「細雪」は華やかな物語と思われているのではないか。没落する美しき姉妹の夢のような日々…。そういう印象を強めたのは、3回目の映画化である1983年の市川崑監督作品の影響も大きいと思う。そこでは姉妹が着飾って花見をするシーンが描かれる。また舞台化された「細雪」も毎年のように上演されて、美人女優が共演してきた。原作にも間違いなく華やかなシーンがある。冒頭近くの花見シーンは有名だ。何故かこの一家は吉野山は無視して、花は京都と決めている。芦屋にいた幸子・雪子・妙子に、幸子の娘悦子と夫の貞之助が加わって春の京都に出掛けるのが恒例になっている。幸子が松子夫人だから、貞之助は谷崎自身である。カメラを持って美人姉妹を撮りまくる。周囲の人々も思わず見とれて写真を撮る。おのろけシーンである。
(市川崑監督「細雪」)
また中巻の「蛍狩り」も素晴らしい。雪子の見合いを兼ねて、義兄の実家の親戚筋の岐阜県大垣市近くの農村を訪れる。見合いはともかく、一度蛍を見にと言われて本家の立場も立てるために行くことになる。そこでまさに夢幻能の如き圧倒的な蛍の乱舞を見ることになる。実際に谷崎の体験あってのことだというが、僕はこの場面のことは知らなかった。映画には出て来ないからである。宮本輝原作「螢川」を須川栄三監督が映画化していて、素晴らしい蛍の乱舞が見られるが、あれは実際の蛍ではなかった。電気を使った特撮なのである。暗い夜でこその蛍を映画で撮影するのは無理だろう。エピソード的にも省略可能だし。
また食べ物の描写も多い。鮨あり、洋食あり、谷崎自身の好みが出ている。この小説は日中戦争前夜に始まり、直接は出て来ないけれどほとんどは「事変下」の非常時に進行する。政府は「国民精神総動員運動」を推し進め、その時の有名なスローガンが「ぜいたくは敵だ」「パーマネントはやめましょう」だった時代である。しかし、谷崎は悠然として「ぜいたくは素敵だ」の世界を書き続けた。幸子姉妹もパーマをかけ続け、そのことが雪子の縁談につながる。これが谷崎潤一郎なりの「戦時下抵抗」だった。
ところで実際に読んでみると、「細雪」に華やかさはあまりないのである。小説内では災害や病気が満ちている。またあまり描写されないが背景に戦争もある。その上、「本家」や周囲の人々、子どもや女中たちなどあれこれの気苦労が毎日ある。それが日常生活というものだろう。中でも中巻における1938年の「阪神大災害」は迫真の描写力もあって、一度読めば忘れがたい。谷崎はエロスや伝奇的イメージが強いが、リアリズム作家としての確かな力量を思い知らされる。この大水害では「こいさん」(妙子)が死にかけて、それを写真師板倉が生命の危険を顧みずに助けて、小説世界を書き換えてしまう。
(1938年の阪神大水害のようす)
板倉とは奥畑家で丁稚をしていたが、渡米して写真技術を身に付け写真館を開いている人物である。妙子と奥畑啓三郎(啓ぼん)は、駆け落ちがマスコミで報道されて、堅く交際を禁止された。しかし、妙子が人形作りに精を出して認められ展覧会を開くと、それを聞きつけた奥畑が現れ焼け木杭に火がついた。「こいさん」と「啓ぼん」は、そこだけ取り出して描くなら、織田作之助「夫婦善哉」や林芙美子「浮雲」に匹敵する「腐れ縁小説」になったはずである。ところが妙子にしてみれば、啓ぼんが甲斐性なしであるだけでなく、他にも女がいてダンサーに子を生ませたなど聞き及び、いい加減飽き飽きしてきていた。
人形の写真を撮るため啓ぼんから聞いて板倉に頼むようになり、板倉は蒔岡家と親しくなる。そして命がけの救助活動。その日啓ぼんも幸子の家に現れたが、パナマ帽を被ったオシャレ姿が汚れないよう気をつけていた。それを後で聞いて、いい加減啓ぼんに愛想を尽かし、妙子の気持ちは急速に板倉に傾く。啓ぼんは甲斐性なしだが同じ階級である。板倉は結婚相手には不可と幸子も雪子も大反対だが、妙子は気持ちを変えない。ところが板倉を悲劇が襲う。まあ映画などで知っている人も多いと思うので書いてしまうが、東京に来たときに突然板倉危篤の電報が来て、急いで帰ると板倉は中耳炎から脱疽を起こして急死してしまう。
妙子はその後啓ぼんとズルズルよりを戻したら、啓ぼんと鮨を食べに行ってサバに当たって赤痢になり、またも死にかける。つくづく不運な娘で、谷崎もその後も随分いじめている。一方、災害としては幸子が娘悦子を東大病院の医者に見せるため東京にいたとき、すさまじい風台風に襲われる場面が印象的だ。しかし、地震は出て来ない。関東大震災(1923年)や北丹後地震(1927年)の後、しばらく関西では大きな地震がない時期が続いていた。
(「細雪」を書き始めた住居「倚松庵」)
病気としては、姉妹の母が結核で亡くなっている他、赤痢や黄疸など今はあまり聞かない病気が多いのが特徴だ。特に脚気(かっけ)には驚いた。冬になると一家で脚気気味になって、自分たちでビタミンBを注射している。それを自分たちでは「B足らん」と呼んで、家で注射してるのにビックリ。脚気はビタミンB1の不足で起こると判っているのだから、注射ではなく食生活を改善しようという発想がない。恐らく「白米」中心の食事で、野菜が切れる冬に栄養不良になるのだろう。ビタミンB1は豚肉や緑黄色野菜、豆類などに多いというが、上流階級ほど足りなくなる。(今はあまり脚気を聞かないが、インスタントラーメンなどにはビタミンB1が添加されているという話。)
こうして書いていくと終わらないが、娘の悦子はなんと「神経衰弱」になるし、幸子は流産もする。映画には出て来ない病気話がいっぱいで驚いた。家族ではなく見合い相手だが、母が精神病(詳しくは不明)ということで縁談を断るのもビックリした。ずっと家に籠もっているというが、統合失調症などではなく認知症の可能性もあると思った。最後、結婚式に向かう雪子が「下痢」が治らないという唖然とする終わり方をすることもあって、「細雪」は「病気小説」の印象が強い。
「戦争」に関しては戦時下に書くことは不可能だが、外国人は議論しているが日本人はあまり意見を言わない。「南京陥落」「漢口陥落」などの提灯行列も出てこなくて、戦争をあおる場面がないから、うっかりすると戦時下ということを忘れそうである。実際、日米戦争が末期になるまで、中国と戦争をしている段階では(政府が「事変」などと言っていたこともあり)、国民も危機感に乏しかった。貞之助など軍需産業の仕事が増えて(会計士である)、収入が増えている。そのため夫婦で「旧婚旅行」としゃれ込み、富士五湖に出掛けているぐらい。(富士屋ホテルが作った富士ビューホテルに泊まっている。)やはり階級が違う感じだが、男の兄弟がいないことも大きい。しかし、彼らは大空襲を生き延びられたのか。戦後の混乱期をどう生きたのか。気になるけれど、日米戦争勃発前で小説は終わってしまうのである。
(市川崑監督「細雪」)
また中巻の「蛍狩り」も素晴らしい。雪子の見合いを兼ねて、義兄の実家の親戚筋の岐阜県大垣市近くの農村を訪れる。見合いはともかく、一度蛍を見にと言われて本家の立場も立てるために行くことになる。そこでまさに夢幻能の如き圧倒的な蛍の乱舞を見ることになる。実際に谷崎の体験あってのことだというが、僕はこの場面のことは知らなかった。映画には出て来ないからである。宮本輝原作「螢川」を須川栄三監督が映画化していて、素晴らしい蛍の乱舞が見られるが、あれは実際の蛍ではなかった。電気を使った特撮なのである。暗い夜でこその蛍を映画で撮影するのは無理だろう。エピソード的にも省略可能だし。
また食べ物の描写も多い。鮨あり、洋食あり、谷崎自身の好みが出ている。この小説は日中戦争前夜に始まり、直接は出て来ないけれどほとんどは「事変下」の非常時に進行する。政府は「国民精神総動員運動」を推し進め、その時の有名なスローガンが「ぜいたくは敵だ」「パーマネントはやめましょう」だった時代である。しかし、谷崎は悠然として「ぜいたくは素敵だ」の世界を書き続けた。幸子姉妹もパーマをかけ続け、そのことが雪子の縁談につながる。これが谷崎潤一郎なりの「戦時下抵抗」だった。
ところで実際に読んでみると、「細雪」に華やかさはあまりないのである。小説内では災害や病気が満ちている。またあまり描写されないが背景に戦争もある。その上、「本家」や周囲の人々、子どもや女中たちなどあれこれの気苦労が毎日ある。それが日常生活というものだろう。中でも中巻における1938年の「阪神大災害」は迫真の描写力もあって、一度読めば忘れがたい。谷崎はエロスや伝奇的イメージが強いが、リアリズム作家としての確かな力量を思い知らされる。この大水害では「こいさん」(妙子)が死にかけて、それを写真師板倉が生命の危険を顧みずに助けて、小説世界を書き換えてしまう。
(1938年の阪神大水害のようす)
板倉とは奥畑家で丁稚をしていたが、渡米して写真技術を身に付け写真館を開いている人物である。妙子と奥畑啓三郎(啓ぼん)は、駆け落ちがマスコミで報道されて、堅く交際を禁止された。しかし、妙子が人形作りに精を出して認められ展覧会を開くと、それを聞きつけた奥畑が現れ焼け木杭に火がついた。「こいさん」と「啓ぼん」は、そこだけ取り出して描くなら、織田作之助「夫婦善哉」や林芙美子「浮雲」に匹敵する「腐れ縁小説」になったはずである。ところが妙子にしてみれば、啓ぼんが甲斐性なしであるだけでなく、他にも女がいてダンサーに子を生ませたなど聞き及び、いい加減飽き飽きしてきていた。
人形の写真を撮るため啓ぼんから聞いて板倉に頼むようになり、板倉は蒔岡家と親しくなる。そして命がけの救助活動。その日啓ぼんも幸子の家に現れたが、パナマ帽を被ったオシャレ姿が汚れないよう気をつけていた。それを後で聞いて、いい加減啓ぼんに愛想を尽かし、妙子の気持ちは急速に板倉に傾く。啓ぼんは甲斐性なしだが同じ階級である。板倉は結婚相手には不可と幸子も雪子も大反対だが、妙子は気持ちを変えない。ところが板倉を悲劇が襲う。まあ映画などで知っている人も多いと思うので書いてしまうが、東京に来たときに突然板倉危篤の電報が来て、急いで帰ると板倉は中耳炎から脱疽を起こして急死してしまう。
妙子はその後啓ぼんとズルズルよりを戻したら、啓ぼんと鮨を食べに行ってサバに当たって赤痢になり、またも死にかける。つくづく不運な娘で、谷崎もその後も随分いじめている。一方、災害としては幸子が娘悦子を東大病院の医者に見せるため東京にいたとき、すさまじい風台風に襲われる場面が印象的だ。しかし、地震は出て来ない。関東大震災(1923年)や北丹後地震(1927年)の後、しばらく関西では大きな地震がない時期が続いていた。
(「細雪」を書き始めた住居「倚松庵」)
病気としては、姉妹の母が結核で亡くなっている他、赤痢や黄疸など今はあまり聞かない病気が多いのが特徴だ。特に脚気(かっけ)には驚いた。冬になると一家で脚気気味になって、自分たちでビタミンBを注射している。それを自分たちでは「B足らん」と呼んで、家で注射してるのにビックリ。脚気はビタミンB1の不足で起こると判っているのだから、注射ではなく食生活を改善しようという発想がない。恐らく「白米」中心の食事で、野菜が切れる冬に栄養不良になるのだろう。ビタミンB1は豚肉や緑黄色野菜、豆類などに多いというが、上流階級ほど足りなくなる。(今はあまり脚気を聞かないが、インスタントラーメンなどにはビタミンB1が添加されているという話。)
こうして書いていくと終わらないが、娘の悦子はなんと「神経衰弱」になるし、幸子は流産もする。映画には出て来ない病気話がいっぱいで驚いた。家族ではなく見合い相手だが、母が精神病(詳しくは不明)ということで縁談を断るのもビックリした。ずっと家に籠もっているというが、統合失調症などではなく認知症の可能性もあると思った。最後、結婚式に向かう雪子が「下痢」が治らないという唖然とする終わり方をすることもあって、「細雪」は「病気小説」の印象が強い。
「戦争」に関しては戦時下に書くことは不可能だが、外国人は議論しているが日本人はあまり意見を言わない。「南京陥落」「漢口陥落」などの提灯行列も出てこなくて、戦争をあおる場面がないから、うっかりすると戦時下ということを忘れそうである。実際、日米戦争が末期になるまで、中国と戦争をしている段階では(政府が「事変」などと言っていたこともあり)、国民も危機感に乏しかった。貞之助など軍需産業の仕事が増えて(会計士である)、収入が増えている。そのため夫婦で「旧婚旅行」としゃれ込み、富士五湖に出掛けているぐらい。(富士屋ホテルが作った富士ビューホテルに泊まっている。)やはり階級が違う感じだが、男の兄弟がいないことも大きい。しかし、彼らは大空襲を生き延びられたのか。戦後の混乱期をどう生きたのか。気になるけれど、日米戦争勃発前で小説は終わってしまうのである。