12時前後に弱い雨がありましたが、町会開催の桜祭りは予定通り行われました。
さて、奈良の続きです。
2012奈良2泊3日 4月5日比叡山は雨
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正午ごろ比叡山の山頂に到着しました。
最初の計画では坂本に下り三井寺、石山寺も周ろうと思いましたが、京都市内で寄りたいところができたので、今回は延暦寺三塔巡拝に限り、坂本は次の楽しみにしました。

この三塔とは横川(よかわ)、西塔と東塔です。この三塔の間はシャトルバスが1時間に1本走っています。
ですが、ロープウェイとは連絡が悪くて1時間待ちでした。冷たい雨の中比叡山頂にあるものは広いバスターミナルとちっちゃな食堂です。

兎にも角にもその食堂に飛び込みました。
ロープウェイで一緒だったおじさんが、「熱燗」を注文すると、さっきのお客さんでおしまいになったよ。おでんも火が入っていません。あるのはおうどんだけのようです。

無料のお水も「貴重なので必要なだけ・・・」と張り紙があるセルフサービスでた。
私は「きつねうどん」

この油揚げだ


東京の油揚げより厚めです。湯気でボケてますが、厚いでしょ。
山頂からの琵琶湖

比叡山頂1時発のシャトルバスで横川まで行きました。
横川は「往生要集」で有名な源信が修業したところで、比叡山でも最も秘境です。
バスを降りるときに運転手さんが「1時間後に来るよ」と。
横川中堂 雨が見えるでしょ。寒かったです。

このあと長い上り坂で道の両脇に石仏が並んでいました。各地からの寄進のようです。



長い上り坂を登るとT字路になっていて、右に恵心院、左に元三大師堂とありました。
横川(よかわ)というと恵心僧都源信しかし知らないので、右に曲がりました。
しかし、比叡山では元三大師堂の方が有名で、元三大師は源信の師となる人なので、元三大師堂から書くことにします。
冷たい雨の中を左に曲がり下り坂を進みました。
元三大師堂 正式名称は四季講堂(春夏秋冬に法華経の講義を行ったことからこの名)


元三大師堂は第18代天台座主(てんだいざす、天台宗の最高の位)慈恵大師(じえだいし)・良源(りょうげん912年―985年)の住房・定心房跡たてられました。慈恵大師・良源には「角(つの)大師」「豆大師」「厄除け大師」など、様々な別称があり、広い信仰を集めていたとのことで、全国あちこちの社寺に見られる「おみくじ」の創始者は良源だと言われています。
良源の命日が正月の3日であることから、「元三大師」の通称で親しまれているので、この四季講堂は「元三大師堂」とよばれ、道の標識も「元三大師堂」です。
源信著『往生要集』は高校の教科書にも出てくるので良源より源信の方が耳慣れていますが、横川の恵心僧都源信は良源の弟子です。
横川で出家した吉田兼好は元三大師堂を訪れていたとのことです。

元の道に戻りだらだらと上り坂をかなり歩くと右に秘宝館がありましたが、荒れていて、廃屋のような・・・。

恵心院





横川の堂宇を一通り周って、横川バス停に戻りました。
1時間に1本のバスは横川見学にちょうどいい間隔です。
時間通りにバスはやってきて、ほぼ6分の所要時間で西塔に着きました。
西塔
比叡山のもっとも奥地にある横川は霊峰の感が漂っていましたが、西塔は(雨のせいか)静寂なしっとり感でした。
ここでは私ども2人と前後しながら歩いていた三人組が印象的でした。南アジアのどこかの国?ブータン?のような気がしました。三人のうちの1名はとても体が大きい男性で、衣を着ていました。


ここではにない堂→釈迦堂→浄土院と周りました。
まずはにない堂です。
左:常行堂 右:法華堂 2つのお堂の渡り廊下を「にない」というようです。
弁慶がここを担ってもち上げたとか(笑)

「にない」

常行堂 本尊は阿弥陀如来とのことですが、見学することはできません。



法華堂 普賢菩薩を本尊とするようです。
えっ





にない堂の裏手の長い石段を降りると釈迦堂です。
釈迦堂への下り石段の途中右手に 西塔政所

釈迦堂への下り石段の途中左手 に恵亮堂

釈迦堂への下り階段

雨の石段は歩きにくいです。 下りるごとに、杉木立を背景にどっしり構えた趣きのあるお堂が広がってきました。比叡山の大建築では珍しく、古びた中にもしっかりとした建築様式をうかがえました。
やはり、鎌倉時代の和様建築でした。
織田信長によって全山焼き打ちにあったのに


1995年に豊臣秀吉が園城寺(三井寺)から移築したとのことを帰宅してからネット検索で発見しました。
(もう一度みにいきたいな~~~


釈迦堂前の広場の周囲には様々な遺蹟がありました。
仏足石


鐘楼を見上げました。上る気力なしです


法然上人黒谷青龍寺跡の石碑が横たわっていましたが、、、ここがそうなのかは疑問なので、これももう一度確認に行かなくては、と、思うのです。

にない堂から下りた石段です、上方ににない堂の渡り廊下が見えます。ここを戻らなければ浄土院には行かれません




浄土院

浄土院境内 ロウバイでしょうか。

浄土院から東塔(根本中堂)まで歩く予定ですが、まずはこの石段です。
足の歩幅より広すぎる石段



この石段は私にとって最大の難所でした。

上り始めたところで浄土院を撮りました。

石段をのぼりつめたところに山王院がありました。


ここで、奥比叡ドライブェイに出ましたが、私どもは東海自然歩道で根本中堂へ行きます。前に書いた三人組も100Mくらい後ろを歩いていました。



東塔
右:東塔 左:阿弥陀堂

灌頂堂

戒壇院 これが最澄の念願の大乗戒壇か


現在の戒壇院の建物は江戸時代に復興したものです。
和様で復興してもらいたかったですね。この花唐窓はどうも違和感があります。
復興時に携わった人々は後世の人が拝観することを思って資料に正確に復元してもらいたいですね。

戒壇院は正式の坊さんになるための儀式を行うための場所です。
唐から渡った鑑真が東大寺に日本初の戒壇を築きました(754年・奈良時代)。
こうして奈良時代に日本三戒壇が設けられました。
奈良の東大寺・九州の観世音寺・関東の下野薬師寺です。
平安時代に入っても正式に僧侶となるにはこの三戒壇のいずれかへ行かなければならなかったので、最澄は比叡山に大乗戒壇を設けるのが念願でした。しかし朝廷から許しが下りたのは最澄の死後でした。828(天長5)年に創建です。
大講堂

根本中堂


根本中堂にたどり着いたのは4時少し前でした。
京都市内へ戻るバスの最終が4時5分と知って、慌ててターミナルへ

つづく
(2012年4月24日更新)
(2012年4月26日更新)
(2012年4月27日更新)