尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

香月泰男展を見るー「シベリア・シリーズ」の画家

2022年03月19日 20時55分43秒 | アート
 香月泰男展練馬区立美術館で開かれている。27日までなので、もう終わりが近いから昨日見に行った。香月泰男(かづき・やすお、1911~1974)は「シベリア・シリーズ」で知られた戦後日本を代表する洋画家の一人である。2021年が生誕110年ということで、各地で回顧展が開かれてきた。神奈川県立近代美術館(葉山)で最初に始まったが、調べてみると練馬に巡回するとあったので待っていた。はっきり言って全く判らないんだけど、その判らなさがすごいので書いておきたいなと思う。
 
 香月泰男は山口県三隅町(現長門市)に生まれ、東京美術学校に学んだ。1942年、山口県立下関高等女学校に勤務中に召集を受け、「満州国」で軍務に服した。敗戦とともにシベリアに抑留され1947年までクラスノヤルスクの収容所で強制労働に従事した。引き揚げ後は復職し、1960年まで高校教員をしていた。60年代に描き始めたのが、抑留中のシベリアに材を取った「シベリア・シリーズ」と後に言われるようになった絵である。それが評判を呼んで、1969年に第1回日本芸術大賞を受けた。

 僕は昔からシベリア抑留に関心があり、随分本を読んできた。抑留者は全部で57万を超え、約5万8千人が亡くなったとされている。なかなか情報が伝わらず、帰国事業は1947年から1956年に及んだ。シベリア抑留自体が国際法違反だが、その中では香月泰男は2年間で帰国できたのだから、もっとも早いグループになる。とは言っても、もちろん厳寒の地で理不尽に労働を課せられたのだから、心の奥に深い傷を残しただろう。それが60年代以後の「シベリア・シリーズ」になるが、画家は自分にとってシベリア体験は「夢」だと語り、自分の夢はモノクロームだとして暗いトーンの絵を描いたのである。
(香月泰男)
 アートが「わからない」というのはどういうことだろうか。昔、印象派が初めて登場したとき、人々はそれを認められなかったという。でも今では世界の多くの人は印象派の絵を見たら「美しい」と感じるだろう。僕の子ども時代には、ピカソの絵も「訳がわからないもの」の象徴のように使われていた。しかし、次第に慣れて行ったからか、今ではよほどの抽象画を見ても、何か感じるものだろう。しかし、香月泰男のシベリア・シリーズを見て、僕はよく判らないなあと感じた。それは何故だろう。いや、もちろんシベリア抑留時の苦難の日々を事細かに具象画として描いて欲しいわけではない。シベリア・シリーズは明らかに優れた技術で描かれているし、そこに「何か深いもの」があるのも伝わるのだが、どこか判らなさを感じてしまう。
(「青の太陽」1969年)
 香月泰男はもちろん、シベリアへ連行される前から多くの絵を描いている。シベリア・シリーズ時代にも違う絵も描いている。戦前の若い頃の絵も随分個性的だった。何だろうと思うと、その部屋には「逆光の中のファンタジー」と題されていた。映画や演劇では普通主役が引き立つように照明を当てる。絵の場合も同じで、レンブラントやフェルメールのように、主たる人物に光を当てるのが普通だろう。しかし、香月の絵では人物の後ろから光が当たっていて、人物の顔が暗い。そういう絵が多いのである。故郷を描いた絵でも同様で画面が暗くなっている。
(「点呼」1971年)
 それは山口県の日本海側の厳しさを反映しているなどと言われるらしい。それは僕にはなんとも言えないが、シベリア・シリーズは何も香月泰男にとって特別に突出していたのではなく、若い頃からの絵と地続きになっていると思う。画像で最初にあるチラシの絵は「渚(ナホトカ)」という1974年の作品だが、「青の太陽」や「点呼」などとともにシベリア・シリーズである。このシリーズは全部で57点になると言うが、すべて見た時にシベリアだと思うよう絵は一点もない。「点呼」は比較的具象的に理解出来る方だけど、それでも随分暗くて兵士たちは「マッチ棒」みたいである。しかし、兵士の本質は「モノ」なのかもしれない。

 「青の太陽」もシベリアとか戦争などと言われても、やはり全く判らないんだけど、これは明らかに優れた絵だということは伝わってくる。戦争体験者世代の心象風景を伝える絵で、心に訴えてくるものがある。それがシベリア抑留の苦痛や鎮魂などと言われると、その意味の理解の部分で判らなくなるのだが、ただ見れば心に残る。シベリア・シリーズと同時代に描かれた日常生活を描く作品も同様にどこか暗くて不思議な構図をしている。長いこと見たかったシベリア・シリーズとは、こういう絵だったのか。

 香月には「私のシベリア」(1970)という本があるが、ウィキペディアにはこの本は立花隆がインタビューをもとにまとめたものだとある。立花隆には「シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界」(文藝春秋、2004)という著作もあって、それらを読めばこの画家についてもっと深く知ることが出来るのだろう。
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