尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「細雪」を読む①ー「結婚」をめぐる「女縁」と「階級」

2022年03月15日 23時04分17秒 | 本 (日本文学)
 谷崎潤一郎細雪」を読んだ。今まで読んだことがなくて、長年の懸案になっていたのだが、ついに読み始めて堪能した。今読んだのは、神保町シアターという小さな映画館で、「「細雪」と映画の中の姉妹たち」という特集上映をやっているから。「細雪」は今までに3回映画化されている。全部見ているが、この際見直してみようと思った。もうそろそろ読みたかったので、機が熟したように思ったのである。読んだのは新潮文庫版全3巻。昔出た中公バックスの1巻本を持ってるけど、字が小さいからムリだと思って買い直した。字がとても大きくて注が詳細なので、若い人と年取った人には新潮文庫がオススメである。
(「細雪」上巻)
 「細雪」は「ささめゆき」と読むぐらいのことは、読んでない人も知ってるだろう。意味は「まばらに降る雪」だというが、小説内に雪のシーンはない。重要な登場人物の蒔岡雪子の名前から思いついたというが、作者の気持ちとしては「四季折々」「人生いろいろ」を象徴する言葉ぐらいに受け取っておくべきかと思う。「蒔岡」は「まきおか」で、英語題は「The Makioka Sisters」になっている。大阪・船場でその名を知られた蒔岡家の四姉妹、上から鶴子幸子(さちこ)、雪子妙子の人生行路をまさに絵巻物のように描き出した傑作大河小説である。
(谷崎潤一郎)
 1936年から1941年にかけて、芦屋(兵庫県)、大阪東京を中心に、物語開始時点で未婚の雪子と妙子の結婚に関するあれこれが語り尽くされる。谷崎潤一郎は1941年に「源氏物語」現代語訳を完成させ、1942年から「細雪」を書き始めた。1943年には「中央公論」に2回掲載されたが、戦時下にふさわしくないと軍部に掲載を止められた。上巻は私家版として知人に配布したが、それも軍部に止められ、結局戦争終了後の1946年に上巻、47年に中巻、48年に完成した下巻を刊行して完結した。

 主な舞台は当時谷崎が住んでいた芦屋周辺、大阪と神戸の間にあって当時高級住宅地として発展していた「阪神間」になるが、他にもいろいろな土地が出て来る。登場人物も多彩で、それぞれが見事に描き分けられ、「風俗小説」を読む楽しみを満喫できる。僕はこれが谷崎の最高傑作とは思わなかったが、紛れもない傑作を読んでいると感じた。(最高傑作は「春琴抄」だと思う。)それだけに書かれている情報も膨大で、戦前の銀座に横浜のホテル・ニューグランドの支店があって高級レストランとして有名だったなんて、東京人の誰も覚えてないことまで出て来る。(検索しても出て来ない。新潮文庫の注を読んで初めて判る。)
(戦後に出た「細雪」初版本)
 しかしながら、やはり物語の中心は「結婚」である。当時の「上流階級」の常識として、女は家庭に入らなければならない。3女の雪子は冒頭時点で30歳近くになっていて、これは当時としては婚期を逃しつつある。当然「見合い」で良縁を見つけるわけだから、次第に条件が悪くなってくる。これに対し、4女の妙子は時代に先駆けているというか、よく言えば「自立志向」、悪く言えば「はねっ返り」で、一家に一人はいる困り者とされる。そもそも20歳の頃に、船場の貴金属商の3男、奥畑啓三郎と恋愛関係になって「駆け落ち」した過去がある。しかも、それが雪子と間違って新聞に報じられた。

 この「事件」が間違いであるにも関わらず、雪子の縁談に何がしかの影響を与えたらしい。一方、妙子はもはや良家からの縁談を期待できず、もともと器用な才能を生かして人形作り、さらに洋裁に打ち込むことになる。そうなると「職業婦人」になってしまうので、これは良家の子女にはふさわしくないと忌避される。「女先生」や「看護婦」は今なら立派な職業と思われているが、当時は女性が働いているということだけで、お金持ちではないことを意味するから、下層階級的なふるまいになる。夫の方も妻を働かせていると周りから非難される時代だった。そのような「階級」という意識がこの小説の前提に存在している。

 妙子は小説内で「こいさん」と呼ばれる。「お嬢さん」が大阪弁で「いとはん」、末子なので「小」が付いて「こいさん」である。駆け落ち相手の奥畑啓三郎は「啓坊」(けいぼん)である。「こいさん」「けいぼん」という呼び方が映画の中で使われると、なんとも言えない穏やかで趣のある風情が出て来る。「細雪」という小説の魅力はそこにあるが、実は裏で確固たる階級意識が描かれて批評されている。この雪子と妙子のどちらが小説の中心なのかという議論があるが、実は作家の3度目の妻、松子の一族がモデルになっている。恐らく雪子が主役として書かれたと思うが、小説内では妙子の方が生き生きとして存在感がある。

 そもそもこの一族にはおかしなことがある。長女鶴子は銀行員辰雄を婿に取ったが、父の死後船場の商家を継がなかった。女ばかり4人続くのは珍しいが、ないわけではない。しかし、大阪でも知られた商売をしていた一家なのだから、家を継ぐために奉公人や同業者の次三男などを婿に取るのが一般だろう。しかも長女が婿を取ったのに、次女幸子も婿を取って「分家」を立てた。鶴子は「本家」と呼ばれる。しかも、幸子の夫も後を継がない。継いでしまって、業績が持ち直せば、企業小説にはなっても、作家の書きたかった「没落する四人姉妹」の物語にならない。だから、現実にはあり得ないような設定をしているのである。

 雪子は小説内で5回「お見合い」をする。映画ではすぐに見合いのシーンになるが、現実には仲人が紹介し、相手を調査し、会場を選ぶなど周到な手順がある。小説ではそれがくどいほど丁寧に叙述されていて、そこが風俗小説として貴重である。そのお見合いに一番熱心なのは、神戸で美容院を経営する井谷という女性である。この人は大した活躍ぶりなのだが、当時美容院で本格的にパーマを掛けるのは高額だったという。幸子も雪子も井谷美容院を利用していて、お得意という枠を越えて親しくしている。妙子の人形教室に通っていたカタリナという白系ロシア人一家とも家族ぐるみで交際する。芦屋の幸子を中心に「女縁」で小説が進行するのが「細雪」の特徴である。

 妙子の運命は別に書くとして、雪子はいったいどういう人物なのだろうか。僕にはよく理解出来ない。映画ではキャストによって、雪子と妙子の扱いが違ってくる。1回目の映画化は妙子が高峰秀子なので、自立を目指す女性像が印象に残る。2回目の映画化では雪子が山本富士子なので、当時大映の美人スターだっただけに雪子の印象が強い。だがこの時は時代が製作当時(1959年)に変えられていて、子どもたちがフラフープをしている場面から始まる。雪子はここでも縁遠いけれど、前にまとまりそうだった縁談の相手が交通事故で亡くなり、その面影が残っているとされている。戦後になると、いくら何でも家柄に拘るとか、あまりに縁談を断る合理的な理由がなかったということだろう。

 幸子の娘悦子や妹妙子が大病をしたとき、一番熱心に寝ずの看病をしたのが雪子だった。献身的で立派な女性で、なぜこのような人が結婚相手に恵まれないのか。まあ一回で結ばれてしまうと大河小説にならないが、その事情はなんとも不可解。没落しても家柄意識が抜けないなどと従来は解釈されることが多かったが、今の目で見ると「こういう人いるな」と思う。通念に従って結婚する気はあるが、性的な欲望が薄いのである。お膳立てされれば結婚するのはやむを得ないけれど、本当は特に結婚したくもないのである。当時も「同性愛」はあって、谷崎も「卍」を書いているが、当時は「無性愛者」という概念はなかっただろう。今なら結婚せずに趣味を楽しみながら気楽に生きていったのではないだろうか。
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