尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

無名塾「左の腕」を見る、仲代達矢役者七十周年記念作品

2022年03月11日 21時04分44秒 | 演劇
 ウクライナ戦争下の11年目の「3・11」。今年は無名塾の公演「左の腕」を見に行った。「ピアフ」を見たばかりだけど、あれは去年秋に申し込んでいた。その後に「左の腕」を知ったが、5日から13日である、チケットぴあや劇場で満員で、劇団に電話してようやく取れたのだった。体調を崩したら高いチケットを両方ムダにするから、本当はもっと間を空けたかった。それでも北千住のシアター1010だから行こうと思った。駅前の丸井11階にある劇場で、「1010」は「せんじゅ」だが、「○1○1」(まるいまるい)の逆でもある。いつも遠くまで出掛けるのが大変なのに、今日は30分で着くからこんなに楽なのか。

 「左の腕」は松本清張佐渡流人行」の一編で、1時間半ほどの短い劇である。舞台は江戸・深川の料理屋の一角、飴売りの老人はいつもその店の土間でお昼を食べている。娘を抱えて大変な暮らしなのを知って、料理屋ではこの父娘に仕事を世話する。働き者の父と娘に親切な人たちが現れたのである。しかし、そこに料理屋を食い物にしている悪い目明かしが現れて…。娘を妾にしようと思って、老父の秘密を探り始める。父はいつも左腕に包帯をしていて、それは昔火事にあって大やけどをしたからだというが、それを疑ったのである。ある夜、その料理屋で賭場が開かれると知って盗賊が襲ってくる…。

 原作は昔読んでると思うが、清張はいっぱい読んでいっぱい売ってしまったので、もう持ってないと思う。基本は人情時代劇で、ストーリー、あるいは「父の左腕の秘密」は誰にでも想像できる通りのものである。そのことが盗賊が襲った夜に、まざまざと明るみに出る。しかしドラマチックと言うより、設定は定番通りだろう。この父親が仲代達矢で、1932年生まれだから89歳である。もうこの年齢だから「受けの演技」だと自ら述べていた通り、悠々自適、飄飄とした、演技を越えた一本筋が通った人間の芯を見せる。

 松本白鸚大竹しのぶと恐るべき大熱演を見たあとに、今回の仲代達矢。ステーキの後に、お茶漬けをサラサラッと飲みこんだかの感じだが、その滋味が懐かしい。1時間半だから、大ドラマと言うより、掌編のエチュードという感じ。「仲代達矢役者七十数年記念」と銘打っている。しかし、舞台も映画も端役として出始めたのは1954年からで、1952年は俳優座養成所第4期生として入所した年になる。この偉大な役者を今も見られることは素晴らしい贈り物だ。仲代達矢はいろいろと凄いわけだが、何より凄いのは妻の宮崎恭子が1996年に亡くなった後も妻と共に創立した無名塾を元気に守り続けていることだ。大部分の男には出来ない。
 
 無名塾出身俳優として一番有名なのは役所広司だろう。2021年にその役所広司主演の西川美和監督「すばらしき世界」という映画があった。「左の腕」は時代劇だが、テーマは共通性がある。「刑余者」の問題である。かつて罪を犯した人間は立ち直ることが出来るのか。人はもっと寛容になるべきではないかというテーマは、争いが絶えない21世紀の世界に訴えるものだ。「赦す人」あれば、「人の弱みにつけ込む人」もある。善意がつながっていく道はあるのだろうか。静かにそう問いかけているように思った。
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