イランの「白い牛のバラッド」という映画が上映されている。2021年のベルリン映画祭で評判になった映画だが、テーマが「死刑冤罪」なのだから凄い。イラン映画はかつてアッバス・キアロスタミらの巨匠が素晴らしい作品をたくさん作った。近年は検閲が厳しくなって、なかなか映画祭でも上映されない。アカデミー外国語映画賞を2回(「別離」「セールスマン」)受賞したアスガー・ファルハディが一人気を吐く状態が続いていたが、最近社会派の監督が続々と登場し始めていて要注目だ。
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「白い牛のバラッド」はベタシュ・サナイハ、マリヤム・モガッダムの二人が共同で脚本、監督にクレジットされている。共同監督はドキュメント作品に続いて2作目。さらに女優でもあるマリヤム・モガッダムは主演もしていて、大変豊かな才能をうかがわせる。世界的な女性監督の活躍がイランでも見られることが素晴らしいと思う。イラン事情も様々に描かれているが、国内では結局公開が禁止されたという。監督たちは配信映画の時代に、検閲を意識してテーマで妥協することをあまり気にしていないらしい。
主人公のミナ(マリヤム・モガッダム)はテヘランの牛乳工場で働くシングルマザーである。さらに耳が聞こえない娘ビタを抱えて苦しい生活を送っている。1年前に夫のババクを死刑で失い、今もなお喪服をまとっている。そんなミナがある日裁判所に呼び出され、夫が実は無実だったことが判ったと告げられる。証人が二人いたため有罪が認定されたが、その二人の利害が対立して片方が真実を告げたのだという。事件や裁判は全く描かれないので細かくは判らないけれど、ババクも全くの無関係ではなく被害者ともめていて、その中で陥れられたということらしい。
(主人公ミナ)
そう言われても、今さら夫は帰ってこない。賠償金は出ると言われるが、納得できないミナは裁判所の正式な謝罪を求める。夫の父親は孫の親権を求めていて、一緒に暮らそうと夫の弟が何度も現れるがミナは断り続けている。そんな中で夫の旧友というレザが現れ、昔の借金があったので返すという。レザが来たことを大家に見られて、知らない男を家に上げたと非難され出ていくように言われるが、たまたまレザとあって都合のいい物件を紹介される。引っ越しの手伝いなどをするうちに、ミナ親子は次第にレザと親しくなっていくのだが…。後半はこのレザという男は何者なのかをめぐって進行する。
(左からレザ、ビタ、ミナ)
合間合間に裁判所内部の事情も描かれるが、証人二人で有罪認定というのはもともとコーランにある考えらしい。だから、有罪を下した判断は「やむを得ない間違い」であって、それも「神の計らい」とされるらしい。イスラム体制下のイランでは、裁判所の決定は宗教的権威を持っているのではないかと思う。イランは中国に次いで死刑執行数が多い国だが、死刑制度も宗教的に公認されているようだ。だから、この映画でも冤罪の苦しみは強烈に描かれているが、死刑制度そのものを告発する考え方は見られない。そこで、制度をめぐる討論にはなっていかず、ミナをめぐる感情の揺れを描くメロドラマになっていくのがちょっと残念。
(白い牛のイメージ)
題名がよく判らないが、冒頭とラストに拘置所の庭に白い牛がいる映像が出て来る。何らかの宗教的なシンボルかと思うが、説明されないので不明である。ミナが働く牛乳工場は近代的な設備が整っているし、レザだけではなくミナも車を運転する。制裁下にありながら、それなりに発展している感じもあるが、随所随所にイスラム体制の現実も描かれる。イスラムでは歓迎されない犬を飼っている家も出て来る。ミナもペットだから可愛いと言っている。家ではビタがいつも大きなテレビで映画のDVDを見ている。ミナを演じるマリヤム・モガッダムは実に見事に繊細な感情を演じていて、脚本、監督も兼ねるのだから見事なものだ。スカーフを取って、口紅を塗るシーンなどとても感心した。イラン事情も考えさせる映画だった。
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「白い牛のバラッド」はベタシュ・サナイハ、マリヤム・モガッダムの二人が共同で脚本、監督にクレジットされている。共同監督はドキュメント作品に続いて2作目。さらに女優でもあるマリヤム・モガッダムは主演もしていて、大変豊かな才能をうかがわせる。世界的な女性監督の活躍がイランでも見られることが素晴らしいと思う。イラン事情も様々に描かれているが、国内では結局公開が禁止されたという。監督たちは配信映画の時代に、検閲を意識してテーマで妥協することをあまり気にしていないらしい。
主人公のミナ(マリヤム・モガッダム)はテヘランの牛乳工場で働くシングルマザーである。さらに耳が聞こえない娘ビタを抱えて苦しい生活を送っている。1年前に夫のババクを死刑で失い、今もなお喪服をまとっている。そんなミナがある日裁判所に呼び出され、夫が実は無実だったことが判ったと告げられる。証人が二人いたため有罪が認定されたが、その二人の利害が対立して片方が真実を告げたのだという。事件や裁判は全く描かれないので細かくは判らないけれど、ババクも全くの無関係ではなく被害者ともめていて、その中で陥れられたということらしい。
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そう言われても、今さら夫は帰ってこない。賠償金は出ると言われるが、納得できないミナは裁判所の正式な謝罪を求める。夫の父親は孫の親権を求めていて、一緒に暮らそうと夫の弟が何度も現れるがミナは断り続けている。そんな中で夫の旧友というレザが現れ、昔の借金があったので返すという。レザが来たことを大家に見られて、知らない男を家に上げたと非難され出ていくように言われるが、たまたまレザとあって都合のいい物件を紹介される。引っ越しの手伝いなどをするうちに、ミナ親子は次第にレザと親しくなっていくのだが…。後半はこのレザという男は何者なのかをめぐって進行する。
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合間合間に裁判所内部の事情も描かれるが、証人二人で有罪認定というのはもともとコーランにある考えらしい。だから、有罪を下した判断は「やむを得ない間違い」であって、それも「神の計らい」とされるらしい。イスラム体制下のイランでは、裁判所の決定は宗教的権威を持っているのではないかと思う。イランは中国に次いで死刑執行数が多い国だが、死刑制度も宗教的に公認されているようだ。だから、この映画でも冤罪の苦しみは強烈に描かれているが、死刑制度そのものを告発する考え方は見られない。そこで、制度をめぐる討論にはなっていかず、ミナをめぐる感情の揺れを描くメロドラマになっていくのがちょっと残念。
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題名がよく判らないが、冒頭とラストに拘置所の庭に白い牛がいる映像が出て来る。何らかの宗教的なシンボルかと思うが、説明されないので不明である。ミナが働く牛乳工場は近代的な設備が整っているし、レザだけではなくミナも車を運転する。制裁下にありながら、それなりに発展している感じもあるが、随所随所にイスラム体制の現実も描かれる。イスラムでは歓迎されない犬を飼っている家も出て来る。ミナもペットだから可愛いと言っている。家ではビタがいつも大きなテレビで映画のDVDを見ている。ミナを演じるマリヤム・モガッダムは実に見事に繊細な感情を演じていて、脚本、監督も兼ねるのだから見事なものだ。スカーフを取って、口紅を塗るシーンなどとても感心した。イラン事情も考えさせる映画だった。