尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

川本三郎「『細雪』とその時代」を読む

2022年03月18日 23時08分25秒 | 本 (日本文学)
 谷崎潤一郎細雪」について3回書いたので、一応重要なところは終わったけれど、何しろ大河小説だから面白いところは他にもいっぱいある。それらを川本三郎『細雪』とその時代」(中央公論社、2020)をもとにして触れておきたいと思う。僕は川本さんの本は幾つも読んでいるが、この本のことは知らなかった。出たときに見たかもしれないが、本体価格2400円もするから「細雪」を読んでない段階では買うわけがない。しかし、「細雪」を読んだ人は是非ともこの本を読むべきだ。

 とても面白い本だが、何よりも地図が載っているのが嬉しい。「細雪」を読んで何が判らないといって、大阪や神戸の土地勘がないので困る。この本には芦屋とその周辺大阪市街船場神戸市街東京・渋谷と5つの地図が付いていて、芦屋の蒔岡家の場所や妙子が水害に遭う洋裁学院などが図示されている。僕も大まかなこと(大阪から西へ、尼崎、西宮、芦屋、神戸だという程度)は知っていても、夙川(しゅくがわ)とか岡本香櫨園(こうろえん)などとあっても細かい地理が判らない。大阪でも船場上本町道修町(どしょうまち)などの位置関係が頭の中にない。(実は東京だって、23区の西の方になると、位置関係がよく判ってない。)地図があることだけで、「細雪」を読んだ人ならこの本を読みたくなるはずだ。

 昔、高校生の時に谷崎訳「源氏物語」を読んでみた。ものすごく面白かったが、実は受験対策という発想である。古文で源氏がよく出るから、現代語訳であらすじをつかんでおきたかった。でも最初はよく理解できなかったのである。その時に読んで非常に役だったのが、岩波新書にあった秋山虔(けん)「源氏物語」という本だった。やはり源氏のような大河小説になると、ただ読んでいても理解が難しく、「補助線」のようなものがいるなあと痛感した。「細雪」は近代小説だから読めば判るけれど、戦前の関西の話をより深く味わうためにはやはり「補助線」が欲しい。それに最適なのが川本氏の本なのである。
(川本三郎氏)
 大阪や神戸に関して多くの証言、例えば神戸生まれの映画評論家、淀川長治の残した話を紹介する。谷崎周辺の話も興味深い。つい「細雪」のモデルは松子夫人だという思い込みから、松子夫人は船場生まれだと思い込みやすい。しかし、実は船場生まれなのは松子の前夫、根津清太郎という人物の方で、松子は大阪湾岸にあった造船所の令嬢だった。この根津は奥畑啓三郎、つまり「こいさん」(妙子)と恋仲になる「啓坊」(読み方は「けーぼん」)のモデルだという。川本氏は啓ぼんを登場人物の中で唯一共感出来ないと書いている。確かに店の貴金属を持ち出して妙子に貢ぎ、母の死後に兄から勘当される啓ぼんは甲斐性なしに違いない。でもつかず離れず付き合って、巻き上げるものはきっちり巻き上げている「こいさん」はどうなのよと僕は思う。

 妙子が啓ぼんから乗り換えた板倉は「芸術写真」を志した。また縁談に奔走する井谷は繁盛する美容師だった。そこで川本氏は当時の写真や美容師の実情を調べてみる。そこで見えてくる近代日本が興味深いのである。また阪神大水害のネタ探し。谷崎自身はその日は家にいて無事。小説では悦子が小学校に行き、貞之助が救助に行く。現実の谷崎は大雨を心配して義理の娘には学校を休ませたという。妙子の水害はだから全くのフィクションなのである。それを書けたのは、当時の小学校や高校のまとめた記録だという。そこから迫真の水害描写を作り出したのは、やはり谷崎の作家としての力というしかない。

 また外国人との交流も忘れがたい。隣家のドイツ人とは子どもたちがすぐに仲良くなる。事変下に事業が立ち行かなくなり帰国することになるが、横浜まで見送りに行くぐらい親しくした。また妙子の人形を習いに来たカタリナを通して、白系ロシア人一家とも親しくする。実際に谷崎家の隣に外国人が住んでいたというが、これら脇役が見事に造形されていて忘れがたい。「盟邦」ドイツ人や革命を逃れて日本に来たロシア人、と書いても問題ない人々になっているけど、戦時下に外国人との交友をこれほど暖かく書き込んだ谷崎の開かれた精神に驚嘆する。

 また幸子一家の女中「お春」の重要性も川本さんは忘れていない。当時は電化製品がない時代だから、ちょっと余裕のある家庭には「女中」がいた。農村から来たかと思うと、お春は尼崎の出身。勉強が嫌いで高等女学校には行かず、女学校を出て女中奉公を志願した。女学校までは行ってるんだから、極貧ではないのである。むしろ礼儀見習いの意味で、良い家庭の女中に行ってから見合いするというコースもあった。お春は15で勤めに来て、今は「上女中」である。これは炊事洗濯などの家事を担当する「下女中」と違って、主人の身の回りの世話をする女中のこと。下女中は呼び捨てだが、上女中は「どん」が付いて「お春どん」と呼ばれた。知らないことは多い。「どん」なんて女中一般を軽く呼ぶ時の言葉と思っていた。
  
 「お春どん」は社交性があって外面が良く、出入りの店員などに受けがいい。でも実はだらしがないんだと幸子はこぼしているが、東京へ悦子を連れて行くときにも付いて行っている。台風に襲われ隣家に避難するときは、交渉一切をお春が仕切って、本家の子どもたちを助けた。本家の鶴子にも大変有り難がられる。本家の女中と一緒に、功をねぎらうために日帰りだけど日光見物をプレゼントされて大喜び。地下鉄で浅草へ出て、東武線で日光へ行けば、東照宮だけでなく華厳の滝まで見て日帰り出来るのである。やはり関西人でも富士山と日光は特別な観光地だったと判る。

 川本さんの本では今までに、「川本三郎「荷風と東京」を読む」(2014.7.23)、「川本三郎「小説を、映画を、鉄道が走る」」(2014.12.22)、「川本三郎「『男はつらいよ』を旅する」を読む」(2017.6.27)を3回書いていた。今度の本は2006年から2007年に掛けて「中央公論」に連載されたものが、2020年に単行本になった。間が空いているが、土地勘がないから難しいものがあったのだと思う。「細雪」の面白さを倍増させてくれる本だった。
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