蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

邦画2題

2009年07月16日 | 暮らしの積み木
  劇場パンフレット表紙

『劔岳 点の記』は、弘法大師が草鞋3,000足を費やしても登れなかったといわれている未踏の劔岳に、三角点埋設という使命を果たすため測量手の柴崎(浅野)や、その仲間たちが困難と闘いながらも頂きを目指していく100年前の実話を基にした感動作
と紹介された映画である。
だからヘリ撮影、CG画像なし、にこだわったのだと思う

久しぶりに観た映画だが素晴らしかった!山岳スポコン映画ではなく、人はどう生きるか…誰に出会うかの熱いメッセージだ。
登頂直前の先頭を譲り合う場面表現は、まさに『国家の品格(藤原正彦著)』の父さん新田次郎そのもの。
音楽は殆どの曲が好きなビバルディの『四季』だったので幸せな時間を過ごした。
山にバロック音楽はよく似合うんだねぇ。
最後に流れるクレジットには監督木村大作とは出なかった。
過酷な映画作りを共に過ごした多くの関係者への感謝として『仲間たち』と、順不同(人気順ではない)の出演者紹介だったのだろう。
木村大作監督は、故黒澤明監督にカメラマン(撮影助手)として師事し、本人は「最初で最後の監督作品」としているが、さあてどうだろう。

鑑賞後、松本駅に向う帰り道で着古した登山服、使い慣れたリュックを背負う60代らしき男性二人組にあった。
「これからどちらへ?」
「降りてきました」
「どちらから?」
「劔岳」
「今観て来ました。山はいかがでした?」
「私達も映画に感動して行きましたが、3日間ずっと雨と霧の中で」
「それはどうも・・・残念でしたね」

きまぐれな天候はいかんともし難いが、梅雨期では・・・

鹿島槍ケ岳へ登った時、間近かに劔岳を見たが健脚向きだから登る縁はまずない。


『その木戸を通って』原作は山本周五郎
  劇場のチラシから

”この”でも”あの”でもなく、何故”その”木戸だったのか?確かめたかった

市川昆が遺した幻の名作----昨年秋から全国の街の片隅で日本初公開されていたらしい。

片隅でというのは、メジャー館でもなく、ロングラン上映でもなく。
松本ではエンギザで7月10日までの2週間上映
大阪では今年1月にシネ・リーブル(って映画館をご存知?)でといった具合だ

なんとも美しい映画だった。
“木戸”を現世と異世の境として表現したから”その木戸”だったのだ。
今は亡き監督、フランキー堺(リリー・フランキーではないよ)岸田今日子が登場し、日本映画はまだまだ健在、いや最近とくに・・・と言うべきか、嬉しい。

最近はとんとご無沙汰なのに、7月は映画鑑賞月だった

余談
86歳の老母は
『ディア・ドクター』を見るべしで京都まで行ったが、あいにく満員で入場できなかったそうだ。
改めて出直しし無事鑑賞したが、「あの映画すごい。満員で入れんかった」と私に話す。
日程を調べたら、誰でも映画1000円の日だった。
「シニアは平日の昼間か映画の日以外に行くもんよ。いつ行っても1000円で観られるからね」
1000円の日とはいえ若い人が多かったのは嬉しい現象だ。シニアの観客が多いのは、主演の鶴瓶さんがテレビ司会者としてつとに有名ってこともあるのだろう。

おまけ
もし叶うなら宮本輝さんの「草原の椅子」の映画化を。
主人公は奥田瑛二さんに頼みたい。
コメント (2)
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