、私たちがより良い生活を送れるように、何度も何度も奮闘し、犠牲を払い、手がひび割れるまで働いた。彼らは、米国を個人の野心の集まりより大きなもの、出自の違いや貧富の差、党派の違いよりも偉大なものだとみていたのだ。
・・・・
私たちは、責任ある形でイラクをその国民の手に委ねる過程を開始し、アフガニスタンの平和構築を始める。また古くからの友好国とかつての敵対国とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化の恐れを巻き戻す不断の努力を行う。
・・・・
なぜなら、私たちの多様性という遺産は、強みであり、弱点ではないからだ。私たちの国はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教者からなる国家だ。世界のあらゆる所から集められたすべての言語と文化に形作られたのが私たちだ。
・・・・
そして、米国同様に比較的豊かな国には、私たちはもはや国外の苦難に無関心でいることは許されないし、また影響を考えずに世界の資源を消費することも許されない、と言わなければならない。世界が変わったのだから、それに伴って私たちも変わらなければならない。
・ ・・・・・
・ そしてなぜ、60年足らず前だったら地元のレストランで食事をさせてもらえなかったかもしれない父を持つ男が、(大統領就任の)神聖な宣誓のためにあなたたちの前に立つことができるのか、ということだ。 (以上引用終わる)


アメリカの東部13この植民地が世界に冠たる大英帝国に対し政治・商業・宗教の自由の実現を求めて独立を勝ちとった時(1775年戦争勃発・1776年独立宣言・1783年パリ条約でイギリスが植民地の独立を承認)、北部の諸州は黒人奴隷解放を望みましたが、黒人奴隷労働に基づく大農園主が占める南部諸州は黒人奴隷解放を拒否したので、国を1つにまとめることを優先して黒人奴隷問題を棚上げにしてしまいました。そしてほぼ100年後、南北戦争中にリンカン大統領は北部の戦意を高めるために奴隷解放を宣言したものの黒人の公民権取得までは展開しませんでした。その後も南部諸州では黒人蔑視が続き、結婚・雇用・居住地域・教育などなどの黒人差別を行ってました。
南部のアラバマ州、1955年12月1日18時ごろ、当時42歳のローザ・パークスは百貨店での仕事を終えて帰宅するため市営バスに乗車しました。バス内は白人席と黒人席に分けられ、中間の席には白人がいない時は黒人も座ってよいことになっていました。黒人席が一杯だったのでローザが中間席に座っていると白人が乗ってきはじめ、黒人は席を立ち始めました。運転手ジェイムズ・ブレイクが中間席に座っている黒人に立つよう命じると、坐っていた黒人4名中3名は席を空けましたが、ローザは立ちませんでした。ブレイクがローザのところにやって来て「なぜ立たない?」と詰問して席を譲るよう求めましたが、ローザは「立つ必要は感じません」と答えて起立を拒否しました。その後、ローザは逮捕されますが、この事件が導火線になって黒人の公民権運動が盛り上がります。1960年代に入りケネディ大統領はこの問題に比較的リベラルな態度を示して南部諸州の黒人隔離政策禁止法を次々に成立させました。ケネディ大統領が凶弾に倒れた後、ジョンソン大統領政権下、1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定されました。やっと黒人もアメリカ市民としての権利を得たわけですが、1960年代後半にはに黒人差別運動のキング牧師が1968年、マルコムXが1965年に暗殺されていますので、現実の社会はアフリカ系アメリカ人にとって多難な時期が続きます。

このように思いめぐらすと、オバマ大統領の演説の一説『・・・そしてなぜ、60年足らず前だったら地元のレストランで食事をさせてもらえなかったかもしれない父を持つ男が、(大統領就任の)神聖な宣誓のためにあなたたちの前に立つことができるのか、ということだ』は考え深いです。アフリカ系黒人の選挙権獲得から40年余りでアフリカ系アメリカ人の大統領誕生は、時間がかかるけれど人類の人種差別を乗り越えることができたことを示しています。
オバマ大統領はまた『なぜなら、私たちの多様性という遺産は、強みであり、弱点ではないからだ。私たちの国はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教者からなる国家だ。世界のあらゆる所から集められたすべての言語と文化に形作られたのが私たちだ』
あらゆる宗教は存在する理由があって成立しているので、人種差別を乗り越えた人類は宗教をもそれぞれの宗教を尊重できるように超えられればと思いますが。
紀元前3世紀のインドのアショカ王は仏教政治で有名ですが、仏教以外の宗教もその存在理由があると寛容でした。地球上の人々が互いの宗教を認め合うことを願う限りです。
温暖化防止に力を入れることと、アメリカの資源の使いすぎの反省は大いに期待する内容でした。
さらに、核兵器についてもふれていますが 、核廃絶とはいっていません。ココに日本の出番があるのではないでしょうか。アメリカ以外の核をアメリカが取り締まっても有効ではありません。むしろ不公平です。あの核拡散防止条約はアメリカ・フランス・イギリス・ロシア・中国のご都合で結ばれ、それらの国のご都合で拡散しています。日本の政府も国民もChange! Yes we can. と核廃絶をオバマ大統領に!!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「政治」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事